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第一章 

73.美しい女

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 地下にあるバーは週末ということもあり人で溢れている。本来ならば雨天で客の足も遠のいてしまいそうだがこの店は関係ない事のようだ。ジャズの生演奏が定期的に開催され、多くのジャズファンが深夜の時間帯にも関わらず集まり始めていた。
 多くの人が特設ステージへと目を向ける中、カウンターの席のタイトな黒の革の上着を着た女は興味がなさそうにウィスキーグラスを片手に携帯電話を操作している。

 誰かにメールを送ると画面を伏せるように机に置く。明らかに不機嫌そうな様子に声をかけようとしていた遊び人の男がいやらしい笑みを浮かべる。

「キミ、一人? もしかして……連れに振られちゃったとか?」

「…………」

 今時珍しく白のスーツを決め込んだ男がさりげなく女の横へと腰掛ける。ちらちらと女の首筋から太腿までを欲情の色をした瞳で見つめている。女は男に無視を決め込みイスを回転させて視界に入らないようにする。

「こんな美人を一人にするなんて、ひどいよね。俺なら心配でたまらないけどね」

 女の拒む姿勢に全く怯まずに話しかける男にカウンター越しに立っていたバーテンダーも思わず苦笑いを浮かべている。置かれたスマートフォンが震えると女がすぐさま確認する。

「生きている……ですって? そんなバカな──」

 眉間に皺が出来るほど怒りをあらわにすると引き留めようとする男を置いて店を出て行った。

「あー行っちゃった……上物だったのに」

 白のスーツの男は残念そうにドアを見つめている。猫撫で声をやめた男は溜め息を漏らした。

「お客さん、命拾いしましたね。あの人に近づく男なんてもういないかと思ってましたよ」

 バーテンダーがグラスを白い布で丁寧に磨き上げている。男が訝しげな表情をしていると、バーテンダーはクスッと笑いながら女が飲んでいたグラスを片付ける。

「美しい花には棘があるんです。鋭く切れる棘がね」

「それどういう──」

 バーテンダーの男の含みのある物言いに男も興味が湧く。丁度ドラムとトランペットの音が店中に鳴り響く。どうやらジャズコンサートが始まったようだ。数人の男たちが目配せをしてリズムのいい音を奏で始めた。多くの客がグラス片手に生演奏を楽しんでいる。

「あはは、どっちにしろこの音量じゃ口説け──」

 ステージから視線を戻すとそこにはもう誰もいなかった。
 頼んでもいない酒の入ったグラスが目の前に置かれていただけだった。
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