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第三十五話 アラン、堪忍袋の緒が切れる

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「うーん、うまーい」

 ぼりぼり、ぼりぼり。
 皿の上に盛られているたくさんのクッキーを手で鷲掴みにして、口の中に放り込んでむさぼる。
 バラバラとクッキーの欠片がテーブルの上と膝の上に落ちたが、そんなのは気にならない。

「ナム酒に漬けたションバーの実は、パウンドケーキに入れても美味いのだな」

 ぼくの隣で、シルヴェストルお兄様が上機嫌にナムションバー入りパウンドケーキを食べている。

 ぼくらは最近、ずっとこんな調子だ。
 ヨクタベレール商会と契約してからというもの、二日に一回スイーツを運んできてもらえるので、スイーツ食べ放題なのだ。
 
 クッキーやパウンドケーキの美味しさが城の中で広まってきて、料理人たちは毎日スイーツ作りで忙しいらしい。
 そんな中、ぼくたちの分のスイーツは作らなくてよくなって助かっているそうだ。

「おいアラン、次のスイーツを持ってこい」

 シルヴェストルお兄様が、側に控えていたアランに命令する。
 アランはいつも無表情な顔を、わずかに曇らせる。
 緑髪に緑色の瞳のアランは、顰め面をしてもイケメンだ。

「シルヴェストル殿下、俺は護衛であって側仕えではありません」
「そこにいるんだから、別にいいだろ」
「なりません。いつもお側にいなくては、万が一の際に殿下をお守りできません」
「ぐちぐち細かいなあ、いいから持ってこいよ」
「……かしこまりました」

 アランは溜息をつくと、部屋の外へと出ていった。
 氷室でスイーツが冷やされているから、氷室まで取りに行ってくれたのだ。
 アランは親切だなあ。

「そうだ、わすれてた!」

 膝の上のクッキーを払って、ぼくは長椅子から飛び降りた。

「シーニュの実とナミニの実をまぜて、あまずっぱいソースをつくろうとおもってたんだった!」

 いつかやろうと思ったまま、ずっと忘れていた。ここのところ、ずっと忙しかったからね。

 甘酸っぱいソースを作れれば、きっとスイーツに利用できるはずだ。例えばバターサンドのフィリングに混ぜて、甘酸っぱいバターサンドを作ったりとかね。

「そうか、なら今から厨房に向かうか?」
「ううん、じぶんでまぜたい! あまさとすっぱさのびみょーなバランスはりょうりにんなんかにまかせられないの!」

 シーニュの実とナミニの実を潰して混ぜるだけならば、ぼくにもできるはずだ。
 ぼくは自信に満ち溢れていた。

「スイーツを持って参りました」

 ちょうどその時、アランがスイーツの載った皿を手に戻ってきた。

「ちょうどいいところに戻ってきた。アラン、今度は厨房に行ってシーニュの実とナミニの実と、それらを混ぜる器具を取ってこい」

 お兄様はすかさず命令を下した。

「は? ……かしこまりました」

 一瞬「は?」って聞こえたような気がしたけれど、気のせいだろう。だってアランは親切でお兄様に忠実なのだから。ほら、いかにも主人に忠実な騎士っぽい無表情さだよね。

 アランは大人しく踵を返し、部屋を去った。
 シルヴェストルお兄様の命令に従ったのだ。

 それからほどなくして、アランが戻ってきた。
 手にフルーツがいっぱい入ったボウルと木べらを持っている。

「わーい、ありがとー!」

 アランがローテーブルにそれらを置いてくれた。
 ぼくは木べらを手に取ると、早速ボウルの中に入っているシーニュの実とナミニの実を潰し始めた。
 まず初めは、シーニュの実とナミニの実は一個ずつだ。ナミニの実の甘みが相当強いので、結構食べやすい味になるはずだ。

「えい、えい!」

 フルーツの果汁が、あちらこちらに飛び散る。
 ナミニの果汁は透明だからいいが、シーニュの実は赤いから目立つ。布についたら染みになるかもね。
 でもいいや、掃除や洗濯するのはぼくじゃないし。

「ううーん、うまくまぜられないよー」

 フルーツを潰して混ぜるのなんて簡単だと思っていたのに、上手く潰れないし混ざってくれない。そもそも片手でボウルを支えながら、木べらを動かすのが難しい。四歳児の腕がこんなに不器用だったなんて。

「おいアラン、手伝ってやれ」

 シルヴェストルお兄様が、顎でしゃくってアランに命令した。

「……」

 アランが黙ってこちらに向かってくる。なんだか足取りに異様に威圧感がある気がする。怒ってる……?
 ぼくを助けるために、アランはローテーブルの前で跪く。

 その時だった。

「あっ!」

 手が滑ってしまい、ぼくの手元からボウルが飛んでいってしまった。
 ボウルは目の前にいるアランへと飛んでいき、アランの顔と服に派手に果汁を撒き散らした。

「……」

 場に沈黙が下りた。
 アランの髪の毛から、ぼたぼたと果汁が滴り落ちる。

「……いい加減にしてください」

 アランの声は怒りに震えていた。

「毎日毎日、二人でスイーツを貪り食って。王室費を浪費して。国民がどんな思いで納めた血税か、わかっているんですか。俺の親は領主であるにも関わらず領地が貧しすぎて、自ら農夫の真似ごとをして畑を耕さねばならないほどです。そうまでしてやっと納めた税金が、こんな使われ方をするなんて……!」

 アランは悔しそうに表情を歪めている。初めて見たアランの仏頂面以外の表情だった。

「……っ!」

 自分が何を口にしてしまったのか、後から気づいたかのように、アランははっと口に手を当てる。

「……申し訳ありません。俺は護衛騎士としてあるまじき発言をしました。責任を取り、シルヴェストル殿下の護衛を辞任します」

 青い顔をしたアランは、くるりと踵を返した。

「あ、おい、待て!」

 シルヴェストルお兄様の制止も聞かず、アランは部屋を飛び出していった。

「……もしかして、ぼくのせい?」

 さしものぼくも申し訳ない気持ちになりながら、シルヴェストルお兄様を振り返った。

「いいや、オレのせいだ。リュカのせいなんかじゃない。オレに仕える者はみんな辞めていくんだ。側仕えにも全員辞められて、残ったのはアランだけだったのに……ついにアランまでいなくなるのか」

 シルヴェストルお兄様はうなだれた。
 今までアランしかついてきているのを見たことがないと思っていたけれど、まさか全員辞めていたとは。

「おーたいしなのにおつきのひとがぜんいんやめちゃったなんて、すごいねおにいちゃま」
「ぐ……っ!」

 ぼくの言葉にダメージを受けたかのように、お兄様は唸った。

「それにしてもアランの実家って、りょーしゅなんだね。しらなかった」
「領主と言っても、南方の僻地さ。アランは士官して王都に上がってきて、剣の腕が立つから王太子の護衛騎士まで上り詰めたのだ」
「やめちゃったけどね」
「ぐ……っ!」

 お兄様がまた唸ったその時、ぼくの頭の中を掠める考えがあった。

「ねえ、なんぽーのりょーちっていった?」
「あ、ああ」
「アラン、親がのーふの真似ごとしてるっていってたよね。つまり、のーぎょーがさかんなところってことだよね」
「正確には……ギミョーム地方のどこかだったかな。たしかに農業の盛んなところだ」
「ふーん……」

 ぼくは目をきらーんと光らせた。
 いいことを思いついたのだ。
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