100のキスをあなたに

菅井群青

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90.花火

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 コンビニで夜食を物色しレジに持っていくとその近くに売れ残った花火を見つけた。二割引になったその線香花火を見て、今年一度も花火を見なかったことに気がついた。

「……すみません、これもください」

 優香は重い体を動かしてコンビニを出ると目の前の白い建物を見上げる。これが私の家みたいなものだ。ここ数日コンビニと大学の往復しかしていない。大学内にシャワールームがあるし設備が整いすぎてもう借りているアパートもいらないんじゃないかとすら思える。

 優香はこの大学の研究室に所属している。
環境に関わる研究をしているのだが、ここ数日論文発表の為の最終段階に突入し徹夜続きだ。人間は眠るが、どうして微生物たちは活動をやめないのだろうか……。目は充血し、目の下のクマはひどい。

 研究室に戻ると同じように長白衣を着たまま屍のような男子学生がいる。

「……先生、お疲れ様です、ゆっくり眠れました?」

「南くん、まだ、朝じゃないよ。晩の九時だよ」

 完全に体内時計がおかしくなっているようだ。優香は南の前に野菜ジュースとサンドイッチを置く。二人は黙って目の前のブドウ糖の塊を食す。味なんてどうでもいい。生きる為のエネルギー補給だ。

 南が袋の中に入っている線香花火に気がついた。

「あ、花火だ」

「うん、なんか懐かしくて、そこのベランダでやらない? 今の時間帯なら大丈夫でしょ……ちゃんとバケツも用意してさ」

 優香は心が躍った。子供の頃を思い出す。食事が済むと二人はベランダに出てそのまま床に座り込む。

「はい、一本……上下間違わないでね」

 ジジジ……。

 燃え出したらすぐに真っ赤な火の玉が丸まっていく。そのまま放射線状の火の線が現れた。

 あぁ、線香花火だ。

 見ているだけで癒される。ただ、じいっと見ているだけだけど心が温まる。

「「…………」」

 線香花火は言葉を発することを忘れさせる、そんな魅力がある。沈黙なのに心地よい。
 だんだんと小さくなり最後はポトッと音を立てて地面に落ちた。

「終わっちゃったね……」

「終わりましたね……もう一本いいですか?」

 もう一度線香花火を取り出して火をつけた。南の顔が線香花火で照らされている。自分より若いからだろうか、横顔がきれいだなと思いながら見ていた。

 今回は優香の線香花火が長持ちした。小さくて可愛い光がぼんやりとあたりを照らしていた。

 ポトッ

「あ、落ちちゃった──今回の……」

 気付くと南の顔が思ったより近くにあった。暗闇の中で南の瞳が辛うじて見えた気がした。

 そのまま南は優香の唇にキスをした。触れるだけのキスをしてそのまま動かない。

 この唇に触れているのが何か一瞬分からなかった。温かで甘い匂いがした。南が離れると二人とも無言だった。

 突然のことに優香も呆然として動けない。

「あ、の、先生、すみません……なんか、線香花火を見つめてたら近づきすぎちゃって……その──あの……」

「ああ、そうか。そうだね、ちょっと近かったら当たっちゃったね、ごめんね」

 優香は花火の片付けをする。そのバケツを南が受け取ると部屋へと戻った。部屋に戻ってお互いの顔を見て二人は氷のように固まった。

 二人して首から上が真っ赤だった。瞳が潤むほど茹でタコだった。

「よ、よし! 頑張ろうか!」

「そうですね! よぉし!」

 二人は長白衣を羽織ると顕微鏡を覗いた。その後随分と仕事が捗ったようだ。
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