友達の肩書き

菅井群青

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階段の続き

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 あれから二人は千紘の部屋へと向かった。
 琢磨は再び何も言わずに部屋へと入り定位置に座った。千紘はその姿を見るだけで嬉しかった。二人は向かい合って座ると恥ずかしそうに笑った。

「センキュ」

 琢磨に水を手渡すと一口飲む。少し濡れた唇を見て千紘はすぐに視線を逸らした。あの唇に触れたのだと思うと悶えそうだった。私たちの関係は今までとは違うのだと分かっているのに、どこから変えればいいのかもわからない。こうしていつもの様に二人きりで部屋にいるだけなのにすごく緊張する。琢磨が話を切り出した。

「俺、さ……千紘に話したいことがいっぱいあったのに今思い出せないんだ」

「こんなに会わなかったことなかったもんね、ゆっくりでいいんじゃない?」

 色々な話をした。
 琢磨の話を聞き、千紘が相槌を打ちながら微笑む。話が終わると千紘が話をして琢磨が相槌を打つ。テレビでやっているCMの話や、会えていない間に起こった仕事での出来事、浩介や凛花の話──離れていた間の時を埋めるようにゆっくり話した。

 しばらくして桃香の話をした──。

「桃香ちゃん……仕事頑張ってるよ」
「そうか……」

 琢磨はゆっくりと息を吐いた。
 千紘が言葉を選んで話しているのが分かった。

 俺が傷付かないように気を使っているのだろう。俺を気遣う千紘が愛おしかった。

 琢磨も桃香との別れについてポツリポツリと話し始めた。桃香が琢磨の本心に気付いていた事……そして、桃香が千紘の気持ちを知りながら琢磨に告白した事……。
 千紘は驚いていた。嫌われる覚悟で話した桃香の気持ちを考えると胸が痛んだ。

「私が、琢磨を紹介してほしいって言われた時にきちんと嫌だって言葉に出せば……よかったのかな……」

「千紘は悪くないよ、俺だって……」

 もしあの時こうしていれば……そんな不可逆なものに思いを馳せたくなった。桃香ちゃんのした事は俗に言う裏切り行為だ。だけれど、俺に桃香ちゃんを責める資格はない。

 なんて事をしたんだ……先輩だろう……千紘は桃香ちゃんの事を一番の後輩だと言っていたのに……。

 そんな言葉を言えるわけない。俺だって知らぬ間に千紘を傷つけていた。

 そんな俺が……言えるわけない。
 そんな俺を好きになってくれた彼女に言えるわけなかった。

「俺の気持ちが分かってもあの子は笑顔を絶やさなかった。ごめん、俺があの時、告白を断れば──」

「桃香ちゃんもずっと謝ってた……みんなが、みんなに謝ってるね、もう、止めよう」

 千紘が琢磨の頭を撫でた。
 その手の感触に琢磨が目を細めた。千紘の手を握り締めると琢磨は手の甲に口付けた。

「千紘」
「ん?」

「ありがとう」

 千紘は優しく微笑んだ。その笑顔に琢磨も微笑み返す。二人は向かい合うようにベッドに横になっていた。カーテンの隙間から月明かりが降りて二人の姿を蒼白く照らす。琢磨が千紘の額にキスをする。互いの存在を確かめるように、見つめ合い手を握った。
 
 琢磨の公言のきっかけのこと、千紘の今までの気持ちを包み隠さずに話した。千紘の片思いの話を聞いて琢磨は驚いた。まさか浩介と別れた後すぐに想いを寄せてくれていたとは思わなかった。長い……本当に長い間思っていてくれていた。何度も諦めては、そばにいてくれた……有り難かった。
 千紘が眠そうに目を擦った。仕事もしてバーのバイトもしていた。かなり疲れているだろう。あっという間に微睡み出した。

「もう、寝よう……寒くないか?」

「うん、もうちょっと……ねぇ、琢磨……」

「うん?」

「また、前、みたいに……勝負……」

 千紘はそのまま眠ってしまった。琢磨は千紘の肩にタオルケットを掛けた。千紘の寝顔を見たのは恐らく初めてだ。寝顔は随分と幼く見える。琢磨はしばらくその寝顔を見つめていたがいつの間にか寝入ってしまった。
 二人の手はしっかりと握られたままだった。





 次の日の朝……週末で私も琢磨も休みだった。琢磨は私の今日の予定を聞くと「空けておいてくれ」と言い残し帰って行った。

 昼過ぎには琢磨は千紘の部屋に戻って来た。満面の笑みで、今まで通りの調子でインターホンを押してドアの前に立っていた。何年も見慣れた姿だ。

「……おーい、遊ぼうぜ」

 いつものカジュアルな服装で手にはゲームをするときの必需品であるお菓子が入った袋があった。

 あ、琢磨だ。

 ただそれだけなのに思わず涙が出そうになる。もう二度とこうして琢磨と会えないと思っていた。何気なかった日常のはずなのに今では尊く感じる。
 一度手を離れて失いかけたからだろう。琢磨は瞳を潤ませた千紘の髪をくしゃくしゃに掻き回すと部屋の中へと入って行った。


 私たちは向かい合って座っている。
 昨晩とは一点変わって張り詰めた空気が漂う。

 冷静な千紘に対して琢磨は難しい顔で将棋盤を見つめている。完全に劣勢だ。いや、もう詰まれる寸前だ。

「はい、王手……琢磨、弱すぎ」

「待て、なんか強すぎない? 武者修行してたのか? おかしいだろ……」

「アハハッ」

 琢磨は信じられない様子で見つめている。悔しがる琢磨の姿を見て千紘は嬉しくなる。
こうしてまた勝負ができて本当に嬉しかった。

 拗ねた琢磨が駒を箱へと戻していく。

「なぁ、千紘……」

「何?」

「……随分泣いたんだろ? 浩介や凛花から聞いた……ごめんな」

 琢磨が千紘を抱き寄せる。琢磨に肩に触れられた事は何度もある。だが、今までと違う触れ方に千紘は戸惑う。
 友達としての時間が長すぎて、こんな風に優しく触れられるとドキドキしすぎて心臓に悪い。

「私は……友達の肩書きから変われたんだね」

「肩書き? そうだな……千紘は、友達、好きな人、恋人……全部だな。肩書きは付けられないなぁ。千紘は他の人と違うんだから。肩書きは──千紘だな、うん、千紘だ」

 想像もしていなかった答えに千紘は反応できないでいた。友達でも恋人でもない特別な肩書きだった。私しかいない、肩書きだ──。

 琢磨は千紘の表情を見て困ったように笑った。

「ごめん、恋人の方が良かった?」

「ううん、こっちの方がいい」

 琢磨が千紘の頰を包み込むと優しくキスをする。微かに触れるような優しいキスに千紘は頬を紅潮させる。唇にそっと触れて照れたようにはにかんだ。

 幸せだ。琢磨が笑ってる。胸が温かくて、くすぐったい……。

 琢磨は千紘を胸の中へと引き寄せると千紘の背中を撫でた。琢磨は千紘に触れると手に汗を掻き、心臓がうるさかった。

 やべ、すんげぇ緊張する。あーもう、俺の心臓壊れそう。
 
 琢磨は自分の焦りぶりに笑うしかなかった。




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