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第十二話 お湯の池

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「ここがテオフィルの部屋だ」

 お茶をしてゆっくり休んだあと、グウェナエルに城の中を案内してもらえることになった。
 自分で伴侶や我が子に住処の案内をしないでどうする、と張り切っていた。
 城の通路は入り組んでおり、しばらくは案内がないと迷ってしまいそうだと感じた。

「こんなにひろいおへやが、テオのなの? テオだけの?」

 案内された部屋を見て、テオフィルは目を丸くさせた。
 
 城に用意されたテオフィルの部屋は立派だった。
 部屋の奥には大人が横になっても十分な大きさの天蓋付きの寝台があり、鏡台や衣装箪笥、机に椅子、部屋の中央にはテーブルと長椅子まで備え付けられている。
 家具の質も、かつての冷遇されていたアンリのものよりも立派なくらいだ。
 準備する時間は少なかっただろうに、よくもここまで立派な部屋が用意できたものだ。

「アンリとグウェンは、どこにねるの?」

 テオフィルの問いに、グウェナエルが微笑む。

「言っただろう、ここはテオフィルだけの部屋だ。テオフィルだけで使えるのだ。オレたちの部屋は、テオフィルの部屋の隣にあるぞ」

「テオだけここにねるの……?」

 グウェナエルの言葉を聞いて、テオフィルは悲しげな顔になった。
 旅のさなかでは、町で一番立派な宿屋でも貴人を泊めるのに相応しい部屋は一部屋しかないということもあった。そういうときは、三人で同じ部屋で寝たものだ。
 テオフィルはそれを不快に思うどころか、むしろ楽しそうにしていた。
 貴族の子ならば一人で寝るのは当たり前のことだが、旅を経たテオフィルにとっては、そうではないようだ。

 グウェナエルとアンリは、顔を見合わせた。

「テオフィル、一人ではない。この城の使用人たちが常にテオフィルの側にいてくれて、着替えの手伝いでもなんでもやってくれる。寝るまで一緒にいてくれる。寂しくはないぞ」

「うん……」

 グウェナエルの言葉にテオフィルは素直に頷いたが、顔色は曇ったままだ。可愛い三角形の耳もしょんぼり伏せられている。
 旅をしていく中でグウェナエルとアンリには懐いてくれたが、使用人たちは今日会ったばかりの他人だ。不安でたまらないのだろう。
 グウェナエルにとっては信頼できる使用人かもしれないが、テオフィルにとっては違う。

 アンリは跪き、テオフィルと視線を合わせた。

「よし、それなら私が寝るまでテオフィルの側にいてあげよう。グウェナエルは領主だから忙しいけれど、私は暇だからね」
「ほんとお?」

 テオフィルはぱっと顔を上げた。
 ふぁさふぁさと尻尾が揺れている。

「本当だとも。テオフィルが寝たあとは、私は自分の部屋で寝るけれどいいね?」
「うん!」

 テオフィルは目を細めて、尻尾をぶんぶんさせている。こんなに喜んでくれて、提案した甲斐があった。

 テオフィルを通して、人のためになることをする喜びと、それが報われる嬉しさを教えてもらっている。そんな感慨が湧いてきた。

 一人にはならないとわかったからか、テオフィルは自分の部屋に興味を示して、ありとあらゆるところの匂いをふんふんと嗅ぎ始めた。

「さあ、今のうちにオレたちの寝室に案内しよう」
「『オレたちの寝室』……?」

 グウェナエルの言葉に疑問を抱きながら、隣の部屋を見に行くと。

 そこには一際大きな部屋があり、部屋の奥には巨大な寝台が鎮座していた。寝台には、二人分の枕が並べられている。
 二人で同じ寝室で、同じ寝台で並んで寝るということだ。

「その……オレが熱烈にアプローチして、君が応えてくれたことになっているので、こういうことになってしまった」

 考えてみれば、夫夫ふうふだということになっているのだから、同じ寝台で寝るものか。今の今まで、まったく想像が及んでいなかった。

「もちろん、君に手出しはしない。安心してくれたまえ」

 ただの契約婚なのだから、と彼は言う。

「それを聞いて安心した」
「同じ寝床に寝ることにはなるが、それは我慢してほしい」
「大丈夫だ」

 こくりと頷く。
 旅の間に同じ寝室で寝ることもあったのだから、同じ寝台で寝るのも似たようなものだろう。

 そんな風に彼を信じられる根拠はあるのか。
 語りかけてくる自分の心の声を無視し、テオフィルの元に戻って合流した。

 夕食にはステーキが出て、テオフィルは大喜びで平らげた。まだ五歳なのに完食できるのかなと心配していたら、なんと二枚も食べてしまった。
 グウェナエルの皿には、五枚もステーキが重ねられていた。もちろん全て食べ切っていた。
 
 獣人がこんなにたくさん肉を食べるだなんて、知らなかった。どうやら旅の間は、我慢をさせてしまっていたようだ。
 「テオ、こんなにたくさん食べていいの?」と目を輝かせていたのが、忘れられない。

「テオフィル、ごはん美味しかった?」
「うん!」

 夕食のあとはテオフィルの手を引きながら、テオフィルの寝室まで戻ってきた。
 グウェナエルは食事のあとエヴラールに話しかけられていて、仕事の話があるからと名残惜しそうに別れた。

「この城館には、大きなお風呂があるんだってさ。もう少ししたら、お湯が入ったよって侍女さんが知らせに来るから、一緒にお風呂入ろうっか」

「どれくらいおっきいの?」

「私も知らないから、一緒にたしかめてみよっか」

「うん!」

 二人で話していると、ドアをノックする音が。
 入室の許可を出すと侍女が入ってきて、入浴の準備が整いましたと伝えてくれた。

「行こうか」
「うん!」

 テオフィルが自ら手を差し出して、手を繋ごうとしてくれる。これほど嬉しいことがあろうか。
 アンリは彼の手を力強く握り、侍女に案内されて浴場へと向かった。

「わあー! みてみて、おゆのいけだよ!」

 浴場を一目見て、テオフィルは興奮してはしゃいだ。

 彼の言う通り、まさに池のような大きさの湯舟がそこにあった。広い浴場の傍らで、白亜の大理石で象られた女神が、入浴者たちに慈愛の微笑みを向けている。

「本当だ、すごく大きいな。テオフィル、溺れないように気をつけるんだぞ」
「はーい!」
 
 服を着た侍女が来て、アンリとテオフィルの身体を洗い流した。
 いよいよ湯舟に入る準備が整った。

 テオフィルは湯舟の縁に登ると、ちょんちょんとお湯に足先でつつく。

「熱い?」
「ちょとあついかも」

 テオフィルは振り返り、真面目くさった顔で報告した。妙に可愛らしくって、アンリはくすりと笑った。
 
「じゃあ慎重に入ろうか」
「うんっ」

 テオフィルはそろそろとお湯に足先を沈めた。
 その様子を見守りながら、アンリもまたゆっくりと湯舟に入った。

 お湯の温かさが、皮膚を通して伝わってくる。溜まっていた長旅の疲れがするりと解けていくようで、アンリは充足の溜息を吐いた。

「ふう……」
「あっついけど、あったかいねー」

 身体が沈まぬよう、湯舟の中の石段に腰かけたテオフィルが笑う。

「そうだね」
「えへへ」

 手を伸ばして頭を撫でてあげると、揺れた尻尾がちゃぷちゃぷと水面に波紋を作った。
 波紋の行く先をしばし眺め、アンリは口を開いた。
 
「テオフィル、この家でやっていけそう?」

 最初に人見知りしたとき以外は、テオフィルは終始楽しそうにしていた。それでも、感想は直接聞いてみなければ。

「うーんとねえ、おうちがおっきくてびっくりしたけどね、ごはんがおいしくて、テオのおへやがおっきくて、おふろもこーんなにおおきくて、とってもたのしいよ!」

 テオフィルは満面の笑顔を浮かべた。
 感じていた通り、ここで幸せに暮らしていけそうなようだ。

「でもいちばんなのはね、グウェンとアンリといっしょにいられることだよ! ふたりともやさしいからね、ふたりといっしょなら、きっとテオ、どこでもたのしいよ」

 テオフィルはキラキラの銀色の瞳を、糸のように細めて笑った。

「テオフィル……!」

 胸の内から込み上げてきた衝動に従って、彼を強く抱き締めた。

「わあ、なあに? うふふ、くすぐったい」

 テオフィルに必要とされている。
 それがこんなにも、胸を熱くするとは。

「なんでもないんだ。ただ、抱き締めたくなっただけ」
「ええ~、あっついよお~」

 テオフィルはくすくすと笑い、尻尾をぱちゃぱちゃさせた。

 しばらく時間が経つと、「このままだとのぼせるよ」と言わんばかりに周囲を飛び回る光――精霊が見えたので、二人は湯舟から上がった。
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