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第一章 

67.命日

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 今日はどうしようもないぐらい仕事がはかどらなかった。例年のことながら溜め息が漏れる。秋は飲食店の売り上げが下がりやすい季節だ。夏場の売り上げと比べると全体的に下がってしまう。

 拳人はいつもお世話になっている水産加工会社との秋鮭のコラボ企画を進めていた。女性客をターゲットにした締めのケーキも意外に好評で今回新しく出すケーキの試食を行う予定だったがどこか上の空で決定とまではいかなかった。
 皆に申し訳ない気持ちでいっぱいだがヤスのサポートでなんとか今日一日を乗り切った形だ。

「すまない」

 ヤスは優しく微笑んでいるがいつもより疲労の色がみられる。拳人の分の仕事もこなしたからだろう。

「今日は……仕方ありません。明日以降頑張っていただきますからね」

 拳人は苦笑いするとヤスとともに店舗を後にする。

「今晩は晶が進捗状況の報告に来ます。何か掴んだようですね」

 車を運転しながらヤスが報告すると拳人が黙って相槌を打つ。

「警察の動きはどうなっている?」

「未だに決定的な証拠が出てこないので躍起になっているって話です。犯人の姿がどこ探しても出てこないことから身内では【ゴースト】と呼ばれているそうです」

「【ゴースト】か……お化けか……」

 拳人の言葉にヤスが返事に困ってしまう。今日の拳人の頭の中は死んだ母親でいっぱいだ。今日は拳人の母、小春の命日だ──。

 拳人はそのまま屋敷へと直帰する。
 屋敷の外からでも食べ物のいい香りが漂ってくる。屋敷の座敷を覗くと母親の大好物の唐揚げが大皿に並んでいるのが見える。果物やお菓子などのお供え物はすでにテーブルに置かれている。

「親父はいるか?」

「離れで作業中です、お呼びいたしましょうか?」

 舎弟が立ち上がろうとするとそれを制し拳人が離れへと向かう。

 拳人の父親、現若林組組長の高人は一日のほとんどをこの離れで過ごしている。木々の影になり一日中陽の当たらないこの小屋が高人の城だ。一緒に暮らす拳人ですら一週間以上会わないこともある。それは高人が特別な仕事をしているからなのだが……。

 ガシャンッ!!

 小屋に近づくと建物の中から何かが割れる音が聞こえる。拳人は驚く様子も見せずそのまま引き戸を開ける。中には五十代ほどの男性がしまったという表情で頭を抱えている。見た目は拳人にそっくりだが、眉間のシワの深さや渋みが足されて独特の男の色気が出ている。甚平姿で頭を白いタオルで包む姿は組長とはとても思えない。

「親父、まだやってるのか?」

 高人は完成した皿を誤って割ってしまったらしく半べそをかいている。

「お、拳人か……見てくれ! 俺の力作……」

 足元の残骸を見て拳人がどうにも声を掛けられないでいると、沈黙に耐えきれなかったのか高人はわなわなと震え出した。また泣き出したのかと思い拳人が声を掛けようとすると高人の顔が般若のような表情をしている。

「ふっふふふふ……創作意欲が湧いてきたな。夜通しやってやるか」

 どうやら変なスイッチが入ってしまっているようだ。陶芸のことになると高人は病気だ。見た目こそ似ているがよっぽど拳人の方が落ち着きがあり、ヤクザっぽいとよく言われる。
 拳人は高人の肩を掴むとそのまま小屋から連れ出す。

「今日はいいから、母さん迎えないといけないだろ」

 高人は残念そうだったが、拳人の言葉に表情が緩むのが見えた。高人は形だけ組長として籍を置いているが実際は拳人に任せて自分は陶芸家として活動している。そこそこ名の知れた陶芸家で組が経営している飲食店でも高人の皿を使用しており店舗で販売を行ったり譲ったりしている。

 妻である小春を亡くしてから高人は変わった。

 ずっと小屋にこもり皿を作り続けている。
 当初は周りも戸惑っていたが銀角が再び仕事を引き継ぎ亡くなるまで組をまとめ上げていた。銀角は高人の好きなようにさせろといい、組長としての務めを放棄した事を一度も責めなかった。拳人が成人した時に少しずつ引き継ぎ安心したかのように銀角は亡くなった。

 拳人は組長としての高人より、陶芸家として生きている高人の記憶が強く、好きな事を仕事にしている父親を誇りに思っていた。

「今日の為に小春の皿を作ったんだ。喜んでくれるといいが」

「……当たり前だ。さ、着替えてきて。皆待っているから」

 拳人が高人の背中を押すと高人は部屋へと戻っていく。組の皆もこの日は忙しく縁側や渡り廊下をひっきりなしに往来していた。いつのまにか二十畳の座敷は黒の礼服姿の男達で溢れかえっている。長机をいくつも縦に繋げて段取りよくご馳走が並べられていく。座敷の唐揚げが乗った大皿は高人の新作の大皿だろう。小春の好きな花の絵柄が皿一面に描かれている。

 席に着いた高人が舎弟に皿を絶賛され満足げに微笑んでいる。皿を作った時の試行錯誤やアイデアを凄い勢いで話し出した。舎弟はどこで相槌を打てばいいか分からないほどだ。

(ふ……今年も無事に捕まったか……)

 大体高人に作品について話す奴は決まって新入りだ。次の年になれば誰も高人に皿の話を振ることはしなくなる。それぐらい高人は陶芸の話になると相手が逃げ出したくなるほど熱くなる男だった。まわりの男達もちらりと高人と新入りに目をやると互いに目配せをする。一種の歓迎の儀式のようで、皆懐かしそうな顔を浮かべている。

 席に座ると部屋の外から拳人を呼ぶ声が聞こえた。タイミング良く来客が来たらしい。高人が立ち上がり乾杯の音頭をとると男達の地響きが起こりそうな乾杯の声とともに夜会が始まった。

 我先にとご馳走を頬張る男たちは皆笑顔だった。しばらくすると晶が座敷の熱気に圧倒されながら座敷へと入ってきた。空いている席を探しているようでキョロキョロとネズミのような動きに拳人は思わず口元が緩む。体格のいい男達の中にいるとより異質な存在が際立つ。

「わ、すごい──どうしよう」

 晶は人混みを縫うように進むと拳人と目が合った。拳人が手招きすると慌てた様子の晶がそばにやってくる。晶の手には今回の出前のオレンジジュースが入った紙袋がある。溢れてしまわぬように気を使いながら上手くバランスを取っている。屋敷に疑われず入る為だけの口実でジュースを頼んだのだが、必死に届けようとしている姿に拳人は温かい気持ちになる。

(不思議なやつだ……)

「失礼します若、あの……今日は随分にぎやかですね」

 ようやく拳人の元へと辿り着いた晶はテーブルに並べられたご馳走に目を輝かせる。拳人に配達の袋を手渡すとそのまま促されるがまま横に座る。拳人の隣に座るのが気が引けるのか距離を置こうとする。

「……怖がらなくていい、座れ。とりあえず食べろ」

「あ、はい。頂きます」

 晶は取り皿を片手に嬉しそうに何を取ろうか悩んでいるようだ。唐揚げを丸々一個頬張ると大きすぎたのか頰がはち切れそうに膨らんでいる。

「ふ……やはりネズミか」

「ふん? ふぁい?」

「何でもない」

 拳人はメゾンの部屋で手作りの唐揚げを食べたことを思い出していた。メゾンは無事で元気にしているだろうかとあれから何度も考えていた。会いたい気持ちと、危険から守りたい気持ちが混ざり最後には悲しくなり考えることをやめてしまっていた。

「美味そうに食うなぁ」

 テーブルの向かいにいる高人が晶に気付き声をかける。ちょうど高人の前に狙っていたおかずがあり、晶は手を伸ばし皿を取ろうとしているところだった。

「コレか? ほらよ」

「あ、ありがとうございます……」

 高人は皿ごと晶の目の前に差し出すと晶は礼を言うと小皿に山盛り取る。あまりに豪快な取り方に高人が吹き出すと晶は顔を赤らめ黙々と食べ出す。

「見ない顔だな、新入りか?」

「親父はほとんどのヤツが新入りに見えるだろ」

 拳人が呆れたように呟くと晶が拳人と高人を交互に見る。よく見ると似ているどころじゃない、拳人の数十年後を見ているようだ。
 晶は慌てて口の中のものを飲み込むと姿勢を正す。

「あの、失礼しました! 組長さんとは知らずに……あの、わ、俺……晶と申します」

 晶は後ろに下がると深々とお辞儀する。高人はやめてくれと言いビールを飲み干すと晶は高人の横へと座り、酌をしようとビール瓶を持ちカチコチに固まっている。

 わわわ、拳人のお父さんだ……。

 高人がビール瓶ごと貰い受けるとテーブルに置く。

「ありがとな、酌はもう結構だ。仕事が残ってるんでな」

 近くで横顔を見ると銀角とよく似ている。笑った時の声なんて本人と間違うぐらい瓜二つだ。妙に親近感が湧いてきて高人をじっと見つめてしまう。視線が数秒合うと高人が突然晶をギュッと抱きしめる。背中に手を回し撫で始める。

「……ふむ、なかなか──」

 晶が案山子のように背筋が伸ばし固まっている。拳人が目を大きく開けてこちらを見ていることに気付くと高人は面白そうな顔をした。

「あの、何を……」

「ん? いや? なんか可愛くてな」

 高人はそういうと晶を手放した。隣にいたほろ酔いの舎弟が高人に声をかける。

「組長、晶は見た目は女みたいですが情報屋の腕は確かで、すごいヤツですよ」

「ほう、それはスゴイな。晶……だったな? よろしく頼むぞ」

 そう言うと高人は晶に近づき耳元で囁く。

「晶、無理はするなよ?」

 晶はすばやく離れると真っ赤になりながら何度も頷いた。

「……晶、こっちへ戻れ」

 拳人の眼光が鋭い。何か気に触る事でもあったのだろうか?

 拳人の隣へと戻ると高人がウインクをする。高人の様子に拳人は舌打ちをした。晶は嫌な汗をかきながら胃袋が崩壊寸前まで黙々と食べ続けた。




 宴は時が経つに連れ大きな盛り上がりを見せている。晶は手洗いに行くために席を外すと、座敷のある一角に綺麗な女の人が微笑んでいる写真とその周りに果物や唐揚げが供えられているのに気づく。
 その周りに強面コンビが座っている。珍しくご馳走には手を付けずじっとしている。

 晶は近くに行き壁に座り込むと小声で声を掛ける。タケは晶の方を振り向くと力なく笑う。元気印のマルまでもが憔悴しているように見える。

「なんでご馳走食べないの?」

『これは、姐さんのだから。俺たちが手を付けていいもんじゃねぇんだ』

 タケが写真立てを切なそうに見つめている。そこへ銀角がよっこいしょ囃子をかけながら腰掛ける。

『今日はな、拳人の母親の命日だ』

「じゃあこの宴は……そう、だったんですね」

 拳人の母親の小春はとても笑顔が似合う女性だったようで皆に愛されていたそうだ。置かれた写真も眩しいほどで見ているこちらもつられて笑いそうになる。

 小春は二十年前──拳人が五歳の時に亡くなった。拳人は冷たくなった母親と対面した時に泣かなかったそうだ。その日から拳人は変わってしまった。それまで母親に似て笑顔を絶やさなかった子が全く笑わなくなったそうだ。母親を亡くしたショックが大きかったのだろう。
 
 拳人だけではなく、高人にも大きな変化があった。

 それまで組長として跡を継いでいたが一転陶芸家として生きていくことにした。高人は小春が亡くなりしばらく引きこもっていたが部屋を出てきた日に銀角に再び組を率いてくれと土下座をしたらしい。

「深く愛するが故、だろうな──高人は小春しか見えてないそんな男だった」

 小春の死後若林組は大きな変革を経て今の形になったようだ。

 舎弟達の余興が始まり座敷では大きな歓声が上がる。皆が笑顔で楽しんでいる姿を見ると銀角は嬉しそうに笑っている。障子が開き外からヤスが晶に手招きをする。

「ちょっと行ってくるね」

 晶は部屋を出るとそのまま別室へと案内された。
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