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第十九話

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 平和な日々が過ぎていった。 
 食事の際には共に食事を摂り、巨大な湯舟にはふたりで浸かり、暇なときにはハオハトに文字を教えてもらった。時には一緒に笛の音を聞くこともあった。
 彼が人の身として顕現できる時間が切れて屋敷から去り休んでいるときは、常に彼を恋しく思って過ごした。
 幸せだった。
 こんな時がずっと続けばいいのに。ウエルは心から願っていた。


「ウエル、随分といろんな文字を書けるようになったね」
 
 ウエルはいつものようにハオハトに文字を教わっていた。彼に褒められ、照れ臭くって頬を赤らめる。
 
「そうかな?」
「そうだよ」
 
 彼は優しく肯定してくれる。
 
「でも、まだまだハオハトみたいに綺麗に書けないし……」
「それはこれからでいいんだよ」
 
 笑みを零した彼の吐息を、ふっと肌で感じた。
 
「あ……」
 
 一気にウエルの顔が熱くなった。
 文字を書くときが、互いの距離が一番近くなる。だからだろうか、近頃文字を教わっている最中に変になってしまうことがある。
 
 今も、下腹の奥が熱くなってしまっていた。まるで初夜に変なものを盛られたときのようだ。
 ウエルも初心ではない。これが性欲というものだと分かっていた。
 
「どうしたのウエル、顔が赤いよ?」
 
 彼は不思議そうな顔を浮かべると、大胆な行動を取った。
 ぴとりと額と額をくっつけたのだ。彼の顔がすぐ間近にある――――口づけを連想してしまう。
 
「ひゃ……!」
 
 反応してはいけない場所が反応してしまったのがわかった。
 下腹が重くなる。
 
「ご、ごめん、厠言ってくる……!」
「ウエル、大丈夫かい?」
 
 心配そうな声を背後に置き去りにして、ウエルは厠に駆けた。
 屋敷の厠は、穴が空いていてそこに用を足すと真っ暗闇の中に足したものが消えていく仕組みになっている。ウエルしか使用する者はいない。
 ウエルは衣服を寛げて、下半身を出した。
 
「はあ……」
 
 前が熱を持ってしまっていた。
 ウエルはここで処理することにした。穴の中に流してしまえば、気づかれないだろう。
 茎を握り、自身を刺激していく。
 
「ん……っ」
 
 性的快感に、かすかな吐息を漏らす。
 最近は、こうして抜くことが増えた。原因はわかりきっている。
 
「ハオハト……っ」
 
 頭の中では、無理やり手籠めにされたときを思い浮かべていた。嫌だったはずなのに。今ではほしくてたまらなかった。
 
「ハオハト、ハオハト……!」
 
 先走りの液が、扱くたび濡れた音を立てる。
 貫かれたまま彼の大きく白い手に自身を包まれ、扱かれた。あの晩の感触を必死に頭の中で再現し、自分を慰める。
 
「あ、あぁ……っ!」
 
 白い液体が飛び出し、厠の穴の中に消えていった。
 
「はあ……」
 
 彼はウエルの嫌なことは二度としないと誓って、それきり手を出してくることはなくなった。けれどウエルが嫌がっていないことを伝えれば、彼はまた抱いてくれるだろう。
 わかっているのだが、恥ずかしくて言い出せなかった。
 だって、まだ「好き」の一言すら伝えていない。それを飛び越して抱いてほしいなどと伝えられるわけがない。そんな自分、到底想像がつかなかった。どうやってそんな恥ずかしいことを伝えろというのか。
 それに、受け入れるとなればこのお腹の中に彼の子を孕まなければならないのだろうか。ウエルは覚悟をまだ決められそうになかった。
 
 まっすぐ部屋には戻らず、浴場に寄って手早く身を清めてから部屋に戻ったので時間がかかってしまった。ハオハトが心配しているかもしれない。彼は過保護なところがあるから。お腹を壊していると思われてしまうかな。
 
「ごめん、ハオハ……ト……」
 
 部屋に入るなり、ウエルは固まった。
 彼が、虚ろな目で宙を見つめながら涙を流していたからだ。
 不意に彼の部屋を訪れると、文字通り「何もしていない」ことがあって吃驚することはある。だが、それとは明らかに様子が違った。
 
「ハオハト、どうしたんだ!?」
「あれ、ウエル……? 本当にそこにいるのかい……?」
 
 声をかけると、彼は茫洋とした視線を向けてきた。まるでウエルのことがわかっていないみたいな視線に、心細さを覚えた。
 
「ああ、ごめん。そうか、ウエルはお手洗いに行っていたのだったね。ちょっと……ぼうっとしてしまっていたよ」
 
 本当だろうか。ただぼうっとしていただけには見えなかった。
 
「さあ、もっとたくさん文字を教えてあげようね。それとも、もう疲れちゃったかい?」
 
 彼が笑顔を浮かべてくれたので、ウエルは一安心した。
 
「まだまだ!」
 
 彼に何が起きたのか分からないが、聞いても教えてくれそうにない。いつか教えてくれるだろうか。
 だが、この日を境に彼の異変は度を増していった。


 それから、同じようなことが何度もあった。
 日を重ねるごとに頻度は増していくようだった。一体、彼に何があったのだろう。
 ウエルは何度も聞いてみたが、彼が答えてくれることは決してなかった。
 
「ウエル、ウエル!」
 
 ある晩のこと。熟睡していたウエルは、ハオハトの大声に叩き起こされた。
 切羽詰まった、ただならぬ声音だった。
 
「ど、どうしたんだ……!?」
 
 混乱しながら、ウエルは寝台の上で飛び起きた。
 ウエルの部屋の戸を開けた彼が、飛び込んでくるところだった。
 
「ああ、よかった! ここにいたんだねウエル!」
「いや、ここにいたんだねって……ずっと寝てたよ」
 
 一体何を言っているのだろう。
 彼が駆け寄ってきて、寝台にいるウエルに飛びついてきた。少し痛いくらいに強く抱き締められた。
 湿った感触が降ってきて、彼が涙を流していることに気がついた。
 
「ハオハト……?」
「ウエル、どこにもいかないでくれ。私を置いていかないでくれ……!」
 
 わけがわからないが、彼の声に胸を締めつけられる思いがした。彼の声音からは身を切り裂かれるような痛みが感じられた。本気で苦しんでいるのだ。
 
「ハオハト、オレはどこにもいったりしない。ずっとお前の傍にいるだろ?」
 
 逃げ出そうとしたのは、初夜の翌日だけだ。
 寂しくなったから、なんてあざとい言葉が嘘だったのはもう彼も分かっているだろう。
 でも、今ではもう彼の傍を離れるなんて考えられなかった。
 それこそ、彼がいなければ寂しくて死んでしまう。
 
「うん……そうだね……そうだったね……」
 
 彼の背中に手を回し、ぽんぽんと優しく叩いてあげた。
 けれども蒼い瞳はウエルを見ているようで、どこか別の場所を見ているようだった。
 
「そうだ……ウエルが私を置いていかないようにすればいいんだね……」
「ハオハト?」
 
 彼が顔を上げる。蒼い瞳が硝子のように見えて、ぞっとしてしまった。
 何か取返しのつかないことが起きようとしているように感じた。
 
「ウエル、永遠に幸せでいようね」
 
 彼の視線はどこまでも透徹としていて――――
 
「ハオハト!」
 
 ウエルは、彼の手を掴んだ。
 
「一体どうしちゃったんだよ! オレに説明してくれよ! オレだって、お前に寄り添いたい! お前の怖いと思ってること、困ってること教えてくれよ!」
 
 いつだったか彼がしてくれたように、自分だって彼の支えになりたい。自分では支えにはなれないのだろうか。
 ハオハトは笑う。
 
「怖くないよ。ウエル、これからはもう何も怖いことなんてない」
 
 返ってきたのは、閉ざされた答えだった。
 拒絶されたのだ、と感じた。彼は自分には何も話してくれない。
 
「ごめんねウエル、眠りを邪魔しちゃったね。なんでもないからね。おやすみなさい」
「ハオハト……」
 
 彼の心を何が蝕んでいるのか、教えてもらえなかった。
 自分は彼の特別なのではなかったのか。
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