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第十四話 シルヴェストルから見た可愛い弟(前編)
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緩やかな曲線を描く赤い癖毛。赤い瞳が内側に収められたツリ目。十二歳とは思えぬ酷いクマの浮いた顔。
どれをとっても、理想の「王子様」にはほど遠い。
それがシルヴェストルが鏡を覗いたときに見える、自分の顔であった。
鏡を見つめながらシルヴェストルは前髪を横に流し、撫でつけた。
シルヴェストルは、生まれながらに王太子だったわけではない。
三歳年上の異母兄がいた。その兄が王太子だった。
兄の名をリオネルと言った。
リオネルは金髪碧眼で、物語に出てくるような理想の「王子様」だった。
性格がよくて人望があり、勉学においても優秀な成績を修めていた。
そんな兄とシルヴェストルは、ことあるごとに比べられた。
「その程度の成績で、リオネルに勝つつもりはあるの! いつかは王太子の座を奪い取って、あなたが王にならなきゃいけないのよ!」
母はシルヴェストルを叩いて、夜遅くまで勉強させた。目元のクマは、寝不足によるものだ。
シルヴェストルの母親と、正妃であるリオネルの母親は派閥が違う。
母は派閥の力を強めるために、シルヴェストルにリオネルを蹴落とさせたいのだ。
だがどんなに努力を重ねても、リオネルのように優秀になれることはなかった。年齢差を差し引いても、二人はあまりにも差がありすぎた。
「金髪碧眼の王子様」への劣等感が、シルヴェストルの中に積み重なっていった。
ただ母に褒めてもらいたくて努力を重ね、そして望みが叶えられることは決してなかった。
それがある日、リオネルは事故で死んだ。
繰り上がりでシルヴェストルが王太子となった。
邪魔者はいなくなった。これで自分は母に褒めてもらえる。そう思っていた。
「まだこの程度の魔術しか使えないの⁉ リオネルがあなたの年だったころには、もっと高度な魔術を使っていたわ!」
リオネルが死んだ後もなお、リオネルと比べられるだけだった。
何をしてもリオネルと比べられる。
そのうちリオネルの享年を自分の年齢が超えても、「リオネルが生きていたらもっと優秀な成績を修めていたに違いない」と比べられるのだろう。
リオネルが死んだことにより、リオネルを超えることは決してできなくなった。変わったのはそこだけだった。
そんな日々を過ごしているうちに、正妃が第二子を産んだ。シルヴェストルにとっては、異母弟に当たる。
リュカという金髪碧眼の赤子だそうだ。
金髪碧眼と聞いただけで、その子は自分を追い越すのだろうと思った。いつか自分を王太子の座から追いやるのだろうと。
不安を裏付けるかのように、宮廷占術士がある予言をもたらした。
弟が将来シルヴェストルを弑逆し、玉座を簒奪すると。
やはりな、という気分だった。
「金髪碧眼の王子様」は自分を超えていき、やがて何もかもを奪っていくのだろう。
リュカがただの野心に満ち溢れた簒奪者になるならばまだしも、人望のない王になった自分を排除するために、人々に望まれてリュカが立ち上がるのだとしたら。自分の名は、悪の王として歴史に名を刻まれるのだろう。
その可能性が恐ろしかった。
自分は誰からも好かれていない。そんなことはわかっている。
実際、護衛のアランだっていつも冷ややかな視線で自分を見つめている。そこに含まれている感情は、軽蔑だ。
幸いにして、リュカは身体が弱いと伝え聞いた。上手くすれば、簒奪者になることなく夭逝してくれるかもしれない。
宮廷占術士の占いは、必ず当たるといった類のものではない。数ある可能性のうち一つを占うものだ。
シルヴェストルはリュカという弟の存在を忘れて、生きていた。
唐突にそれが変わったのは、ある日の城の廊下でのことだった。
リュカの方から、シルヴェストルにぶつかってきたのだ。あろうことか、リュカは自分のことを覚えていなかった。
「お前など覚えておくに値しない男だ」と言われた気がした。
怒りと憎悪を覚えた。
その場で手を上げないためには、相当な忍耐力を要した。
立ち去る際に腹立ちまぎれに少しぶつかってやったことくらい、許されるだろう。
ところが。
ところがだ。
あろうことか、リュカは後ろから抱き着いてきた。
久方ぶりに感じた、他人の体温だった。
『ぼく、おにいちゃまとなかよくしたい!』
なんて馬鹿みたいなセリフまで吐いて。
まったく馬鹿なガキだ。
こんな馬鹿なガキが、リオネルと似ているはずがない。
小さなガキのことを警戒して、勝手に怒りや憎しみを感じていたことが、瞬時に馬鹿らしくなった。
それから数日後のこと。
リュカから突然、先触れが来た。シルヴェストルの部屋を訪れたいという内容だった。
そんな願い、聞き入れてやる必要はない。
だが……もう一度会ったら、あの弟はまた人懐っこく「おにいちゃま」と呼んでくれるのだろうか。
小さな身体に抱き締められた感触を思い出す。
もう一度くらい、会ってやってもいいだろう。いろいろと聞きたいこともあることだし。
そう考えたシルヴェストルは、訪問の許可を出した。
部屋に来たリュカはやっぱり馬鹿みたいに人懐っこくて、勝手に長椅子によじ登って座った。
聞けば、リュカは生死の境を彷徨ったくらい弱っていたのだとか。
この間突き飛ばしてしまったことを思い出し、ズキンと胸が痛むのを感じた。
病弱なのは知っていたし、夭逝してくれればいいとすら思っていた。なのに、シルヴェストルは罪の意識を覚えてしまった。
罪の意識を覚える自分に、リュカはこう言い放った。
『だってね、おにいちゃまは世界一かっこいいぼくのおにいちゃまなの! おにいちゃまがおにいちゃまで、うれしいの!』
どうかしている、こんな格好の悪い男を世界一かっこいいだなんて。
異母兄弟なんて本来ならば敵同士なのに、兄で嬉しいだなんて。
この小さな生命体に、これ以上警戒心や怒りや憎悪を抱き続けることは不可能だった。
「オレがお前を庇護してやろう。オレはお前の兄なんだからな」
シルヴェストルが宣言すると、リュカは素直に喜んだ。
こんな自分が兄になって、リュカは本気で嬉しいのだ。胸の中に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
それからリュカは、とある料理を作りたいのだと言い出した。オリジナルレシピだから、誰も作ってくれないのだと。
なんだそれは、こんな小さな愛らしい生物のワガママくらい叶えてやれなくてどうする。
シルヴェストルは使命感を感じた。必ずリュカに、ワガママ放題できる日々を送らせてやると。
自分が、そう扱われたかったから。
どれをとっても、理想の「王子様」にはほど遠い。
それがシルヴェストルが鏡を覗いたときに見える、自分の顔であった。
鏡を見つめながらシルヴェストルは前髪を横に流し、撫でつけた。
シルヴェストルは、生まれながらに王太子だったわけではない。
三歳年上の異母兄がいた。その兄が王太子だった。
兄の名をリオネルと言った。
リオネルは金髪碧眼で、物語に出てくるような理想の「王子様」だった。
性格がよくて人望があり、勉学においても優秀な成績を修めていた。
そんな兄とシルヴェストルは、ことあるごとに比べられた。
「その程度の成績で、リオネルに勝つつもりはあるの! いつかは王太子の座を奪い取って、あなたが王にならなきゃいけないのよ!」
母はシルヴェストルを叩いて、夜遅くまで勉強させた。目元のクマは、寝不足によるものだ。
シルヴェストルの母親と、正妃であるリオネルの母親は派閥が違う。
母は派閥の力を強めるために、シルヴェストルにリオネルを蹴落とさせたいのだ。
だがどんなに努力を重ねても、リオネルのように優秀になれることはなかった。年齢差を差し引いても、二人はあまりにも差がありすぎた。
「金髪碧眼の王子様」への劣等感が、シルヴェストルの中に積み重なっていった。
ただ母に褒めてもらいたくて努力を重ね、そして望みが叶えられることは決してなかった。
それがある日、リオネルは事故で死んだ。
繰り上がりでシルヴェストルが王太子となった。
邪魔者はいなくなった。これで自分は母に褒めてもらえる。そう思っていた。
「まだこの程度の魔術しか使えないの⁉ リオネルがあなたの年だったころには、もっと高度な魔術を使っていたわ!」
リオネルが死んだ後もなお、リオネルと比べられるだけだった。
何をしてもリオネルと比べられる。
そのうちリオネルの享年を自分の年齢が超えても、「リオネルが生きていたらもっと優秀な成績を修めていたに違いない」と比べられるのだろう。
リオネルが死んだことにより、リオネルを超えることは決してできなくなった。変わったのはそこだけだった。
そんな日々を過ごしているうちに、正妃が第二子を産んだ。シルヴェストルにとっては、異母弟に当たる。
リュカという金髪碧眼の赤子だそうだ。
金髪碧眼と聞いただけで、その子は自分を追い越すのだろうと思った。いつか自分を王太子の座から追いやるのだろうと。
不安を裏付けるかのように、宮廷占術士がある予言をもたらした。
弟が将来シルヴェストルを弑逆し、玉座を簒奪すると。
やはりな、という気分だった。
「金髪碧眼の王子様」は自分を超えていき、やがて何もかもを奪っていくのだろう。
リュカがただの野心に満ち溢れた簒奪者になるならばまだしも、人望のない王になった自分を排除するために、人々に望まれてリュカが立ち上がるのだとしたら。自分の名は、悪の王として歴史に名を刻まれるのだろう。
その可能性が恐ろしかった。
自分は誰からも好かれていない。そんなことはわかっている。
実際、護衛のアランだっていつも冷ややかな視線で自分を見つめている。そこに含まれている感情は、軽蔑だ。
幸いにして、リュカは身体が弱いと伝え聞いた。上手くすれば、簒奪者になることなく夭逝してくれるかもしれない。
宮廷占術士の占いは、必ず当たるといった類のものではない。数ある可能性のうち一つを占うものだ。
シルヴェストルはリュカという弟の存在を忘れて、生きていた。
唐突にそれが変わったのは、ある日の城の廊下でのことだった。
リュカの方から、シルヴェストルにぶつかってきたのだ。あろうことか、リュカは自分のことを覚えていなかった。
「お前など覚えておくに値しない男だ」と言われた気がした。
怒りと憎悪を覚えた。
その場で手を上げないためには、相当な忍耐力を要した。
立ち去る際に腹立ちまぎれに少しぶつかってやったことくらい、許されるだろう。
ところが。
ところがだ。
あろうことか、リュカは後ろから抱き着いてきた。
久方ぶりに感じた、他人の体温だった。
『ぼく、おにいちゃまとなかよくしたい!』
なんて馬鹿みたいなセリフまで吐いて。
まったく馬鹿なガキだ。
こんな馬鹿なガキが、リオネルと似ているはずがない。
小さなガキのことを警戒して、勝手に怒りや憎しみを感じていたことが、瞬時に馬鹿らしくなった。
それから数日後のこと。
リュカから突然、先触れが来た。シルヴェストルの部屋を訪れたいという内容だった。
そんな願い、聞き入れてやる必要はない。
だが……もう一度会ったら、あの弟はまた人懐っこく「おにいちゃま」と呼んでくれるのだろうか。
小さな身体に抱き締められた感触を思い出す。
もう一度くらい、会ってやってもいいだろう。いろいろと聞きたいこともあることだし。
そう考えたシルヴェストルは、訪問の許可を出した。
部屋に来たリュカはやっぱり馬鹿みたいに人懐っこくて、勝手に長椅子によじ登って座った。
聞けば、リュカは生死の境を彷徨ったくらい弱っていたのだとか。
この間突き飛ばしてしまったことを思い出し、ズキンと胸が痛むのを感じた。
病弱なのは知っていたし、夭逝してくれればいいとすら思っていた。なのに、シルヴェストルは罪の意識を覚えてしまった。
罪の意識を覚える自分に、リュカはこう言い放った。
『だってね、おにいちゃまは世界一かっこいいぼくのおにいちゃまなの! おにいちゃまがおにいちゃまで、うれしいの!』
どうかしている、こんな格好の悪い男を世界一かっこいいだなんて。
異母兄弟なんて本来ならば敵同士なのに、兄で嬉しいだなんて。
この小さな生命体に、これ以上警戒心や怒りや憎悪を抱き続けることは不可能だった。
「オレがお前を庇護してやろう。オレはお前の兄なんだからな」
シルヴェストルが宣言すると、リュカは素直に喜んだ。
こんな自分が兄になって、リュカは本気で嬉しいのだ。胸の中に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
それからリュカは、とある料理を作りたいのだと言い出した。オリジナルレシピだから、誰も作ってくれないのだと。
なんだそれは、こんな小さな愛らしい生物のワガママくらい叶えてやれなくてどうする。
シルヴェストルは使命感を感じた。必ずリュカに、ワガママ放題できる日々を送らせてやると。
自分が、そう扱われたかったから。
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