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第一章 

82.宿泊所

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「ここは……」

 目の前の建物を見て唖然としているヤスを置いて晶は部屋へと入っていく。ヤスは黙って晶に付いて中に入る。ヤスは慎重に足を進めながら宿泊所の異様な光景に目を奪われている。壁紙が剥がれ人一人やっと通れるほどの廊下が奥まで続いている。普通の建物ではあり得ない造りだ。この建物には消防法は当てはまらない。まさしく無法地帯だ。

「ど、どうぞ……少し狭いですが……」

「あ、あぁ……」

 蹴れば開いてしまいそうなドアの鍵を開ける。ヤスは部屋を見て息を飲む。晶自身も冷静に考えればおかしな部屋なのだが、当時切羽詰まった状況だったのか二畳分のスペースだけでも有り難かった。荷物が少ないとはいえ大人二人でもう定員オーバーだ。ヤスは体を縮めて座っているが床も硬く居心地が悪そうだ。

「想像以上だな……」

「すみません、お茶も出せず……」


 ヤスは気にするなと言い、部屋の中を見回す。テレビも冷蔵庫も何も無い。スーツケースに煎餅布団が部屋の隅に置かれていて、女らしいものも何も無い。窓もなく薄暗い部屋で古い建物独特の匂いがして衛生的とはいえない環境だった。
 壁も薄く部屋の前を通るスリッパの音や隣からは昼間から酒に酔った男の声が聞こえてくる。晶は慣れているのか男が歌い始めた歌謡曲に目を輝かせ「懐かしい」なんて呑気なことを言っている。

 仮にも晶は女だ。こんな環境にいると若が知ればなぜ連れて帰ってこなかったのかと自分が責めらるのは目に見えていた。

「あー……いつからここにいるのか知らないが、傷口にも不衛生だ。屋敷に住んだ方がいいだろう」

 ヤスがそれとなく誘導しようとしていたが晶はこの部屋を出て行く気がないらしく首を縦に振らない。ヤスが困った顔をしてこちらを見ているが晶もあの屋敷にいれば身動きも取りにくい。
 それに、多くの人間と幽霊が混在している中を生活することは難しい。いつかボロが出てしまう……。

 ふと見ると佳奈が晶の布団に座り込んでいる。佳奈も周りを見渡し開いた口が塞がらないようだ。隣の壁に頭を突っ込んで叫び声をあげた……隣のおじさんの不衛生さに驚いている。佳奈は真剣に晶を説得し始めた。

『絶対屋敷のほうがいいわよ、ね? そうしましょ? 私もその方が嬉しいわ。女の子同士だし』

 佳奈の真剣な表情に晶はおもわず笑ってしまいそうになりヤスにばれないように唇を噛んだ。晶に無視をされたと思った佳奈は晶の体にまとわりつく。ずっと年上のはずなのに可愛い人だ。一瞬だがラベンダーの香りが鼻に付く。他の幽霊には匂いはないのだが何故か佳奈から時折いい香りがする。

『若もこの人も幽霊に対しては寛大よ? 問題なーし。この間の件で幽霊信じてるもの』

 え? 幽霊に、寛大?

 晶は佳奈に目配せをすると飲み物を買うために外に出ると言って部屋を出る。 部屋を出ると入口の角にある自動販売機の前で立ち止まる。

「どういう事? 若が幽霊を信じてるの?」

 佳奈が小鉄に憑依して助けを呼んだ事、拳人にも説明して分かってもらえた事を知った。何かを思い出したかのように苦笑いをすると小鉄に晶が女だとバレてしまった裏話をし始める。

『──んで、小鉄くんが晶の事女って知っちゃったみたい。ごめんね……言いづらくて』

 下着姿の件は恥ずかしいが佳奈と小鉄のお陰で助かったのでとやかく言う事はできない。

『だからこの際霊力のこと話したらどう? 力になってくれるかも』



 もう俺の前に現れなきゃいい──。



 晶はぼんやりと拳人の言葉を思い出していた。バレたら、ダメだ。やっぱり言えない。

 缶コーヒーを買うと部屋へと戻っていった。
 ヤスは相変わらず部屋の中央で身動きが取れない状況で座っている。鍛え上げられた背筋や腕の筋肉がスーツ越しに分かるほど体を小さく丸めている。

「お待たせしました、どうぞ」

「悪いな」

 晶はヤスがなぜヤクザをしているのか分からなかった。今の笑顔を見ればそんじゃそこらの営業マン顔負けの爽やかな顔をしている。
 まじまじとヤスを見ていると隣にいた佳奈が頰を膨らませている。

『ちょっと、晶。惚れちゃダメよ』

 佳奈が嫉妬の炎を燃やしたせいかぞくりと背筋が寒くなる。それはヤスも同じだったようで「クーラーの効きがよくなったか?」と天井を見上げている。

 晶が佳奈にその気はないと首を振るとそのまま落ち着いたが幽霊の嫉妬は恐ろしいのは本当だと再確認する。

「あ、これ良かったら……」

 晶は佳奈のご機嫌をとろうと買い置きしていたチョコレート菓子を出す。ヤスがそのお菓子に手を伸ばし袋を開けていると先にチョコレートを食べた佳奈が大きな声で叫ぶ。

『ダメ! マンゴーが入ってる!』

 晶はヤスの口元近くまで運ばれていたチョコレートを叩き落とす。咄嗟のことだったので全力でヤスの手を殴ってしまった。 
 痛みよりも驚きの方が大きかったのかヤスが唖然とした表情でこちらを見ている。

「あ、す、すみません──」

 ヤスは飛んで行ったチョコレート拾い上げると菓子の箱の裏を確認する。晶はすかさずその箱を取り上げた。

「賞味期限が切れていたので……すみません」

 晶は視線を逸らしてそれらしい事を言うがヤスの視線は晶を捉えたままだ。

「……お前、なんでを知っている──俺が漆のアレルギー持ってる事をなんで……」

 マンゴーはウルシ科の食べ物だ。
 ヤスはマンゴーエキスが口に入ると湿疹が出ることがあった。

 何年も気を付けていた……五年以上アレルギーは出ていないのに……なぜ晶がこの事を知っているんだ?

 スーパーをクビになった時にみんな今のヤスさんのような目で私のことを見ていた……怖かった──拒絶されることが……。

 ヤスの携帯電話が鳴る。

「……何だ?──分かった。すぐ行く」
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