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第一章 

103.対峙

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「──か……若……っかり、しっかりしてください」

 体を揺さぶられる感覚がして目を覚ました。目を開けたかどうか不安になる程の暗闇の中、椅子に座らされ体を拘束されているようだ。手首に何かが巻きついている感覚がした。疼くような頭の痛みと額に何かがこびり付いて引き攣るようだ……どうやらあの時出血したらしい。
 横に何かが動く気配と微かだが何かが擦れる音が聞こえた──。

「ヤス……お前か?」

「若っ……大丈夫ですか?」

 はっと息を飲むような声が聞こえてくる。いつもより掠れた声をしている。ヤスもケガをしているのかもしれない。二人の声が反響している……かなり大きい部屋のようだ。

 どこだ?ここは──。

 自分たちの声や物音以外何も聞こえない。まるで宇宙に取り残されたような、漆黒の闇が二人を包んでいた。

「……怖い?」

 突然男の声が聞こえる。

 二人が意識を取り戻す前から物音を立てずそこにいたのだろう。気味が悪くて鳥肌が立つ。

「僕の世界はいつもこんな感じだよ。何もない……フフっ」

「船越……お前か。どういうつもりだ」

 タンっと靴底が床に当たる音が響くと。テンポよく足音がこちらに近付いてくる。 

「若林さん、僕はあなたが憎い。仲間がいて、恋人がいて……幸せそうなあなたが憎いんだ。あなたの物は──壊したい」

「馬鹿な真似はよせ……俺を殺して何になる」

「あなたは──若林組は僕の大切なものを奪った……奪うのは当然でしょ?」

「……何の話だ?」

「二十年前……僕の母さんを──殺したんだ」

 拳人もヤスも声が出ない。

 殺した? 船越の母親を?……誰が?


 足音が遠ざかると突然部屋の明かりが点された。暗闇に慣れた瞳はあまりの明るさに機能できない。瞬きを繰り返し順応していくと目の前に呆然と佇む太一の姿があった。近くの壁には直がもたれ掛かりこちらを睨んでいた。その手にはナイフが握られている。

 ミラーボールが天井についたまま放置され周りの壁紙は剥がれ落ちている。今は使われていないダンスフロアかカラオケボックス跡のようだ。昭和を彷彿とさせる模様で埋め尽くされた床のクッションフロアが酷く汚れている。

「あの日、母さんは船越組の二人組に殺されたんだ。屋敷の前で刺された。船越組はその事実を揉み消して二人組も消した……あなたのお祖父さんがやった事だ」

「嘘だ、じいちゃんはそんなことするような人じゃない!」

 拳人は立ち上がろうとするが椅子に足を固定されて動かすことができない。

「穏健派に舵を切ったのは真実を隠すためだよ。偽善者だよね……あれから家の中は地獄だったよ。父さんも僕の顔を見るのが辛かったんだ。僕が、母さんに似ているから」

 太一が悲しそうに笑った。直が太一を一瞥しすぐに目を逸らした。
 太一がこちらに向かってくると突然拳人の胸に蹴りを入れる。鈍い音と共に拳人の体が衝撃で椅子ごと後ろに倒れそうになる。

「ッ!……ガハッ」

「若!──ッ! やめろっ!」

 いつのまにか椅子の後ろに男たちが立っており拳人の体が倒れないように支えていた。太一の蹴りを腹に受け拳人の顔が痛みで歪む。

「母さんは若林組に殺されたのに、病気で死んだことになった。おかしいだろう? 罪に問われるべきはあなたたちなのに……毎年命日にあなたの父親の作品が届くんだ。それが意味することは一つ──償いだ。一体どんな理由で父親を黙らしたか知らないけど……許される事じゃないよ」

 病院で熊田のペン立てが床に落ち砕けた。その底にはあの印が押されていた。作者の名を聞いた時雷に打たれたような衝撃を受けた。

 太一が苦悶の表情を浮かべているのを拳人は黙って見ていた。声を出すことさえ許されぬ立場なのかもしれないと思い始めていた。銀角を、高人を信じたい気持ちと次々と吐露される内容に肯定も否定も出来ない。自分は何も知らなすぎる……。

 血が滾り頭に拍動を感じる……それなのに蹴られた胸や心臓はひんやりと冷たくなっていく。

 何が、真実なんだ……。

「どうしたいんだ……お前は、何が目的だ」

「若……」

 押し黙っていたヤスが拳人を止めようとする。とたんに太一は弾けんばかりの笑顔を見せる。壁に立て掛けた日本刀を握ると拳人に向かって刃を向ける。鞘から出されるときの金属が擦れ合う音が部屋に響く。

「絶望させて殺したい。殺人犯として刑務所で一生を終えて欲しかった……でも、それだけじゃ足りなくなってきちゃった──ん? あぁお待ちかねの演者がきたよ」 

 太一の視線が拳人たちの後方へ向けられた。そこには黒い木製のドアがあった。何やら物音が近付いてくる。木が折れるような音と人のうめき声が混じる。小さな音だが防音効果がされた部屋なのでもしかしたらかなりの騒音なのかもしれない。大きな音を立ててドアが開かれる──。

 そこにはスーツを着た組長、高人が葉巻を咥えて立っていた。面倒臭そうにネクタイを取ると手の甲に巻いた。その拳は血で染まっていた。

「く、組長……」

 ヤスが唖然とした表情で見つめている。ヤスも長く組にいるがこんな高人は初めて見る。タオルを頭に巻きいつも泥だらけで、作品作りを失敗して泣いたり、笑顔で陶芸の素晴らしさを語る高人とは大違いだ。
 ヤスが身構えるほどの覇気を感じる。

 これが、本当の……組長──。

「お邪魔するね。おっと……あ──ごめんごめん寝ててくれる?」

 後ろから男に羽交い締めされた高人は葉巻を咥えたまま後ろへと蹴り上げる。所謂空手でいう上段回し蹴りであっという間に男の姿はこちらから見えなくなった。人間を蹴ったとは思えないほどの音が聞こえた。きっと今の一発で肋骨が何本か折れただろう。

「……俺も親父には勝ったことねぇよ。あの人化け物だから」

 拳人も十分強いがそれ以上となると誰も止めることはできないだろう。

「太一くん、探したよ……おぉ、お前たち無事か?」

 軽い感じでついでに拳人たちに声をかけるが、ヤスも気の抜けた返事しかできない。高人が太一に近づこうとする直がナイフを持って立ちはだかった……高人は両手を上げて指をひらひらさせるとそのまま膝をつき両手を上げる。突然のことに拳人が暴れる。

「親父! 何して──!?……くそっ! 離せっ!」

 拳人が暴れ出すと後ろにいる男が体を押さえて拘束する。太一が高人を睨んで眉間にシワを寄せる。高人の命を投げ打つような行動に驚きながらも嫌そうな顔をする。

「……何のつもり?」

 高人が太一を見上げると、咥えていた葉巻を吐き捨てる。

「俺を、代わりに殺せ。お前の母親が死んだのは──俺のせいだ」

 拳人の目が大きく開かれる──真実だった……のか? 
 本当に船越の母親を──殺したのか?

 太一の口元が震え出す。勢いよく日本刀が高人の顔の前に向けられると高人は目を閉じようともしない。太一は荒々しく呼吸を繰り返すと大きく刀を振り上げた。

「やめろっ!」

「組長っ!」

 拳人とヤスの叫び声が部屋に木霊した──。
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