100のキスをあなたに

菅井群青

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87.店員

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「いらっしゃいませ──」

「…………」

 大学からの帰り道駅前のいつもの店に立ち寄った。店の前で棚の上に置いてあったデニムパンツを丁寧に畳む店員と目が合うと瑠璃は驚きのあまり声が出なくなった。

「お客様、こちらのお洋服お似合いですよ?」

「あんたが着てるやつと同じ柄なんてイヤ……ってか、何でこの店にいるの?」

 トップスを勧めてきたこの男は私の高校時代の元彼だ。硬式野球部だった面影はない。坊主頭に焼けた肌がいまや金髪に近い髪に白い肌のチャラそうな男へと変貌を遂げていた。

 この店は瑠璃のお気に入りのショップだ。いつものように買い物に来たがまさかの店員として康孝と再会することになってしまった。

 小声で瑠璃に耳打ちする。

「色々あって店舗移ってきたんだ──ま、よろしくな」

「…………」

 最悪だ。
 私の癒しの時間が康孝がいると考えただけで緊張する。

 康孝は初めての彼氏だ。二股されて別れた最悪の思い出だ。

 康孝を無視して店内を物色する。秋めいてきたので店内が全体的に暗めの色が多い。かわいいロングスカートが目に留まった。

 あ、これ可愛い、試着しよう。

「すみません──」

 レジにいた女性の店員に話しかけてそのまま試着室へと向かう。

 その道中に康孝の方を見る。女性客に笑顔で接する姿を見て少し胸にもやっとしたものを感じた。昔から康孝は女の子に優しい。腹が立つほど。

 案の定女の子は顔を赤らめて嬉しそうだ。舌打ちをしたいのを堪えて店員の後を追った。

 試着してみると少しサイズが合っていないように思えた。カーテンから覗くとさっきの女性は対応に追われているようだ。突然康孝が目の前に現れた。その表情は楽しそうに見える。

「お客様、違うサイズの物をお持ちしましょうか?」

「……お願いします」

 服を持ってきた康孝がハンガーから外し前のサイズのものを回収する為に試着室に入る。そのまま帰るかと思いきや帰り際に掠めるように瑠璃にキスをした。

「では、また何かありましたら仰ってくださいね」

「…………へ?」

 カーテンが閉められる瞬間康孝が口角を上げ不敵な笑みを浮かべているのが見えた。

 こ、こ、こいつ……。

 試着したロングスカートの会計をすませると瑠璃は大股で康孝の元へ行く。

 小声で康孝にしか聞こえないように話す。一応瑠璃も大人だ。康孝の社会的地位を落とすほどひどい人間ではない。

「二股野郎だと思ってたけどここまで軽い男だとはね……もうこの店二度と来ないからね」

「二駅先までわざわざ行くの? ってか二股って何?」

 康孝は声のボリュームを落とす事を忘れている。それほど二股の言葉に驚いているようだ。

「駅の地下で女の子と腕組んで歩いてたの見たんだからね。記念日の日にやることじゃないでしょうが。ま、いいや。じゃ、さようなら」

 瑠璃は歩き出した。
 他の店員から「ありがとうございました」と軽やかな声が聞こえる。その声を背に歩き始めた。しばらく歩いていると可愛い雑貨店で足が止まる。クマの貯金箱が目につき思わず手が伸びた。昔から瑠璃はクマの雑貨に弱い。今でも部屋にはクマグッズが多い。

 う、可愛い……欲しい──。

 だが、部屋にはクマの貯金箱がいくつもある。瑠璃はしばらく悩んでいた。

「お客様、クマばかり集められますと威圧感がすごいと思いますが……」

 その声に瑠璃は溜息が漏れた。振り返るとやはり康孝が立っていた。

「何仕事中抜けてんの? クビになるよ」

「俺、二股してないから──まさかそれでフラれたとはな」

 康孝の真剣な表情に思わず怯む。

「姉ちゃんに連れまわされてその後にフラれた俺……可哀想じゃない?」

 姉ちゃん

「姉ちゃん──康孝の、お姉さん?」

 康孝が黙って頷く。

「腕を組んで歩くのは姉ちゃんぐらいだ」

 冷や汗が出たのが分かった。あの後二股の話はせずに一方的に別れを告げた。あの時はまだ子供で、修羅場が怖かった。

「あ、あの、その……ごめん」

 瑠璃は謝ることしか出来ない。最低だ──。

「謝るぐらいなら、付き合って」

「何に?」

「俺と、もう一度やり直して」

 康孝は瑠璃の手に握られたままのクマの貯金箱を取ると棚に戻した。

「まったく、あれからクマを見ると瑠璃のことばっか思い出す……返事は?──いないんだろ、好きなやつ」

 瑠璃の薬指を見て康孝は瑠璃の手を握る。

「い──」

「ん?」

「あんたが、康孝が、いい」

 瑠璃が悔しそうな顔をすると康孝は嬉しそうに笑った。

「帰るぞ」

「し、仕事は!?」

「もう仕事上がった。ごめん、俺店長。お偉いさんになっちゃった」

「嘘でしょ──」

 康孝は瑠璃の手を引っ張りエレベーターに乗り込んだ。閉まる瞬間二人の唇が重なった──。

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