上 下
37 / 135
おうちにかえりたい編

閑話 侍女

しおりを挟む
 それは厨房からの帰り道だった。
 食べ終わったものを片付けにいく仕事はいつでも面倒だ。遠いということもあるが、人通りが多いところを通らねばならない。その結果、よく絡まれる。他の侍女たちに。

 閑職に追いやられて可哀想とか、今日はなにをもらったとかそんな話を聞く。張り合うのも馬鹿らしいと言わせておくが、最初に石鹸、ガラスの装飾具をもらった。

 今度は姫君に似合わない服を下賜してくれるという。懇意にしている商人から姫様に貢がれたとジンジャーがつかれた顔をしていたが、その中身を見ているうちに無の表情になっていった。
 中身を見たら、その理由もわかる。流行はこの辺と押さえてあるが、色違いで二枚もいらない。

 明日、姫様に似合わない色選別会議が開かれ、似合わない服は一度着用後、下賜すると言われている。一応、着るという義理立てをするくらいには、懇意なのだろうなと思う。

 人通りの少ない通路に誰かが立っているなと思った。
 近づけば見知った顔であることに気がついた。こんなところまで出てくるのが滅多にないメイド長が珍しいとは思った。
 なんとなく恐れられている雰囲気を感じていたので黙礼で済ませようとした。

「あ、あの、メリッサ様」

「な、なに?」

 滅多にないことが起こった。自分に話しかけてくるとは全く思っていなかった。
 びっくりしたが、顔はいつも通りの無表情だろうと思った。感情の動きと連動しにくいのは幼少期からなので、諦めている。

 メイド長はどこかおどおどとしてメリッサとしてはしっかりしなさいと叱責したくなる。
 ので、顔を合わせないようにしている。
 より萎縮させたいわけではないし、あのエイラが原因なのだからと思うと気の毒にも思う。

 今の彼女に侍女にわざわざ話しかける勇気があるとは思っても見なかった。

「その、姫様はお元気でしょうか」

「……はい?」

 意外すぎると思った。
 一体どこに接点があり、そこまでの好意を持たれたんだろうか。

「ええと、その、気を落とされてはいないでしょうか。悲しんでは……」

「まって。ここでその話はできないの。こちらに」

「はい」

 メリッサの今の主は、この場所では不安定な立場だ。今更、噂が増えてもとジンジャーは達観しているが、彼女はそこまで至っていない。
 彼女自体になにか悪いことがあるとは思えない。

 誰もいない部屋に二人で入る。

「静かに過ごすことがお望みとあって、今はとても落ち着いているそうよ。少なくとも余計な話は聞こえてこないわ」

「良かった」

 それは本当に案じていたように見える。メリッサには、やはりおかしなことに思える。
 貴人の対応は基本的に侍女などになる。メイド長が統括しているのは貴人の前に現れない人たちだ。
 上級メイドは基本的に侍女たちの手先と言ってよいので彼女の言うことを聞かないだろう。

「どこに接点が?」

「え?」

「侍女がついていたわよね?」

「ええ、ジンジャー様お一人と聞きました」

 ……は?

 聞いていた話と違う。何人も首にしたと覚悟しておけと嗤われてきたのだ。
 あまりにも要求の少ない姫君で逆に首をかしげるくらい。

「手が回らないと少しお手伝いをいたしました。多くのことは出来ませんでしたが、助かったと故郷のものだと石鹸をいただきました」

「待って。そう言えば厨房でも、似たようなことを聞いたわ」

 傷薬を差し入れしていたと。
 料理長には食事はちゃんと摂っているか心配されていた。何日かに一回プリンが出るのだが評価点がいつも着いている。

 今日は八十点。ご機嫌な料理長が不気味だったが、そう言うことだったのか。

 全く、情報の把握ができていないではないか。あのエイラのことだから、気がついてもいないだろう。
 自分より下の者は置物も同然な彼女らしくはあったが、迷惑この上ない。

「エイラめ」

 低く唸るように言えば、メイド長が怯えた。
 いや、貴方には怒ってないから。と言ったところで効果はないんだろうなあとメリッサは苦く思う。
 もっと快活に笑う少女だったのだ。遠くから楽しそうだなと見ていたことはそんなに遠い過去ではない。

 たまに実家に戻れば、城の様子に驚かれる。母も侍女をしていて、同じく侍従をしていた父と知り会った経緯もあり、以前と違うことがわかる。
 この十年で、少しずつ、おかしくなってきている。

 陛下が、体調を崩されたころからではないかと両親は疑っている。両親の言う陛下は先王のみで、現王には忠誠は向かっていない。
 気を付けなさいと曖昧な不安に満ちた言葉で、いつも送り出された。
 それでも、城から去りなさいと言われないことに安堵している。

 メリッサはこの生活が気に入っている。

「他に何か聞いていない?」

 この階級ごとの情報の断絶も意図的とすれば、一体なにを考えて仕掛けたのだろうか。

「洗濯場でも傷薬をもらったと聞きます。やけどもするからと」

 姫君はもちろんジンジャーもこんな話をしてこない。くれてやった、とも思ってもいないだろう。
 侍女たちにも気を遣って、大丈夫? 疲れてない? と言うようなお方である。

 だから、こんな話を本人から聞くのは難しい。このことも聞けばそんな事あったかしらと笑うくらいだろう。

「あの、怒られないですよね?」

「良い事をして叱責されるなら失望するわね」

 目をぱちぱちとさせているメイド長は、あのころの少女のようだった。
 ふふっと笑って、そうですねと同意するころには、いつも見ていた怯えのようなものはなかった。

「よければ、何かあったら教えてちょうだい。代わりに近況を教えるわ」

「ありがとうございます」

 メリッサが手を差し出すとメイド長はきょとんとそれを見て、にこりと笑った。

「よろしくね」

「はい」

 ぎゅっと握った手は柔らかくはなかった。働く人の手と母は言っていたなぁとぼんやり思い出す。

 メリッサは彼女たちメイドでも喜ぶ情報が一つあったとついでに伝えておくことにした。

「そう言えば、ジニー様がお戻りになるとか聞いたわね。少しはご機嫌が上向きになるのではないかしら?」

 見たことがないけど。

 エイラとその取り巻きがきゃあきゃあ言っていた。メリッサたちは基本的に良い男からは遠ざけられた位置にいたので仕方がない。
 あまり興味もなかった。
 というより、エイラたちがひたすらに邪魔だった。

 中性的な感じで優しい微笑みがキュンとくると。困り顔が可愛いって男に言う言葉なの? と思ったのは覚えている。
 半眼で見ていた人たちの仲間入りはしたくない。

 だが、メイド長も、え、嬉しい、みたいな顔をしているので、本物のイケメンかもしれない。
 このびくびく生物を手なずけるなど並の男ではない。

「では、またね」

 連絡方法をお互い確認し、別れる。思いの外時間がたっている。
 帰りがけ、メイド長にあめ玉をもらった。
 おいしいですよ、って。
 まあ、おいしかったけど。

 頑張ってください、ってなにを?

 腑に落ちないままにメリッサは姫君の部屋に戻る。本当は妃殿下とお呼びした方がいいのだろう。しかし、本人もこの状況ではその呼び方は望んでいないようで、こちらの方が嬉しそうにされる。

 誰が聞いているわけでもない状況なら望みのままにしようと仲間たちとも決めている。

 決して、悪い主人ではない。

 メリッサは扉を叩いて、名乗り、内側から開けてもらうのを待つ。
 ……あれ? いつもは扉の前に誰かは立っているはずなんだけど、誰もいない。
 どうしたのかと首をひねっている間に扉が開いた。

「遅かったね。なにかあった?」

 少し心配そうな顔の赤毛の青年が、そこにいた。
 扉を開けてもらった、だけなのだが、少し屈んで目線をあわせてくる。自然な動きで手を差し出された。

 意識しないままに部屋の中へ導かれる。
 手を離され、一礼される。

「ジニーだ。妹をよろしくね」

 ウィンクされた。

 き、きゃーっ!
 と口からでなかったのが幸いだった。鉄面皮で良かった。なんとか微笑みを浮かべて、名乗れた。
 部屋の中に護衛の二人といつもはいない侍女も集められていたから、彼を紹介していたところだったのだろうか。

 侍女仲間から尊敬の目で見られたのはなぜだろう。
 ジンジャーがびっくりしたという顔だったのがさらに不審だ。
 護衛の二人が見直したみたいな顔が一番心外だ。なんだと思っているのか。

 用事があるとジニーが去った後、こそこそとジンジャーが囁いた。

「ジニーのあの笑顔に耐えた人、初めて見た。悪意無しの天然タラシの攻撃力高いよ」

 ……悪口かも知れないが、納得のいく言葉だ。
 一人だったら、きゅうと倒れるかもしれない。

「あんな人が兄って大変そうね」

「わかってくれます? みんな羨ましいとか言いますけど、問題があったらこっちも大変なんですからっ!」

 ちょっと騒々しいと思っていたジンジャーも一人で、姫君を守っていたのだと思えば可愛く思えてきた。

 まあ、びしばし鍛えるのはやめないけど。
 後で役に立つときもあるものよ。

 メリッサは少し微笑んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

お飾り王妃の受難〜陛下からの溺愛?!ちょっと意味がわからないのですが〜

湊未来
恋愛
 王に見捨てられた王妃。それが、貴族社会の認識だった。  二脚並べられた玉座に座る王と王妃は、微笑み合う事も、会話を交わす事もなければ、目を合わす事すらしない。そんな二人の様子に王妃ティアナは、いつしか『お飾り王妃』と呼ばれるようになっていた。  そんな中、暗躍する貴族達。彼らの行動は徐々にエスカレートして行き、王妃が参加する夜会であろうとお構いなしに娘を王に、けしかける。  王の周りに沢山の美しい蝶が群がる様子を見つめ、ティアナは考えていた。 『よっしゃ‼︎ お飾り王妃なら、何したって良いわよね。だって、私の存在は空気みたいなものだから………』  1年後……  王宮で働く侍女達の間で囁かれるある噂。 『王妃の間には恋のキューピッドがいる』  王妃付き侍女の間に届けられる大量の手紙を前に侍女頭は頭を抱えていた。 「ティアナ様!この手紙の山どうするんですか⁈ 流石に、さばききれませんよ‼︎」 「まぁまぁ。そんなに怒らないの。皆様、色々とお悩みがあるようだし、昔も今も恋愛事は有益な情報を得る糧よ。あと、ここでは王妃ティアナではなく新人侍女ティナでしょ」 ……あら?   この筆跡、陛下のものではなくって?  まさかね……  一通の手紙から始まる恋物語。いや、違う……  お飾り王妃による無自覚プチざまぁが始まる。  愛しい王妃を前にすると無口になってしまう王と、お飾り王妃と勘違いしたティアナのすれ違いラブコメディ&ミステリー

処理中です...