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第一章 

63.もう、嘘は言いたくない

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 話が終わると、晶は帰宅前に手洗いを借りようと離れから屋敷へと渡り廊下を歩いていた。

 障子ばかりが延々と続き手洗いらしき場所が見当たらない。教えてくれた組員に連れて行くと言われたが性別がバレては困ると断ったことを悔いた。

「ちょっと、広すぎない? こんなにいらないでしょ……」

 ふと見ると部屋の障子が少し開いていて中に男性が寝ているようだ。その横に赤のワンピースの女の人が座って寝顔を見ている。
どこかで会ったことがある気がするが思い出せない。晶は鈍っている脳細胞をフル稼働させる。

「……あの──」

 部屋の外から声をかけてみると跳ねるように女の人がこちらを見る。その瞬間ラベンダーの香りが鼻腔を擽る。

(アパートにいた女の人の幽霊だ)

 生きた人間だと勘違いして話しかけてしまった。誤魔化そうとしたが視線をがっつりと絡ませてしまい後に引けなくなってしまった。

「……こんばんは」

 とりあえず挨拶をしてみたが女の人は大層驚いたようであんぐりと口を開けたまま部屋の奥へと後退りする。

『あなた、死神? 私を迎えに来たの?』

「いや、生きた人間だけど……」

『会話ができる人とは初めて会ったわ……』

 互いに自己紹介を終えると佳奈は眠ったままの小鉄を見下ろす。佳奈が付き添っていたのはあの小鉄だった。あまりに寝顔が幼くて気がつかなかった。小鉄の首に保護テープを貼っている。ケガをしているようだ……少し寝苦しいのか時折眉間にしわを寄せている。

「佳奈さんは、小鉄さんの恋人なんですか?」

 佳奈はきょとんとした顔で晶を見る。表情がコロコロ変わって小動物みたいで可愛い。茶色の長い髪を搔き上げると手を横に振る。

「いえ、私は……ヤスの婚約者だったの」

 予想していなかった答えに晶が言葉に詰まる。結婚間近で亡くなってしまったのだろうか……それはあまりにも不憫だ。

 佳奈が「気にしないで」と言い微笑む。

「じゃあなぜ小鉄さんのそばにいるんですか?」

「少し身体を借りていたの」

 晶が首をかしげていると佳奈は晶の体を通り過ぎていく。一瞬全身を冷気が包まれたような感覚になるがそのまま抜けていくと元に戻った。ただ全身に鳥肌が立ち、気持ちがいいものとは言えない。

「こんな風に──普通はお化けになると人間に重なっても何も起こらないんだけど、小鉄くんは違う、自分の身体に憑依させることが出来るの」

 どうやら今まで何度も小鉄の身体を借りてヤスと会っているらしい。ある日突然憑依出来るようになったが、最近は身体を借りるのを止めているそうだ。
 理由は聞かなかったが小鉄を心配そうに見つめる様子からそれは小鉄の為なのかもしれない。

「晶はここに住むことになったの?」

「あ、いや……仕事で来ただけで……」

 佳奈は見るからに残念そうだった。母性本能をくすぐられ抱きしめてあげたくなる。また近いうちに遊びに来る事を約束して別れた。その後舎弟たちの出勤に合わせて一緒に屋敷を出ると宿泊所に戻った。


 翌日に拳人の携帯電話に直接連絡をした。

 メゾンの詳細は分からなかったが関西地方へと向かった形跡があることを伝えた。そして引き続き調査することを伝えた。罪悪感が湧き上がるがどうしようもない。拳人は電話越しでも分かるぐらいに安堵しているようだ。

「では、失礼しま──」

 用件を話し終えて電話を切ろうとしていた晶を拳人が呼び止める。

「その……本名は何なんだ? まさかメゾンではないだろう」

「ふぇ?」

 予期しなかった質問に変な声が出てしまったが、拳人は気にしていない様子だ。さすがに本名を伝えてしまうとまずい……。
 晶が黙っていると拳人は慌てて言葉を繋ぐ。

「いや、いい……知らなくていい。悪かったな──」

 電話が切れると晶は糸が切れた人形のように畳んだ布団へとダイブする。会話を聞いていたジェイが不思議そうな顔をしている。

『適当に言えばよかったやん。ってか若に晶って名乗るからこんな事になるんやん』

「なんか、これ以上嘘は……言いづらくて──嘘ばっかりの私が言うのもアレだけど」

 ジェイが呆れ顔でこちらを見ているが晶は気づかぬふりをして依頼された写真をリュックから取り出す。とりあえず、手始めにあの街に行かなければならない。
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