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番外編 幼き日の約束 中編

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 アンは実に飲み込みが早く、文字の一通りを私が軽く教えただけで覚えてしまった。
 こんなに頭の良い彼がどうして家庭教師の勉強についていけなくなってしまったのだろうか。
 私は疑問に思った。

 もしかすればアンの家庭教師がよほど無能なのかもしれない。
 その可能性を疑った私は、アンの部屋に隠れて家庭教師との勉強風景を見張ることにした。
 当時の私もまだほんの八歳の子供だったのだ。思い返すと馬鹿なことをしたものだ。

 次の日、私は誰もいない時を狙ってアンの部屋に忍び込み、ベッドの下に隠れた。アンの勉強机が見える位置だ。
 そしてアンの勉強時間になるのを待った。

 またしても逃げ出そうとしたらしきアンが爺やに引っ張られて渋々部屋に入ってきた。後から家庭教師も入ってくる。
 アンはきちんと勉強するように爺やに言い含められているようであった。
 やがて爺やが退室し、家庭教師による授業が始まった。

「それではアントワーヌ様、今日はこの詩の朗読をお願いします」

 詩の朗読という言葉に私は耳を疑った。
 なにせアンは昨日まで文字を読めなかったのだ。
 この家庭教師はきちんとアンのレベルを知っているのだろうか。

「もじよめないもん」

 予想通りアンは文字が読めないと訴えた。
 昨日私が教えたのだからまったく読めないという事もないと思うが。

「……何を仰いますやら。アントワーヌ様は四歳の時には既に文字が読めるようになっていたと伺いましたが」

(え……!?)

 アンの家庭教師は短期間にコロコロ変わっていると聞く。

 だが、四歳の時にもう文字が読めた?
 アンは私に嘘を吐いたのか?
 私の頭の中は疑問でいっぱいになった。

 昨日は楽しく私のレッスンを受けていると思ってたのに。本当は私から何も教わる気などなかったのだろうか。

 その後アンが渋々詩の朗読を始めたことからして、彼が文字を読めるというのはどうやら事実のようであった。

「大変よろしいですね。では書き取りを行ってください」

 アンはこれまた渋々といった様子で白墨を手に取って書き取りを始めた。
 同じ詩を何度も何度も手元の携帯黒板に書き写す行為にうんざりしているといった様子で溜息を吐いた。

「アントワーヌ様……?」

 すぐにアンの手は止まってしまったようだ。

「何をご覧になっているのですか?」

 アンはあらぬ方向に視線を向けている。
 上の方を見つめているから、きっと天井の木目が気になっているのだろう。
 まだ幼いアンは時折どうでもいいものに注意が向いてしまうのだ、ということを私は知っている。

「まさかそこに……何かがいるとでも……?」

 だが天井の木目が気になっていると知らない家庭教師の声は震え出した。
 彼の目にはアンが見えないものを見つめているように見えたようだ。
 彼の神秘的な美しさも相まって、そんな風に見えてしまうのだろう。

「アントワーヌ様、お願いだからこちらを向いてください……!」

 家庭教師の声にもアンは振り向かない。
 幼いアンは家庭教師が怯えていることも、何故怯えているのかも気づいていないのだろう。

「アントワーヌ様ッ!」

 遂に恐怖が最高潮に達した家庭教師は、衝動的にアンが手にしているペンを叩き落した。
 アンは何が起こったのか分からず、呆然としている――――。
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