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第十話 ヒナゲシ、心の平静

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「ルノ、愛してるよ」
「五月蠅ぇ、黙れ」

 朝っぱらからかけられる言葉に、あの時アレクシスの顔面を殴っておけば良かったと後悔した。

「でも嫌ではないだろう?」
「んな訳あるか」

 何を思ったのやら、アレクシスは積極的に好意を言葉にしていくことに決めたらしい。
 甘い対応をしたせいで彼をつけあがらせてしまった。
 まったく。あの時のオレは彼の何を見ていたのだろう。
 こんなに明白なのに。

「そろそろまた休日だな。また一緒に出掛けるか?」

 アレクシスの提案。
 一緒に行く訳ないだろ。
 そう言いかけて思い留まる。

「……美味いモン奢ってくれるなら」

 チラリと彼を一瞥して言うと、彼は見る間に上機嫌になって快諾したのだった。
 チョロい奴。



 *



 それにしてもアレクシスはオレの何処がそんなに気に入ったのだろう。 
 相変わらずそれは分からない。

 聞いてみれば答えてくれるだろうか。
 でも何となくオレの方から聞くのは癪だった。
 だって、なんか彼の気を惹きたいみたいじゃないか。

「ルノくん、今日は何だか上機嫌そうだな。何かあったのか?」
「あ? な訳ねぇだろ」

 見当違いなことを言うケントを睨み付ける。
 オレが嬉しそうな顔をしていた? そんな訳ないだろ。

 やがてバルト先生が教室に現れ、授業が始まる。

「明日は実技テストだ。また精霊との会話を試みてもらう」

 バルト先生が大教室の一年生たちに宣言する。
 この一週間、精霊との交信は自習でやるように命じられていて、授業の内容は相変わらず座学ばかりだった。
 それも仕方ないと思えるほど覚えなければいけない事項は多かった。

「精霊との会話を行うステップが挟まる分古代魔術は現代魔術より不便なんじゃないか? 古代魔術が現代魔術に勝る利点があるのか?」

 疑問を感じてぼそりと呟く。
 するとバルト先生がチラリとこちらを見た。
 目が合った。間違いない、あの教師こっちの呟きが聞こえてやがる。

「古代魔術は精霊の相手をしなくちゃいけない分、現代魔術より不便だって?」

 バルトはニヤリとほくそ笑む。
 胃が痛くなるような笑みだ。

「その通り。それこそが古代魔術が現代魔術に取って代わられ、古代魔術と呼ばれるようになった所以だ」

 教室の生徒たちが騒めき出す。

「古代魔術が現代魔術より優れているというなら、過去の遺物扱いされてないさ。精霊の助けを借りるということはつまり、精霊のいない場所では使えないということでもあるしな。現代魔術にはそんな制約はない」

 そんなことを今まさに古代魔術を学んでいる生徒たちに言ってしまって大丈夫なのだろうか。曲がりなりにも教師が。

「とはいえ、完全な下位互換という訳でもない。精霊の助けを借りる分術者の魔力負担は少ない。他にも魔術の向き不向きがある。例えば外傷を治すには現代魔術の方が向いているが、病を治すには古代魔術の方が向いている。今でも王侯貴族が重病を患った時には古代魔術師にお声がかかる」

 生徒たちの騒めきが段々と静まっていく。

「まあ現代魔術でも病を治せないわけではないから、僅かな差異だがな」

 バルト教師は教室の生徒たちを見渡して声を響かせる。

「だから今どき古代魔術を修めるには理由が必要になる。どうして現代魔術より古代魔術の方がいいのか、というな。考え直すなら今の内だぞ」

 生徒のいく人かは不安げに周囲を見回していた。
 それでも迷いのなさそうな生徒は自分でここに入学することを決めた者だろうか。
 それとも逆に、親に言われるがままに入学した者だろうか。

 オレも迷うことはない。

「話が脱線しちまったな。という訳で明日は実技テストだ。自習をサボってた奴は明るみに出ることになるな」

 バルト教師はニマニマと笑う。
 どうやらこの教師は少々サドっ気があるようだ。

 色々なことがあって、まだオレは精霊との会話を成功させていない。
 今夜中には成功させなければならないだろう。


 授業の後。
 オレは精霊たちと触れ合う為に森に足を踏み入れていた。

 森の中は落ち着く。そう思うようになっていた。
 暗く深い森は危ない場所、そう言って普通の村人などは森を避ける。
 だがオレはそういう薄暗さも含めて好ましく思い始めていた。

「だからっ、先生……ッ!」

 森の中から聞き覚えのある声が耳に届いた。
 オレは興味を惹かれて、声の聞こえた方にそっと近寄っていった。

「うお」

 茂みの間から開けた空間を覗くと、ちょうど一人の男がもう一人の男を引き寄せて口付けを交わしたところだった。
 引き寄せた方の男はケントで、引き寄せられた方はバルト教師だ。

 いつの間にそんなに仲が進んでいたのだろう。
 こうして森の中で隠れて逢引きでもしていたのだろうか。

 バルトの方は驚いた顔をしている。
 ケントにそんな積極性があったとは驚いた。

 しかし不味い、バルトは地獄耳だ。
 オレがここで覗いていることがバレる前に退散するとしよう。



 *



「はあ……」

 気分が落ち着かない。

 愛の言葉をしきりに囁くようになったアレクシス。
 教師と口付けを交わしていた同級生。

 どうにも集中を邪魔してくるものが多い。
 どうして誰も彼も色恋にかまけてやがるんだ。
 ここは学び舎だろうが。

「オレは親父の後を継がなくちゃならねえんだ」

 決意を思い出すように呟く。

 オレが生まれる前に死んでしまった、顔も知らない父親。
 古代魔術師をしていたという。
 この学校の卒業生だったらしい。
 だからだ、母が貯めていた金でオレをここに入学させてくれたのは。

「……そういえば、そろそろ命日か」

 墓参りに行くことは出来ないが、花を贈るぐらいはしてやろうと思うのだった。

「うん?」

 気が付くと、すぐ近くに栗色のリスがいた。
 リスは興味津々そうにオレを見上げている。

「何だお前、誰かに飼われてるのか?」

 野生のリスがこんなに人の近くに寄ってくる筈がない。
 おおかた学園の誰かのペットなのだろう。
 もしかしたら使い魔かもしれない。

「さっさと飼い主のとこに行きな。オレは忙しいんだ」

 しっしっ、と追い払う仕草をする。
 だがリスは去るどころか、その手に飛び乗ってきたのだ。

「ぬおっ!?」

 リスは勝手に腕から肩へと駆け上がる。

「きゅう、うぅー」

 リスは人懐っこくオレの顔に頬を擦りつけてくる。
 まったく困った奴だ。

「ふふ、擽ったいぞ」

 笑みを漏らしながら、精霊と戯れていたアレクシスを思い出す。
 あの時の彼も精霊とこんな風に触れ合っていた。

 今の穏やかな気持ちならいけるかもしれない。
 ふとそう思った。

「なあお前、ちょっと付き合ってくれるか?」

 問いかけにリスは小首を傾げる。
 リスには何のことやら分からないだろう。

 深呼吸すると、オレはことばを紡ぎ出した。

Q`à tajtò是は報せなりMa Èssæd tajtejr我が存在を知らしめるMa nàmï Srajs我らが友精霊よma kœreu el regssajr我が喚び声に応えよMa um à Lüno我が名はルノ.」

 呼び掛けに応えるように風が吹き始める。
 リスは嬉しそうに「きゅう」と一鳴きした。
 どうやらこのリスは精霊にも慣れているようだ。
 このリスの飼い主は優秀な古代魔術師なのかもしれないな。

 そして、ふわりとした感触が身体に触れた。
 何かが目の前にいる。

「――――――――」

 そしてオレに何か語り掛けてるような気配がする。
 そうか、これが精霊の気配なのか。
 とにもかくにも、これで成功だ。

「……よし!」

 オレは小さくガッツポーズした。
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