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第一章 

101.決戦

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 夕方になり降り続いた雨はようやく終わりを迎えたようだ。拳人とヤスは事務所を後にして帰路につこうとしていた。

「少しだけ、寄ってくれるか」

 ヤスは返事をすると何も聞かずに来た道をUターンする。
 到着すると拳人は車で待つように言うと階段を上る。誰も住んでいないアパートはすっかり土埃が溜まり一気に寂れて見える。主人を失ってすっかり元気をなくしたようだ。

 拳人は二階のドアの前に立つといつものようにそっとなぞる。なぞった指の跡がメゾンがいなくなって月日が経ったことを教えてくれる。

「元気か? メゾン。今日は前のケーキの店の新商品がな──」

 拳人はたまにこうしてここを訪れていた。
 ほんの数分だけだが、心が落ち着いていく。拳人はもう占いへの興味が薄れていた。

 メゾンがいなくなったからではなくて、メゾンという友達が出来てからだ──。

 拳人は寂しかった。それを埋めるために占いに通っていただけだった。メゾンに出会えた事で拳人の人生は変わった。誰かに本当の自分を知って欲しかった。だから、もう拳人にはその必要がなくなっていた……メゾンがいてくれたから。

「またな」

 ドアに手を当てると初めてここを訪れた時の事を思い出した。メゾンの驚いた顔と慌てて部屋の中に案内された事を思い出して微笑む。

 あの時は俺も黒縁の真面目な格好だったな……。

 拳人は階段を下りるとアパート前の車にヤスの姿がない事に気付いた。勝手に動く男ではない……嫌な予感がして駆け出すと一瞬目の前を何かが通った気がした。

 ドゴッ……ドサ──

 頭上で鈍い音がした。何かで殴られた音だと気付いた時には脳が揺れ目の前が真っ暗になっていた。土の匂いと誰かが砂利を踏む音が聞こえた気がした。
 





 晶は全速力で走っていた。胸が痛くても、喉が渇いてむせても構わずに足を止めなかった。

 小鉄から連絡があり至急屋敷に来るように連絡があった。

 若と兄貴が拉致された。

 そう聞かされた時頭を殴られたように言葉が呼応した。どうしてこうなる事を予想できなかったのだろう。いつだって拳人を狙った犯行だったはずだ。どこかで罪を拳人になすりつけるだけだと思い込んでいた。

 なんで
 どうして
 拳人を殺さないで
 ヤスさんを殺さないで

 お願いだから……お願い……。

 屋敷に着くと入り口には若林組の男達が溢れかえっていた。皆顔が引き攣り口々に何かを話していた。小鉄が晶の姿を捉えると屋敷の中へと呼び込む。

「ごめん急に。大変なことになった……」

「いえ。組長はどちらに?」

 晶は冷静でいようと大きく息を吐いた。焦っている場合じゃない。

 高人は珍しく黒のスーツに身を包んでいた。携帯電話で誰かと話をしている。晶たちが部屋へ入ると指で座るように合図する。通話が終わると高人が目の前に座った。その表情は疲弊していた。

「どうやら拳人は待ち伏せされたらしい……。車ごと帰宅途中で消えた。間違いなく船越組が関わっているだろうね」

 高人は眉間にしわを寄せる。拳人がいない今高人が組を動かしている。こうしている間にも高人のそばにいる男がメールを返信したり、障子越しに指示や報告を受けている。

「そうか、分かった……。すまないな、苦労かける」 

 高人は電話を切ると溜息をつく。

「病院からだ……面会謝絶にしていた部屋に乗り込んできたらしい。晶ちゃんがいると思ったんだろうな」

 晶の顔が引き攣る。震える手を押さえると高人に声を掛ける。

「あの、熊田先生は……無事ですか?」

「あぁ、大丈夫だ。目撃者の証言だと驚く事に……船越の組長自ら病院へ乗り込んできたようだ。まったく……後先考えない行動だな、若さかね」

 高人は微笑んでいるが内心は穏やかではないのだろう。指の関節を鳴らして遠くを見ている。晶の眉が下がるのを見ると高人は子供の頭を撫でるように晶の頭を撫でる。

「拳人たちの居場所が分からないんだ。晶ちゃん、何か知らない? きっと君が一番わかると思うんだ」

 晶は涙をぐっと堪える。今は泣いている場合ではない。周りを見ても銀角や強面コンビが居ないのはきっと拳人達のそばにいて戦っているからだ。

 まだ間に合う。私が──助けなきゃ……私しか出来ない事が、ある……。

「組長、すみません。訳は後で話しますから」

 座敷の中央に立つと晶は息を大きく吸い込んだ。カバンから水晶玉を取り出すと強く握りしめた。
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