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第一章 

111.未完成2

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 直の言葉に田崎が顔を上げる。

『なんだ、なぜそんな顔で俺を見る? 俺はお前の父親じゃない。俺に子供はいない』

 田崎の言葉に直は眉を下げる。その顔は本当に同一人物かと疑いたくなるほど幼い。晶にナイフを向けていた直はもうどこにもいない。そこにいるのは寂しそうな少女だった。

「田崎が……父親……? 直の父親が田崎なのか?」

 太一の声に反応するようにサンは無邪気に笑った。この男にとって憎悪は媚薬らしい。みるみる元気を取り戻していく。

「田崎、間違いなく直はお前の忘れ形見だよ。愛した女が身籠っていたんだ。お前の子だから名前の一文字を取って、直と名付けたんだ。苦労したよ……探すのに。船越組に父親がいた情報を流して組に滑りこましてやったんだ」

『理香子の子ども? 俺の……娘か?』

 直は涙を流し頷く。直は父親を探す為に上京していた。所属していた船越組に入り込み、父親の情報が入るのを待っていた。

『そんな、バカな……俺は娘がそばにいるとも知らずに……犯罪に手を染めるのを見ていたと言うのか? 何も知らずに娘の魂を消そうと……そんな──』

 田崎の瞳から涙が流れた──愛した理香子は虫も殺せない優しい女だった。そんな女の娘が血に汚れ、そして目の前で殺された。田崎の手が怒りで震えだした。

『貴様、なんと言う事を──娘まで巻き込むなんて……』

『目には目を、歯には歯を──よくも陽子を殺したな……愛しい者を奪われる苦しみを味わうがいい……愚妹の思いを分かっていながら止めなかったお前の責任だ──』

 サンは神であり悪魔だ。 恐ろしい、男だ。長い間復讐のためだけに生きてきた男だった。怨恨の連鎖はここまで続いていた。サンは田崎の目の前で娘を、直を殺して報復するつもりだった。その為に田崎を目覚めさせた──。

 サンにとって陽子は全てであり、陽子の命を奪う原因を作った全ての人間に復讐していた。


 晶は部屋の周りを見渡した……横たわる銀角やマル……二人の体を支えるタケ──遺体のそばにつながれた直の魂と、次々と明らかにされる真実に打ちひしがれている田崎……怒りに震えるジェイやヤス、そして拳人を見た。拳人の握られた拳は小刻みに震えていた。サンの言葉から全てを理解しているようだ。

「ッ──サンッ!!」

 拳人がサンに向かって怒鳴り声をあげる。
 そのまま殴りかかるとサンの体が吹っ飛んだ。サンは床に転がると唇の端の赤い血を指で確認し小さく笑った。拳人の拳が顎に入り奥歯が抜けた。サンは折れた歯を吐き出すと拳人を静かに見上げる……その瞳は怒りで染まっていた。サンは土埃を払うと首を回して一人何かを呟いた。

 途端に拳人の体が壁へと飛ばされた。見えない力が拳人の首を掴み持ち上げる。壁に押さえつけられるように床から体が浮く。壁に押し付けられ首を絞められた拳人の顔が真っ赤になる。

「若!」

「拳人!」


 ヤスと高人が駆け寄り拳人の体を下ろそうとするが何も出来ない。ジェイとタケが助けに行くが壁から複数の白い手が伸びてきて体中を拘束する。タケとジェイは暴れるが人間の手とは思えないほど長い手が二人の体にくるくると巻きついている。

 
 見えなかった姿が薄らと見え始めた。黒いタートルネックを着たスキンヘッドの男が拳人を壁に追いやり片手で拳人の首を押し上げている。その顔は下を俯いたままで気味が悪い。不自然な程背中が曲がり漂う霊気が怨霊だということがわかる。

 このままでは死んでしまう──。

 晶はすぐに駆け出した。晶がサンに殴りかかるとサンはその手首を握り苦しげに笑った。
 晶の紫の光がサンの手首に巻きつき、蛇のように螺旋状に駆け上がっていく。その光の通った跡が赤くミミズ腫れになりサンの手の甲から右の頰の肌の色が変化していく。痛みでサンの顔が歪むが晶の手を離そうとはしない。

「……許さない──アンタだけは絶対に……」

「くっ──やはり、お前は恐ろしいな、晶。……おい、離してやれ」

 サンの言葉に怨霊や無数の白い手が消えて皆が解放される。拳人の首には手の跡がくっきりと残っていた。サンは晶から離れるとドアへと後退していく。身体をくの字に曲げ腹を抱えて笑うサンを皆が鋭い視線で追う。

「今回は引き下がろう。だが、覚えておけ……晶、いつかお前は自ら俺の元へとやってくるぞ──化け物は普通には生きていけないんだ……」

 サンがゆっくりと部屋を出て行く。すぐさま追いかけようとするがヤスや小鉄が足元を取られて転倒した。足に重りがつけられているように動かない。

「なんだ、これ……」

「くそ……訳がわからん」

 その部屋にいる人間や幽霊たちも金縛りで足が床から離すことができない。ジェイが悔しそうに足を動かそうと躍起になっている。

『もうちょっとやったのに、くそ! 晶どないか出来へんのか!?』

 ジェイが身を捩るが足はびくとも動かない。そのまま前に転倒してしまう。
 晶は力の使い方が分からない。一か八か水晶玉を地面に付けてみると金縛りが解ける。

 ジェイやタケがすぐさま追おうとするのを晶が止める。

「ダメ、結界を使って雲隠れするに決まってる。もし追いついても……消されちゃうからやめて。それに……きっとこれが、最後じゃないから──」

 晶はサンが消えたドアを見つめた。ジェイは悔しそうに自身の太腿を殴りつけた。怒りの矛先が見つからず悔しそうに俯いた。

 父親のように慕っていた人間が残忍な殺人犯だと知りショックを通り越し怒りに変わっているようだ。若林組の情報をいち早く知るために自分は利用されたと思い落ち込んでいるようだった。

 晶はその背中を撫でた。触れることは出来ないけれど、してあげられることをしてあげたかった。
 
 太一は高人の肩を借り椅子へと腰掛けた。田崎はまだ紐につながれたままの直の元へ近付いた。その足取りは重く、恐れているようだった。その様子に直は優しく微笑んだ。

『お父さん……組長のそばにいたんだね。知らなかった……』

『父と、呼んでくれるのか……こんな俺を──残忍な人殺しだぞ』

 田崎は直を直視できなくなる。抱きしめたいが血で汚れた手で触れたくないと思っているようだ。腕を伸ばしかけて即座にその手を戻した。

『私も、残忍な人殺しだよ……やっぱ親子だね。ナイフもお父さんが持ち歩いてたって聞いて、一人で練習したんだよ』

 直が田崎の腕に触れる。温もりのない手に田崎は不甲斐なさや、取り戻せない時間を恨み涙を流す。

 田崎は理香子に合わせる顔がなかった。あの時は死ぬことでしか償えないと思っていた。一人残された理香子は俺を思い娘を一人で育ててくれた。愛情を持って育ててくれていたはずなのにその娘を俺は……俺は──。

『すまない、直──すまない……』

 直は首を横に振ると無邪気な笑顔で田崎に抱きついた。その体からもう白い紐は消えていた。太一は会話だけしか聞こえていなかったが、二人の穏やかな声色を聞き、笑みを浮かべた。高人が不思議そうな顔で太一の顔を覗いた。

「大丈夫か? 苦しいか?」

 高人の優しい声に太一は胸が苦しくなる。拳人が太一に近づくと切なそうな顔をして太一を見下ろしていた。二人が責めるような目ではなく労わるような、慰めるような目をしていた。それが本当に温かくて太一は胸が一杯になる。

「若林さん……本当に申し訳ありませんでした」

 太一が二人に頭を下げた。謝ることしかできない。それしか、出来ない。

「謝っても許されることじゃない……本当に申し訳なかった……。二十年前のことも全てうちの組のせいだ……。憎しみで心が一杯で真実が見えなくなっていた──」

 高人が太一の肩に手を置く。その手は温もりに満ちていた。

「謝るのは……俺たちだ。憎しみや恨みの連鎖をこれ以上生ませたくなかった。お前たち二人には恨みを持たず人生を歩んで欲しいと誉さんや先代と話し合ってああする事にしたんだ。だが、今考えればそれが正しかったかどうかは分からんがな……。真実を知り、許し合い歩み寄る選択をすれば良かったのかもしれないな。あれが、サンを生み出したのかもしれない──」

「親父……」

 部屋の中に警察が入ってくると病院の襲撃の件や石田の恐喝の件で太一は現行犯逮捕された。
 太一の表情は穏やかだった。ようやく解放され、ただ前を見据えていた。手錠をかけられた太一は足元がおぼつかない。晶は警官に待ってもらうように言うと太一の胸へと飛び込んだ。

「……子猫ちゃん?」

「このままだと倒れるから、私の霊力を持って行って。太一さんはチョコレートでしょ? 私は睡眠で賄えるから」

 晶の手に握られた水晶玉から紫の光が出てゆっくりと太一の胸へと吸い込まれていった。顔を歪ませた晶は太一にバレないように呼吸を整えた。

「……これで、大丈夫……」

「……ありがとう」

 太一は困ったように笑うと晶をぎゅっと抱きしめ返した。晶は思ったより小さくて、それでいいていい香りがした。太一はその香りを忘れないようにしっかり吸い込んだ。
 しばらくすると拳人が晶のリュックを掴み太一から引き離す。太一は拳人の眉間にシワが寄っているのを見ると微笑んだ。拳人は不機嫌そうに声を掛けた。

「……もう、いいだろう?」

「厳しいな──ふふ、嫌になったら僕のところにおいでね……晶」

 太一は晶に微笑むとそのまま警察官に連れられて歩き出した。


 カラオケボックスの外へ出ると多くのパトカーが並んでいた。その中から煙草をふかした山形と慌ただしく荷物を抱えた木村が出てきた。山形は高人の姿を見つけると視線を逸らした。

「……まんまと犯人には逃げられたようですな」

「それはそちらの仕事でしょう?」

 高人が満面の笑みで微笑むと山形は黙り込んだ。山形は指示を出して木村を現場に向かわせると煙草を地面に放り投げて足で踏み潰した。
 高人は思い出したように山形に声をかけた。その声の調子は明るい。

「あ、でいいんですね?」

「……あぁ」

 山形は顔を上げずに返事をした。木村から呼ばれた山形は建物の中へと向かった。その背中に高人は一礼した。


 拳人は警官に声を掛けられ頭を下げた。どうやらこのまま警察署で調書を取るらしい。拳人が晶の方へと近付いてくる。晶は警察官に毛布を掛けられている。多くの霊力を失い体温が落ち体が震えていた。その顔色は病院で見たときのように真っ青だった。拳人は晶の肩に手をかけると辛そうな顔をした。

「……メゾン」

「トモ……ごめんね」

 拳人は晶を引き寄せると抱きしめた。晶は抱きしめられると涙が溢れ出た。ずっと寂しかった、伝えたかった……。晶が泣き出したのが分かると拳人はより力を込めて抱きしめ、瞼を閉じた。その表情は苦しげだった。

「悪かった、俺が悪い──」

 こんな小さな体で情報を集め、命を狙われても逃げずに戦ってくれた……晶がいなければサンに勝てなかった。こんなにそばにいたのに、気づけなかった……。

「あの女が、メゾンを次に見つけると殺すと言っていたんだ……関西に逃げたと聞き安心していた。これでメゾンは助かる……そう思っていた。それなのに……。知らなかったと言えお前を一人にして危険な目に合わせてしまった──すまなかった」

 拳人の言葉にあの日の突き放す言葉の真意を知り胸が熱くなる。拳人は私を守ろうとしてくれていたんだ……わざと遠ざけていたんだ。知らなかった真実に晶は頷くことしかできない。

「もう……お互いに謝るのはやめようよ、こうしてまた会えたんだもん」

 晶は拳人の前に手を出した。その手を見つめて拳人は動揺している。

「一から始めましょ……私は山田晶です、幽霊が見える占い師です。よろしくお願いします」

 拳人はその手を握るとようやく破顔した。銀縁メガネを少し上げると唇を噛んだ。

「俺は若林拳人だ、ヤクザだ。よろしく」

 ようやく二人は本来の姿で握手を交わした。その姿を車に寄りかかり見ていたヤスと小鉄はホッとした表情をしていた。

「やっと若に春が訪れそうですね……よかった」

 小鉄のどこか思いを馳せているような目にヤスはほくそ笑む。

「お前も恋がしたくなったのか?」

 思いがけないヤスの言葉に小鉄は耳を赤くする。「そりゃ、生きてれば恋の一つや二つ…」とゴニョゴニョと言葉を濁す。ヤスは小鉄の耳に口元を寄せると何か言葉を発した。二人しか聞こえないその言葉は小鉄の顔を真っ赤に染めるのに充分だったようだ。
 放心状態の小鉄を置いてヤスは笑いをこらえながら車へと乗り込んだ。

 ようやく二十年の月日が流れ、恨みの連鎖が本当の意味で断ち切られた──。
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