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第三十八話 アランから見た新しい主

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 アランは常々、自らの主……シルヴェストルは王の器ではないと思っていた。

 自分に自信がなく、常に苛ついている。イラついている感情が容易に表に出る。他人に当たり散らす。
 彼が王になった日には、この国はどうなることやら。

 もちろん、彼が痛ましいほどの努力をしていることは知っている。
 だが王ともなれば、この国のすべてを背負うことになるのだ。国民の命は王に左右されることになる。
 努力さえしていればいいなどという次元ではない。

 アランは己の主人の努力が空回りしているのを見て、王の器に相応しくないのに王太子になってしまった人間は哀れだな、と憐憫の情を抱くのだった。

「はあ……」

 故郷から近況を尋ねる手紙が届くたび、アランは返事に悩んだ。

 アランの父親は、領主をしている。ギミョーム地方のトゥーレット領の領主だ。
 領主といっても裕福な生活をしているわけではなく、自らも肉体労働をしなければならないほど困窮している。
 城にはヴァニンの醸造所があり、使用人や小作人が出入りしていて、家族ぐるみでルコッコを育てている。

 手紙の返事を考えながら、アランは家族の顔を思い浮かべる。父に母に兄に姉に弟に妹に祖父に祖母に……。
 自分の緑色の髪と瞳は、父譲りだ。兄弟姉妹も緑の髪を持つ者は多い。アランは自分の髪色と瞳の色が好きだった。

 だが、領地持ちの貴族でありながら、泥と汗にまみれて働かねばならない日々は嫌いだった。
 日中働いたあと、夜はちびた蝋燭に火をつけ、税金関係の書類に目を落としては溜息を吐いている父の姿を見て、誰が好きになれようか。
 
 幸い、アランは剣の腕が立った。地元では負け知らずだった。
 だから王都に上がり、そこで身を立てようと一大決心した。
 アランは順調に出世し、ついには王太子の護衛騎士となった。この年齢では、これ以上はない地位だろう。

 家族も喜んでくれた。
 アランもまた、自分は田舎臭いトゥーレットから脱出したのだと息巻いていた。

 けれども、今では家族からの手紙になんと返事したらよいか、わからなくなっていた。
 今の日々を無為に感じているから。無為に感じる理由は、自分の主人が好きになれないからだ。
 王に相応しくないとわかっている王太子を守る日々に、意味が感じられようか。

 結局、アランはいつも当たり障りのない返事をしたためるのだった。
 
 ところがある日、シルヴェストルが変化した。
 きっかけは、彼の弟と出会ったことだった。

 移動のために城の廊下を歩いている最中、金色のふわふわの物体がとてとてと駆けてきた。
 その子供が危うくぶつかりそうになった時点で、自分の主人がイラつきを覚えているのを感じた。
 金髪碧眼の子供はリュカ、シルヴェストルの弟だ。だが、リュカの方はシルヴェストルのことを覚えていなかったようだ。
 背中を見るだけで、シルヴェストルの怒りが頂点に達しかけていることがわかった。

 アランは貴族として護衛騎士として、感情を表に出さない術を身につけている。
 だから無表情だったが、内心ではこんな小さな子にまさか当たらないだろうなとハラハラしていた。

 シルヴェストルは懸命に怒りを抑え、すれ違いざまに軽くぶつかる程度で済ませた。
 尻餅をついたリュカは泣き出すかと思えば、なんと走ってきて後ろからシルヴェストルに抱き着いたのだった。

 リュカは自分の兄に素直に好意を示し、シルヴェストルもまたまんざらでもないようだった。

 それからシルヴェストルは、上機嫌でいることが多くなった。弟の存在一つが、一人の人間をここまで変えるとは。彼に必要だったのは、愛だったのだとアランは気がついた。

 それからアランはシルヴェストルのことが好きになれたのかというと、そうではなかった。
 正確には、多少は好感を持てた。しかし相変わらず王に相応しい人には思えなかった。

 なにせ、上機嫌なときでも護衛騎士の自分を小間使い代わりにこき使うのだ。側仕えが全員やめてしまった現状を改善しようともしない。
 アランには、シルヴェストルという人間の底が見えたように思えた。

 ヨクタベレール商会を呼んだころからだろうか。
 ひたむきに努力するところは評価していたのに、シルヴェストルは弟と一緒だとぐうたらとスイーツとやらを貪るようになってしまった。
 王室費を無駄遣いして、甘いものを食べて。怠惰な主人の姿に、アランはイラつきを覚えていた。
 弟と一緒にスイーツを貪っている時間があれば、その間に剣術の鍛錬でもした方がいいのに。

 イラつきを覚えるのは、領主である父が領地から税金をかき集めるのにどれだけ苦労しているか、知っているからだ。
 貴重な税金が、スイーツ代に消えていくなんて。
 
 護衛騎士扱いされず、何度もおつかいをさせられ、リュカに果汁をぶちまけられた瞬間、アランの怒りは爆発した。
 
「毎日毎日、二人でスイーツを貪り食って。王室費を浪費して。国民がどんな思いで納めた血税か、わかっているんですか。俺の親は領主であるにも関わらず領地が貧しすぎて、自ら農夫の真似ごとをして畑を耕さねばならないほどです。そうまでしてやっと納めた税金が、こんな使われ方をするなんて……!」

 一気に吐き出したあと、ハッと青褪めた。
 イライラして当たるなんて、これでは嫌悪していたシルヴェストルの行動と一緒だ。

 護衛騎士としてしてはならないことをしてしまったと悟った。主人がどんなに尊敬できない人物だとしても、護衛するのに人格は関係ないはずなのに。

 アランは護衛騎士を辞退すると言い放ったあと、部屋を去った。
 護衛騎士を辞めてどうするのだろう。家族に何と言おう。アランは悩んだ。

 どうすればいいかわからず、自室に籠って鬱々と一日を過ごした。

 翌日のことだった、仕方のない人間であるアランをわざわざ訪ねてきてくれる者があった。
 なんと第二王子のリュカであった。
 ふわふわの金髪が視界の下の方に見えた瞬間、アランは心臓が止まるかと思った。

 リュカは謝罪の言葉と共に、クッキーの入った袋を差し出してきた。
 謝らなければならないのは自分の方なのに。こんな小さな子供に、自分は苛立ちをぶつけてしまった。

 話の流れで彼と共にお茶をすることになり、そのさなかで教えてもらった。
 スイーツを食べるのに王室費は使っていないのだと。自分が知らない間に、彼らはヨクタベレール商会と契約を取り交わしていたようだった。

 無駄遣いではなかったのだ。
 アランは今すぐシルヴェストルに謝りたくなった。
 
 別に王になる使命を帯びて重責を課されているわけでもない自分が、苛立ちを主人にぶつけてしまった。相手は十二歳の少年で、自分は大人なのに。
 自分の方が、よほど未熟者だ。
 相手は護衛や側仕えに次々と辞任された王太子だから、とどこかで軽んじてしまっていたのかもしれない。

 だが謝ろうにも、相手は王太子だ。こんな不敬を犯した自分には、もう会ってくれないだろう。

 内心で落ち込んでいると、リュカが話を持ちかけてきた。
 トゥーレット領の名物になるスイーツのレシピを教えるから、自分の護衛騎士になってほしいと。

 アランは考えさせてくださいと言って、その場では返事を避けた。

 リュカの提示したレシピは魅力的だった。少しでも故郷の助けになれるならば、と思ってしまう。
 それにまた王子の護衛騎士に戻れるのも魅力的だ。家族への言い訳を考えなくて済む。

 だがこんなにも簡単に、主を変えていいものだろうか。
 変えるも何も、シルヴェストルの護衛騎士はもう辞めたのだが。
 なんとかしてシルヴェストルの護衛に戻るのが、筋ではないだろうか。

 アランは数日間悩んだ。
 悩みに悩み抜いた末に、結論を出した。

 シルヴェストルの護衛に戻ろうとするのは、自分のエゴでしかないと。シルヴェストルの方は、望んでいないだろう。

 それに……新しく主になろうとしている金髪碧眼の子供の方は、自分を見てくれた。自分の故郷を知ろうとしてくれた。自分が何を欲しているか知り、交換材料として提示してくれた。
 それは、王に必要とされる能力の一つなのではないだろうか。
 彼の方が王に相応しい。彼に仕えたい。アランはそう思うのを、どうしても止められなかった。それが決め手となった。

 リュカの護衛騎士になる旨を連絡し、厨房に赴いてプリンなるスイーツのレシピを教えてもらえた。
 アランは早速家族への手紙をしたため、故郷でナミニの実を量産してほしいことと、スイーツのレシピを伝えた。

 これで父の苦労が、少しは軽くなるだろうか。
 なってくれると思いたい。期待できるほど、口にしたプリンの美味しさは素晴らしかった。

「ねえ、アラン……」

 皆でプリンを食べ終わったあと、新しい小さな主がおずおずと話しかけてきた。

「おにいちゃまにもプリンもっていこう? べつに、アランをとったこと、やっぱりあやまろうとかおもったわけじゃないけれど……」

 もじもじとしている様に、くすりと微笑んでしまう。

 考えていることは同じなようだ。
 許されるとは思わないけれど、アランもシルヴェストルに会えたら謝罪するだけしておきたいと思っていた。

 アランは新しい主に既に好感を抱いていた。
 
 自分は主人を変えてしまった悪い騎士だ。
 だが、この新しい主を何が何でも守らねばならない。それが自分の新しい使命だ。
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