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前章 不当な婚約破棄

15 ドジっ子紳士、クロノス・エヴァンズ

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 王太子殿下をたぶらかせた悪女、未だ見つからず!

 エルヴィン王太子殿下との婚約状態であるにも拘らず、白昼堂々と浮気をし、更には殿下の魔法を目の前にしても公衆の面前で白を切るその悪女は、元々リセット家の令嬢であったが、自分の娘の愚かさに呆れ果てた両親はその娘との縁を切るも、悪女は悪びれもなく街に消える。果たしてこの悪女は今、どこで息を潜めているのか!?

「……これはこれはまた、清々しいほどの悪評っぷりですわね」

 そんな風に銘打たれ書かれた新聞の記事を読んで、私はため息を吐いた。

「だが、それは嘘偽りだ。キミは浮気などしていないし、そんな事をする人間でもない」

 クロノス様が真剣な表情で私が持っていたその新聞を取り上げ、丸めて投げ捨てた。
 クロノス様とビアンカだけは完全に私の事を信じてくれている。味方が二人もいてくれるだけで十分心強い。

「けれど少しだけ殿下には感謝している」
「え? どういう事ですの?」
「彼が婚約破棄してくれたおかげで私は……その、キミと……」

 クロノス様が照れくさそうに顔を赤らめてそう言った。

「そ、そんな風に言われるのは光栄ですわ。私だって、本当にクロノス様の事を……」

 勢いでクロノス様にアタックしたあの日の事を改めて考えてみると結構、いや、だいぶ恥ずかしい事をしちゃっている。
 というかあの日、私から告白してしまっているし、ぶっちゃけ後はクロノス様が正式に頷いてくだされば私たちは晴れて恋仲となれるのだけれど。

「……アメリアお嬢様、クロノス様。そう言うのは私がいない日にしてくださるとありがたいのですが」

 ビアンカに淡々と告げられ、

「そ、そうだ! それよりも何よりもまずはキミの潔白を世に知らしめなればッ」

 恥ずかしさの限界を迎えたのか、クロノス様が急に声を荒げたが彼は実際この通り堅物だ。この件を片付けない限り私と彼の結婚は難しそうだ。(というより私は今、悪評の塊みたいな存在なので、この状態のままではエヴァンズ家に迷惑をかけてしまうし)

 隣でビアンカのふうっと小さな溜め息が聞こえた。
 今の仮初の姿での寮生活は思ったよりも快適だ。
 リセットの屋敷にいた頃の方がお父様やお母様の手前、淑女らしさを損なわないようにと気疲れしたものだ。

「そして私は堂々とキミとの――」

 クロノス様が熱い心意気を語ろうと立ち上がった瞬間。

「ぉ、どわぁッ!?」
「キャッ、ク、クロノス様!?」

 彼は体勢を崩して私の方へと倒れ込み、

「いったたた……す、すまないアメリア。ズボンの裾を踏みつけてしまったようで……怪我はなかったか?」

 私に覆い被さるような形でそう言ったのだが、

「わ、私は大丈夫ですから、早く……」
「そうか! それなら……ん?」

 にぎにぎとクロノス様が右手を動かす。

「ひぃいッ!?」
「この柔らかい感触ばふぁあーーーッ!?」

 たまらず私は思い切り足で彼を蹴り飛ばし、クロノス様は勢いよくひっくり返ってしまった。
 口付けすらもまだした事がないというのに、まさか、む、胸元を揉まれてしまうなんて……。
 私は思わず赤面し、その場で顔を伏せる。

「す、すまないアメリア……」

 私は無言で顔を隠す。
 全くもう……クロノス様ったら、基本ドジっ子な上ラッキースケベみたいな特殊能力まで備えてるなんて勘弁してください。

「本当にすまない……」

 クロノス様も大変な事をしてしまったと思ったのか、わかりやすいぐらいしゅんとなって落ち込んでいる。
 彼のそんな真っ直ぐな素直さを見て、私は怒るよりもむしろ笑いが込み上げる。
 遠くから彼を眺めていただけの学院生活では気づかなかった、彼の内面を次々と知っていく。
 やはり私は彼の風貌も去る事ながら、その愚直さや温厚な性格、仕草、その全てに惹かれているのだ。

「そ、そうだ。まだ二人はメイクの修繕が終わらないだろう? 私はその間、少し買い物に出てくる。アメリアとビアンカさんの好きな砂糖菓子を買ってこよう! そ、それで機嫌を直してくれ!」

 そう言って彼は真っ赤な顔をして、慌てて部屋から飛び出して行った。
 悪気がないからこそ、彼のドジっぷりは困りものである。
(まあ、そこが可愛らしいところでもあるのだけれど)
 と、思いつつ、私はくすっと小さく笑った。



        ●○●○●



 ――この一件を解決すべく、私が先日クロノス様に提案した内容。それは、数日後に開かれる誕生パーティに参加する事であった。
 その誕生パーティとはもちろん、エルヴィン殿下のだ。

 ビアンカの情報によればそのパーティで、エルヴィン殿下はイリーシャとの婚約を発表するつもりだとの事。
 そこに私たちも紛れ込むのである。

 上手くいくかどうかはわからない。けれど、私には幸いやり直せる力がある。
 ただしこの力は死の直前にしか現れてはくれない不便な力だ。安易な方法では失敗した時、本当に私が死んでしまう。
 しかし私はこの力の上手い活用方法を考えついていた。
 もし、事が上手く進まないなら適当な高所から飛び降りれば良いのだ。
 飛び降りならば、ボタンを押す猶予も充分にある。意識さえ途切れなければ一番簡単で確実な方法だ。
 
 問題はそれをした場合どこまで巻き戻るのか、という事だが、おそらく現時点より前には戻らない気がしている。

 エルヴィン殿下に婚約破棄された時は、頑なに婚約破棄の誤解を解こうとして同じ運命を繰り返させられたが、それも方法や手段を変えればあっさりと未来が変わる。そして変えた後の巻き戻しは、別の地点になっている。(それはビアンカの紅茶以降で証明している)

 ゆえに、私はその気になったら巻き戻してやり直す覚悟だ。
 気がかりな点があるとすれば、エルヴィン殿下が見せたあの映像。私の浮気現場であるあの映像。あれだけがいまだにわからないままだった。

(でも私にはあんな覚えはない。という事はあの殿下の魔法が間違っているか、もしくは私にそっくりな女性を代役に仕立て上げたか……。でもアレはどう見ても私ですわよね。あれほどそっくりな人が今現在もこの王都にいるのかしら……?)

 魔法の仕業、という可能性も勿論考えた。
 しかし少なくとも私が習ってきた魔法学において、あの状況を作り出せる可能性のある魔法について思い当たる節はない。
 私の知らない魔法があって、それを駆使して殿下の記憶を改ざんさせたり、という可能性も無いわけではないが。

(……駄目ね。わからない事は考えるだけ無駄かしら)
 
 とにかく私は来るべき数日後、クロノス様と共にエルヴィン殿下とイリーシャの悪事を暴く。
 今はそれだけに集中しようと考えた。

(とりあえず今日はクロノス様が戻ったら、また彼の好きなミートパイでも作りましょう。料理もビアンカに習っておいて良かったですわ)

「あのー! クロノス様ー! クロノス様いませんかぁ?」

 私がそんな風に考えていると、部屋の外からクロノス様の名前を呼ぶ女性の声が響く。
 私とビアンカは思わず互いの顔を見合わせてしーっと、声を出さないように指を立てた。

「やっぱりやめましょうミラ。クロノス様を誘うなんて」
「いいじゃないエレナ。殿下の誕生パーティは舞踏会も兼ねているし、貴族なら殿下の許しさえあれば誰を誘って参加してもいいって言ってたもの」
「で、でも……こんなお部屋の前まで強引に来て誘うなんて、こんなはしたない真似して本当に大丈夫かな……。クロノス様、ご機嫌を損ねないかしら……」
「そんな事ないって! エレナもさ、そんな弱気じゃ駄目だよ。王太子殿下に見初められた癖に他の男と浮気するような、あの悪女で名高いアメリアって女のふてぶてしさをほんの少しくらい見習わないと」

 そんな二人の女性の会話が聞こえる。
 当然だけれど、私の悪名は広がりまくっているわね。
 それにやはりクロノス様の女性人気は高いんだな、と思わされると同時に、あなたたちの目の前にある部屋の中にいるのは、今、世間を賑わせている殿下に婚約破棄された悪役伯爵令嬢なんですけどね、と内心で皮肉を言った。
 なんて思っていると。

「「ク、クロノス様ッ!?」」

 外にいた二人の女性の声のトーンが一段階跳ね上がった。

「やあミラにエレナ、こんにちは。私の部屋の前でどうしたんだい?」

 どうやらちょうどクロノス様が買い物から戻ったようだ。

「あ、えっとですねクロノス様! もしよければ今度開かれるエルヴィン殿下の誕生パーティ、ご一緒致しませんか!?」
「ちょ、ちょっとミラったらいきなり失礼よ!」

 ミラとエレナという名の女生徒たちがそんな風にクロノス様をお誘いしている。
 というよりクロノス様は彼女たちの名前も知っているみたいだし、顔馴染みなんですのね。
 ……なんかちょっと、やだな。

「わざわざ私を誘いにここまで来てくれたのかな?」
「「は、はい!」」
「それは光栄だね。キミたちみたいな綺麗なレディたちからお誘いを受けられるなんて私にはもったいないくらいだ。ありがとう、ミラ、エレナ」

 そんな会話が筒抜けてくると、不意に私の胸がズキン、と少し痛む。

「綺麗だって! 良かったねエレナ!」
「ちょ、ちょっとミラったら……。で、でも嬉しいですクロノス様……」

 エレナ、と呼ばれる女生徒のうっとりしたような声が聞こえる。

「それじゃあパーティには……」

 と、エレナが言うと、

「ありがとう本当に。でもすまない。私はその日、心に決めた人と殿下の誕生パーティに行くつもりなんだ」
「「ええ!?」」
「だから、本当にすまない。せっかく誘ってくれたのに。気持ちは凄く嬉しいよ。でもミラとエレナ、キミたちなら私なんかよりももっと素晴らしい人が必ず現れるよ。エヴァンズの名にかけて誓おう」
「そんな……クロノス様にそのようなお相手がいるなんて初めてお聞きしました……いったいどなたなのですか?」

 エレナという女生徒がわかりやすいくらい落ち込んでた声色でそう尋ねる。

「悪女、かな」

 クロノス様は少し笑いながら小さく呟くようにそう答えた。

「わざわざ来てくれたのに本当にすまない。ありがとう、ミラ、エレナ」
「「い、いいえ。私たちこそ強引に押し掛けてすみませんでした。失礼します!」」

 外から聞こえる会話が終わり、女生徒二人の足音が遠ざかっていく。
 私はホッと胸を撫で下ろす。

 クロノス様は本当に私の事を想ってくださっているのだ。そう考えると顔が熱を帯びてきてしまった。
 けれど、悪女って言い方はないんじゃないかしら?



 クロノス様が部屋に戻ってきたら、会話が聞こえていた事をネタにしてやろうと私とビアンカはほくそ笑んだのだった。




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