KNOCK

菅井群青

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18.黒の日

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 結衣のノックの後牧田の声が聞こえた。ドアを開けると部屋の中は真っ暗だった。最初出会った日を思い出す。家具の配置が少し変わった気がする……もしかして随分と時が経ったのかもしれない。

「牧田、さん?」

「あぁ、ハハハ……先輩」

 ソファーと壁の間に牧田が寄り掛かり座っていた。片方の膝を立てて項垂れている……。暗くてよく見えないが、床にはビール缶が何本も転がっていて、部屋中が酒臭いことに気付く。

(一体、何があったの……牧田くんが荒れている……)

「こんな日に会いに来てもらえるなんて……俺もラッキーだな」

 ふらつく体でようやくドアの近くまでやってきた牧田は随分と呑んだようだ。黒のシャツに黒のパンツで黒豹みたいでよく似合っている。襟元のボタンが開けられて見える真っ赤な首と鎖骨がセクシーだ。
 足元が不安定で危険だ。案の定ビールがシャツにかかる。皮膚に布地がくっつくのが不快なのだろう、シャツを掴むとあっという間に脱ぎ捨てる。

 上半身裸の牧田がぼうっとした瞳で結衣を見るとゆっくり手を伸ばしガラスに触れる。結衣は息を飲むと自分の手をその手に重ねた。合わさると牧田はその手を握るように指を曲げた。ただそれだけなのに結衣はカッと顔が赤くなる。牧田の口元に目をやり柔らかそうな唇から、ゆっくり顎の髭と緩やかな丘の喉仏まで視線を送る。牧田は何も言わなかった。結衣が心配そうに自分を見つめている事に気がつき何かを呟いた……。

「◇@&〓∞◉×✳︎☆!~\$……だから◇@&〓∞◉×✳︎☆!~\$!!!?◇@&〓∞◉×✳︎☆!~\$──」

 ほぼ全て聞こえなかった。牧田は悔しそうにしていたが諦めたかのようにガラスから離れる。寒かったようでブルっと体を震わせると隣の部屋から着るものを持ってきた。胸に斜めに走るトラックの列がコミカルで可愛い。

「この服も気に入ってるんです、本当に」

 牧田は相当酔いが回っているようだ。そのまま横になり眠ってしまった。風邪をひかないように毛布を掛けてあげたいが何もしてあげられない。「おやすみなさい……」と呟きそっとドアを閉めた。





「おはよう! 斉藤、今日も素敵だな! えぇ?」

「はぁ……なんですか今回は」

 朝出勤するなり武田が結衣の肩を抱き寄せる。大体やましい事、頼みたい事があるときは武田はやけに距離が近い。木下も同じ思考なのでデザイナー全員がこの作戦を取ってくるのかもしれない。
 武田が結衣の耳元に口を近づけて用件を言おうと口を開くがその続きは武田の「イテェ!」という叫び声で中断された。結衣が解放されて後ろを振り向くと牧田がファイルを片手に二人を見下ろしている。どうやらあのファイルの角で武田は殴られたようだ。呆れたように牧田はファイルを撫でている。

「セクハラですか? 不倫ですか? 最近は社会が厳しいんですからね」

「なんでそうなんだよ! 俺は奥さん一筋だよ!」

 武田が牧田を殴るふりをすると牧田は距離を素早く取る。

「ったく……ってなわけで、斉藤お前今晩代わりに出てくれ、慈善パーティ。俺以外家族みんなダウンしたんだ……」

 武田の言葉に一瞬疑問符が頭の上に飛ぶ。理解できた時には青ざめるがすでに武田は部屋へと逃げた後だった。残されたのは結衣と牧田だけだった。

「……俺も行きますから、先輩も行きましょう」

 結衣の目をまっすぐ見てそう言った牧田は五年後の牧田の瞳とそっくりだった。いつのまに彼はこんな顔をするようになったのか。

 その日は時が過ぎるのが早かった。坂上はパーティという事もあり朝から気合が入っていた。夕方には美容室に行くと言っていたが、黒髪をきれいに巻き上げ、黒のタイトなドレスに赤いルージュをつけ、お色気ムンムンな女性になって戻ってきた。いつもの坂上はタイトなスーツやヒールを履くものの、黒縁眼鏡をかけて髪も後ろに結ぶだけで薄化粧だ。再び会社に現れた時坂上と気づかずに木下が口笛を吹いたのを結衣は見ていた。

「お待たせ」

 胸元が開いているわけではないがグラマラスな体はどう頑張っても隠せるものではないらしい。横であんぐりと口を開けていた木下は「参ったな……」といって苦笑いをしていた。

 結衣は持っていた白のレースのワンピースを着ていた。髪は短いのでそのまま耳にかけてある。皮膚が弱くアクセサリーはつけないのであまりに地味な装いになってしまった。坂上の横に立っていればなおのことだろう。

「準備できましたか?」

 着替え終わった牧田が部屋から出てきて二人に声を掛ける。ここでも木下は口笛が出てしまっている。
 
 牧田はライトグレーの光沢のあるスーツに襟元の紫と黒のシャツが映えている。茶髪の髪も片方を後ろに流し、まさしくホストの様な色気がある。

(す、すごい……)

 普段とあまりにも違いすぎて直視できないでいると坂上が結衣の耳元で囁く。

「ああしてればイイ男ね」

「…………」

 牧田が結衣に目をやるとすぐに逸らす。坂上に比べるとさすがに地味なのはどうしようもない。

 少し落ち込んでいると牧田は一度部屋に戻るとすぐに出てきた。結衣の前に立つと「失礼します」と言い髪を掬った。カチッという音と共に何かが髪に付けられた感覚がした。

「あら。いいじゃない」

 坂上が覗き込むと満足そうに微笑む。手鏡を取り出し確認してみると無垢材で作られた組子細工のような髪飾りだった。中央に彫刻で彫られた花が乗っていている。蜜蝋が塗り込まれていて木の表面が優しい。

「ありがとうございます……」

「いや、たまたま持っていたから……」

 削られたその花は結衣が血だらけになりながら掘り上げた【影花】の花の一種だ。誰も知らないはずなのに……。目頭が熱くなるのを感じたが瞬きをして押し戻す。泣いている暇はない。

 必死に堪える姿を牧田は見ていた。あの髪飾りは牧田が作ったものだった。
【影花】の真実を知りどうしても手元に持たせてやりたくていつか渡せる日が来たらと作っていた。さすがに結衣の方が精巧な花を彫れるが、彼女が刀を持つ日はいつになるか分からない。こんなに早く渡せる日が来るとは思っても見なかったがあんなに喜んで貰えてよかった。

「……よかったねぇ。牧田」

 木下が勢いよく牧田の肩を抱く。この男のこういう絡み方は良くないことが多い。パーティに行くつもりがないので木下はライダースを着ている。側から見たらガラの悪い二人組だろう。

「何が、ですか」

「またまた……指、絆創膏どうしちゃったの?」

 拳を丸めて隠すが時すでに遅し、嫌な男に捕まってしまったようだ。
 大体アンティーク部の連中は鋭い人間が多すぎる。木下を無視して腕時計を見ると結衣たちに声を掛ける。三人は会場へと出発した。
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