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第四十一話 結婚指輪は着けられない

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「アンリ、今日は一緒にお茶を飲まないか」

 夏の日差しが暑いある日、アンリはグウェナエルに誘われた。
 低い囁き声に、アンリは思わず胸が高鳴るのを感じた。

「わかった、そうしよう」

 アンリは笑顔で答えた。はにかんだ笑顔は、わずかに赤みが差していたかもしれない。
 
 使用人たちが、素早く茶会の準備を整えてくれた。
 グウェナエルとアンリは、向かい合って茶会の席に座る。

 紅茶を口に運び、傾ける。
 今日もグウェナエル自慢の使用人の淹れたお茶の味は、素晴らしかった。

 グウェナエルもまた、穏やかな顔で紅茶を味わっている。
 この平和な時間が、いつまでも続けばいいのにとつい願ってしまう。

 ふと、彼がこちらをまっすぐに見つめた。
 金の瞳に見つめられると……どうしても、寝台の上で覆いかぶさられた瞬間のことを思い出してしまう。
 顔が赤くなってしまいませんように、とアンリは祈った。

「今日は渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」

 渡したいものとは、一体なんだろう。
 まさか贈り物を用意してくれているなんて。

 さては贈り物を渡すために、茶会に誘ってくれたのだろうと察した。

「これだ」

 グウェナエルは彼の掌にすっぽり収まる大きさの小箱を取り出すと、こちらに正面を向けて開いた。

「指輪……」

 小箱の中に収められていたのは、中央に大きな宝石のはまった指輪だった。

「結婚指輪だ。やっと完成したのだ」
「結婚、指輪」

 受け取れない。
 咄嗟に浮かんできた答えだった。

 自分は、彼を心から信じ切れなかった人間だ。
 真の意味で、彼に伴侶として求められているわけでもない。

 伴侶の証を、身に着けられるわけがない。

「だ、駄目だ。私は着けられない」
 
 思わず口に出していた。
 心の内が言葉として出てしまったことに、顔が青褪める。

「その、そのような高価なもの、私には分不相応だ。私には身に着ける資格がない」

 アンリは、慌てて支離滅裂な言い訳を口にした。
 言い訳にもなっていない。グウェナエルの耳と尻尾が、しゅんと垂れてしまった。

「アンリは……ここを離れたいのか?」

 ほら、誤解させてしまった。

 いや、誤解ではないのかもしれない。
 自分は、いつかここを離れなければならない存在だ。アンリは不意に強く自覚した。

 契約を交わしたときと、何も変わっていない。
 自分はテオフィルを保護するための、仮初の伴侶だ。グウェナエルとテオフィルのためには、いつかここを離れなければならない。
 
 離れたいとは思わない。
 自分はここで、初めて幸せとはなにかを知った。ずっとここにいて、幸せなままでいたい。
 グウェナエルとテオフィルと、一緒にいたい。

 離れたくはないけれども、離れなければならないのだ。目の奥がつんと痛みを訴えた。
 
「……体調が優れないから、部屋に戻らせてもらう」

 どうしても、「離れたい」とは口に出せなかった。
 代わりに指輪を受け取らないことで、意思表示とすることにした。
 アンリは席を立つ。
 
「あ、ああ。わかった」

 ティーテーブルの上には、結婚指輪の小箱が取り残された。
 鋭く胸が痛むのを感じながら、アンリは部屋を後にした。


「あ、アンリ!」

 自室の前で、偶然テオフィルに出くわした。
 
「あのねあのね、いまやすみじかんでね」

 アンリの姿を見つけるなり、テオフィルはハキハキと話し出した。

 テオフィルは自分を慕ってくれている。
 自分はテオフィルの気持ちに相応しい人間だろうか。ふと、そんな風に思った。

 自分が病気を治した母親のことを思い出す。
 死の淵に瀕していてもなお、少しでも子に遺るものがあればと、編み物をしていた。

 自分にそんな献身ができているだろうか。

 むしろ逆だ。
 自分がテオフィルに幸せにしてもらってばかりで、自分は彼に何もしてあげられていない。

 テオフィルに出会うまでは子供と触れ合った経験がなく、親に愛されるということがどういうことか知らない。
 そんな人間が、まともにテオフィルを愛してあげられるはずがない。

 自分では、テオフィルを愛してあげられない。

 その考えは、呪いのようにアンリの中に根付いた。

 だから、テオフィルにまともな母親を用意してあげるためにも、いつかは自分はここを去らなければならない。

 子供をあやす方法を知っていて、子守歌を歌ってあげられて、テオフィルを愛しあげられる母親がいなければ。

「ねえ、テオフィル。新しいお母様が来るかもしれないって言ったら、どう思う?」
 
「ふぇ?」

 アンリが尋ねるとテオフィルは話をやめ、あんぐりと口を開けた。

「私はこの城をそのうち離れるんだ。そしたら、テオフィルに新しいお母様ができるよ。嬉しいだろう?」

 アンリは優しく微笑んだ。
 
 口をあんぐりとさせたまま固まっていたテオフィルは、じわじわと表情を変える。泣き顔へと。

「なんで、そんなこというの!」

 大粒の涙をぽろぽろと零すテオフィルは、怒りをぶつけるように、小さな手でアンリの足を叩いた。

「テオフィル……?」

 テオフィルが泣き出す理由がわからず、アンリはおろおろとした。
 こんな風に大泣きするテオフィルは初めてだ。年齢より大人な子だと思っていたけれど、まだ五歳の幼い子なのだと感じた。

「アンリなんて、きらい!」
「あっ」

 テオフィルは大泣きしたまま、どこかへと走り去っていってしまった。
 一人にしてはいけないが、自分が追いかけたら逃げてしまうだろう。
 アンリは近くの使用人を呼び止めると事情を説明し、テオフィルを保護してもらった。

 テオフィルは腹の虫が収まらないらしく、夕食で一緒になっても、ぷいとそっぽを向いたまま、口を利いてくれなかった。

 テオフィルと喧嘩状態になってしまったのだった。
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