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スピンオフ
番外編 イザイア視点 5
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教会で働き始めた彼は目が見えないながら実に真面目に働いてくれた。
彼に一人で作業をさせる訳にはいかないので、彼に部屋の掃除などをしてもらう時はボクも一緒に掃除をする。
「フィルくん、その辺で大丈夫ですよ」
フィルくんが雑巾がけしてくれた床はすっかり綺麗になっている。目の見えない彼にそれで充分だと声をかけた。
「はいっ!」
顔を上げた彼にくすりと笑みが零れた。
彼の頬が汚れで黒くなっていたからだ。
「顔が汚れています。拭き取るのでちょっと顔を上げてもらえますか?」
「あ、はい」
彼が目を閉じて顎を上げる。
それが接吻を待つ乙女の顔のように見えて、ごくりと唾を嚥下した。
ふるふると首を振って雑念を追い払い、ハンカチで彼の顔を拭く。
「……」
顔を拭いても彼はそのままの姿勢だ。
「フィルくん、汚れは取れましたよ」
声をかけても姿勢は変わらない。
その代わり彼はおずおずと口を開いた。
「イザイアさんにお願いがあるんです」
「はい?」
珍しいことだった。
控えめな彼がボクにお願いとはいったい何だろう。
「あの……ほっぺじゃなくて、唇にキスをしてもらえませんか?」
「…………?」
ボクは……理性を試されているのか?
彼が何を言っているのか理解できなかった。
理解はできたが、自分の耳を疑った。もしや自分の欲望が都合よく彼の言葉を聞き間違えさせたのだろうかと。
「あ、あの、この間イザイアさんのキスが効かなかったのはもしかしたら頬っぺたにだったからかもしれません。唇にキスすれば、もしかしたら……」
二言目の彼の言葉に都合のいい聞き間違いでないことは分かった。
目を閉じたままの彼の頬は薄桃色に染まっている。
まるでフィルくんがボクに好意を抱いているかのようだ……いや、違う。そうじゃない。彼は危ういくらいに天然なのだ。
「フィルくん、大事なことを忘れていますよ。御伽噺の中でキスをして呪いが解ける時は、大抵それが真実の愛のキスであるときだけではないですか」
だからボクがキスをしても意味ないですよ、と言う。
これで彼も諦めてくれるだろう。
そう思ったのだが。
「少なくとも、僕はイザイアさんのことが好きです……! だから、キスをしてもらえませんか?」
ボクは今度こそ彼の口にした言葉に理解が及ばなかった。
……なに?
「え、あ……?」
狼狽えていると、彼の表情が曇る。
「……僕がイザイアさんのことを好きでも、イザイアさんは僕のことなんて何とも思っていないですよね。ごめんなさい忘れて下さい」
「待って下さい」
彼が踵を返して闇雲に走り出すのではないかと、咄嗟に彼の肩を掴む。
「決して何とも思っていないという訳では……」
何か彼を諦めさせる言葉を考えなければ、と思いあぐねて気が付く。
彼がボクのことを好いているというのならば、何の問題もないのでは?
ボクは神父として禁欲の誓いを守る気はさらさらない。
だとすればこの可愛らしい少年に愉しみを教えてあげるのもやぶさかではない……
「フィルくん。後悔しませんか?」
「はい?」
彼の耳元に囁きかける。
真っ赤な耳朶が食べてしまいたいほど愛らしい。
「どうせなら"すべて"試してみましょう。ボクたちは両想いなのですから」
「へ……?」
彼の華奢な腰に手を回す。「ひゃっ」と小さな悲鳴。
さて可愛い彼をどんな風に食べてしまおうかとほくそ笑んだその時だった。
「フィルーっ!! 目を治す方法が見つかったぞーっ!!」
教会の入口である礼拝堂の方から声が聞こえた。
誰かが入ってきたのだろう。
「目を治す方法が見つかったそうです、行きましょう!」
「は、はい……」
フィルくんの手を引き、礼拝堂へと急ぐ。
「フィルのことがあったから冒険者は誰もあのフロアを探索したがらなかったんだ。だが、絶対にあのフロアにフィルの目を治す手がかりがあるはずだと思って俺たちは協力を呼び掛けた。そしたらな……」
フィルくんが所属するパーティのリーダーが息せき切って説明する。
そしてパーティメンバーが革袋の中からあるものを取り出した。
それは小さな睡蓮の花だった。
「あの大蛇に毒液をかけられた他の魔物がこの花を食っていた。すると不調が治ったように見えた。フィルもこの花を食えば目が治るはずだ!」
「なるほど、隣国の神話か……!」
パーティリーダーの男の話にピンとくるものがあった。
「どういうことですか?」
フィルくんが不安そうに声のする方に顔を向けている。
ボクは己の信仰に疑問を持った折に一通りの宗教について調べた。その時に隣国の神話についても調べた。
「フィルくん、貴方にその目の呪い……いえ、穢れをかけたのは恐らく大蛇ではなかったのです。恐らくは大ミミズであったはずです」
そこまで言えば隣国出身のフィルくんならば分かるはずだ。
思った通り彼はハッとした顔をした。
「黄泉の国の穢れを撒き散らす大ミミズ……!」
「隣国の神話では黄泉の国には穢れを撒き散らす大ミミズがいると信じられている。その穢れを祓うには同じく黄泉の国に咲く仙人の花を食す必要がある。そういう逸話がありましたね」
天国のように美しい場所だと聞いたから大蛇のイメージが先行してしまった。
フィルくんのパーティメンバーも同じだったのだろう。まるで天国のようなフロアで巨大な長い魔物を見たから、咄嗟にそれがレイユン教の神話に出てくるような大蛇だと思ってしまった。
唯一隣国出身のフィルくんは真っ先に視界を塞がれたからその魔物の姿を見ることが出来なかった。それが事の真相である。
「しかし、何故ダンジョンに隣の国の神話にちなんだ魔物が……」
「それは分かりません。ともかく、これでフィルくんの目が治るかもしれないのだから試してみましょう」
何故突如として湧いて出てくるのか。
何故財宝が湧き出るのか。
すべてが謎に包まれたダンジョンに神話にちなんだ魔物が出現するという事実が何らかのヒントを指し示しているような気がした。
だが今はそんなことに思いを巡らしている場合ではない。
「ああ、そうだな。フィル、手を出してくれ」
フィルくんの差し出した手の平の上に小さな小さな睡蓮の花が乗せられる。
彼の手の平でも包み込めそうなほど小さな花だ。
「これを飲めばいいんですね」
「ああ」
彼は花を口の中に放り込み、ごくりと一飲みした。
そして……つっと彼の頬を一筋の涙が伝う。
「見える。見えます……っ。皆さんの顔が見えます……っ!」
かくして彼は視力を取り戻し、再び冒険者として働けるようになったのでした。めでたし、めでたし。
彼が視力を取り戻すのが、ボクが彼に手を出す前で良かったと胸を撫で下ろした。
自分のような腹黒神父がフィルくんのような純粋な少年の人生に絡むようなことがあってはいけない。
これまで通り、冒険者の一人と神父という関係性に戻るだけだ。
ボクは彼のために身を引くことを密かに決意した。
彼に一人で作業をさせる訳にはいかないので、彼に部屋の掃除などをしてもらう時はボクも一緒に掃除をする。
「フィルくん、その辺で大丈夫ですよ」
フィルくんが雑巾がけしてくれた床はすっかり綺麗になっている。目の見えない彼にそれで充分だと声をかけた。
「はいっ!」
顔を上げた彼にくすりと笑みが零れた。
彼の頬が汚れで黒くなっていたからだ。
「顔が汚れています。拭き取るのでちょっと顔を上げてもらえますか?」
「あ、はい」
彼が目を閉じて顎を上げる。
それが接吻を待つ乙女の顔のように見えて、ごくりと唾を嚥下した。
ふるふると首を振って雑念を追い払い、ハンカチで彼の顔を拭く。
「……」
顔を拭いても彼はそのままの姿勢だ。
「フィルくん、汚れは取れましたよ」
声をかけても姿勢は変わらない。
その代わり彼はおずおずと口を開いた。
「イザイアさんにお願いがあるんです」
「はい?」
珍しいことだった。
控えめな彼がボクにお願いとはいったい何だろう。
「あの……ほっぺじゃなくて、唇にキスをしてもらえませんか?」
「…………?」
ボクは……理性を試されているのか?
彼が何を言っているのか理解できなかった。
理解はできたが、自分の耳を疑った。もしや自分の欲望が都合よく彼の言葉を聞き間違えさせたのだろうかと。
「あ、あの、この間イザイアさんのキスが効かなかったのはもしかしたら頬っぺたにだったからかもしれません。唇にキスすれば、もしかしたら……」
二言目の彼の言葉に都合のいい聞き間違いでないことは分かった。
目を閉じたままの彼の頬は薄桃色に染まっている。
まるでフィルくんがボクに好意を抱いているかのようだ……いや、違う。そうじゃない。彼は危ういくらいに天然なのだ。
「フィルくん、大事なことを忘れていますよ。御伽噺の中でキスをして呪いが解ける時は、大抵それが真実の愛のキスであるときだけではないですか」
だからボクがキスをしても意味ないですよ、と言う。
これで彼も諦めてくれるだろう。
そう思ったのだが。
「少なくとも、僕はイザイアさんのことが好きです……! だから、キスをしてもらえませんか?」
ボクは今度こそ彼の口にした言葉に理解が及ばなかった。
……なに?
「え、あ……?」
狼狽えていると、彼の表情が曇る。
「……僕がイザイアさんのことを好きでも、イザイアさんは僕のことなんて何とも思っていないですよね。ごめんなさい忘れて下さい」
「待って下さい」
彼が踵を返して闇雲に走り出すのではないかと、咄嗟に彼の肩を掴む。
「決して何とも思っていないという訳では……」
何か彼を諦めさせる言葉を考えなければ、と思いあぐねて気が付く。
彼がボクのことを好いているというのならば、何の問題もないのでは?
ボクは神父として禁欲の誓いを守る気はさらさらない。
だとすればこの可愛らしい少年に愉しみを教えてあげるのもやぶさかではない……
「フィルくん。後悔しませんか?」
「はい?」
彼の耳元に囁きかける。
真っ赤な耳朶が食べてしまいたいほど愛らしい。
「どうせなら"すべて"試してみましょう。ボクたちは両想いなのですから」
「へ……?」
彼の華奢な腰に手を回す。「ひゃっ」と小さな悲鳴。
さて可愛い彼をどんな風に食べてしまおうかとほくそ笑んだその時だった。
「フィルーっ!! 目を治す方法が見つかったぞーっ!!」
教会の入口である礼拝堂の方から声が聞こえた。
誰かが入ってきたのだろう。
「目を治す方法が見つかったそうです、行きましょう!」
「は、はい……」
フィルくんの手を引き、礼拝堂へと急ぐ。
「フィルのことがあったから冒険者は誰もあのフロアを探索したがらなかったんだ。だが、絶対にあのフロアにフィルの目を治す手がかりがあるはずだと思って俺たちは協力を呼び掛けた。そしたらな……」
フィルくんが所属するパーティのリーダーが息せき切って説明する。
そしてパーティメンバーが革袋の中からあるものを取り出した。
それは小さな睡蓮の花だった。
「あの大蛇に毒液をかけられた他の魔物がこの花を食っていた。すると不調が治ったように見えた。フィルもこの花を食えば目が治るはずだ!」
「なるほど、隣国の神話か……!」
パーティリーダーの男の話にピンとくるものがあった。
「どういうことですか?」
フィルくんが不安そうに声のする方に顔を向けている。
ボクは己の信仰に疑問を持った折に一通りの宗教について調べた。その時に隣国の神話についても調べた。
「フィルくん、貴方にその目の呪い……いえ、穢れをかけたのは恐らく大蛇ではなかったのです。恐らくは大ミミズであったはずです」
そこまで言えば隣国出身のフィルくんならば分かるはずだ。
思った通り彼はハッとした顔をした。
「黄泉の国の穢れを撒き散らす大ミミズ……!」
「隣国の神話では黄泉の国には穢れを撒き散らす大ミミズがいると信じられている。その穢れを祓うには同じく黄泉の国に咲く仙人の花を食す必要がある。そういう逸話がありましたね」
天国のように美しい場所だと聞いたから大蛇のイメージが先行してしまった。
フィルくんのパーティメンバーも同じだったのだろう。まるで天国のようなフロアで巨大な長い魔物を見たから、咄嗟にそれがレイユン教の神話に出てくるような大蛇だと思ってしまった。
唯一隣国出身のフィルくんは真っ先に視界を塞がれたからその魔物の姿を見ることが出来なかった。それが事の真相である。
「しかし、何故ダンジョンに隣の国の神話にちなんだ魔物が……」
「それは分かりません。ともかく、これでフィルくんの目が治るかもしれないのだから試してみましょう」
何故突如として湧いて出てくるのか。
何故財宝が湧き出るのか。
すべてが謎に包まれたダンジョンに神話にちなんだ魔物が出現するという事実が何らかのヒントを指し示しているような気がした。
だが今はそんなことに思いを巡らしている場合ではない。
「ああ、そうだな。フィル、手を出してくれ」
フィルくんの差し出した手の平の上に小さな小さな睡蓮の花が乗せられる。
彼の手の平でも包み込めそうなほど小さな花だ。
「これを飲めばいいんですね」
「ああ」
彼は花を口の中に放り込み、ごくりと一飲みした。
そして……つっと彼の頬を一筋の涙が伝う。
「見える。見えます……っ。皆さんの顔が見えます……っ!」
かくして彼は視力を取り戻し、再び冒険者として働けるようになったのでした。めでたし、めでたし。
彼が視力を取り戻すのが、ボクが彼に手を出す前で良かったと胸を撫で下ろした。
自分のような腹黒神父がフィルくんのような純粋な少年の人生に絡むようなことがあってはいけない。
これまで通り、冒険者の一人と神父という関係性に戻るだけだ。
ボクは彼のために身を引くことを密かに決意した。
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