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第一章
36.いらっしゃいませお客様?
しおりを挟む夕方になり店終いをしていると突然階段を駆け上がるような音がする。トモが来たのかと開けてしまったのが運の尽きだ。
ドアの前には爽やかな表情を浮かべた狂犬王子がいた。
「占ってもらって、いいですか?」
そう言ってそのまま店へと入ってきたのだが晶は驚きすぎてうまく反応できない。
「初めてで迷っちゃって……遅くにすみません」
「いえ……」
この王子様のような男は店のテーブルにつき、占い屋独特の雰囲気に興味津々のようだ。時折驚嘆の声を漏らしながらじろじろと部屋の中を見て回る。どうやら占いの店に来るのが生まれて初めてらしい。
いつも頭が悪いと言われ続けている私でもこれほどの美貌の人間を一度見たら忘れるはずがない……あの時の写真の男だ。
正体を知っているこちらはどう接すればいいのか分からず、中途半端な相槌を打つことしかできない。
──子猫ちゃん。
あの時囁かれた言葉を思い出しブルブルと頭を振る。
太一が晶の様子を見て首を傾げている。晶は愛想笑いをして男に背を向けた。
まずい、非常にまずい。
笑顔でこちらを見ているが正直逃げた方がいいような気がする。こんな時に限って私の周りには幽霊の一つもいない……役立たずどもめ。お供えは今日は抜きだ。
どんなに世間が狭かろうがこの男がここに現れたのは偶然ではないはずだ。だが、自分から尻尾を出すのもおかしいので様子を見ることにする。
トモだって占いが好きだったのだ。この男もたまたま来てしまった可能性だってある……そうだそうだとも。
晶は平静を装って太一の前に座ると水晶玉に手を触れる。
「何を、占いましょう」
「人を探しているんだけど」
意外な内容に晶が太一を見つめるとニコっと微笑んでいる。太一は晶の方へ身を乗り出すとそっと小声で囁く。
「写真を撮るのが上手い男なんだよね」
写真、の言葉に思わず動揺するが、晶もこの仕事で培った隠すスキルでかわす。
「ん? それはうちの専門外ですね? 探偵の方が──」
晶が微笑むと太一はテーブルに肘をつき前髪をくるくると指に絡ませる。
「ま、いいや。正直に言うね。あなたの男に俺と組むよう伝えて欲しい」
どうやらあの時写真を撮ったのは男だと思っているらしい。しかも私の彼氏か何かだと勘違いしているようだ。
「はぁ……組む……ですか……」
どうして居場所がバレてしまったのか……この男は自信ありげな表情でこちらを見ている。半分正解の状況だが、このままだとまずい。
逃げ道を確認しようと晶が視線を玄関に移すと奥に人影があることに気がつく。太一に気を取られて幽霊に気づかなかったようだ。
スーツ姿の細身の男で身長が二メートル近くあるが佇む姿は異様な雰囲気を放っている。
太一に憑いてきた男のようだが、今までの幽霊と違って気配を消し、背を向けたまま近寄っても来ない。
「……ね、聞いてる?」
返事がないのを不審に思った太一が晶の目の前で手を動かす。
「あ、すみません。あの人とは別れちゃって、どこにいるか分からないんです……」
目元しか見えていないのでうまく表情を隠せているようだ。太一も悩むような顔を見せる。早く話を終わらせたい晶は畳み掛けるように饒舌になる。
「荷物もありませんし、ここにはもう来ないと思います、ってか来ないです。あの人とはもう関係ないですから」
「そうか……どうしよっかな……」
晶が冷たく言い放つと太一は頬杖をつき天井を見上げている。
どうやらこのまま帰ってくれそうな空気だ。よかった……。
『──嘘だ』
突然部屋にテノール歌手のような低い声が響いた。玄関で立っている幽霊の声のようだ。声の主がゆっくりとこちらを振り返る。
まずい!
晶は水晶玉に視線を戻す。
背の高い男がゆっくりとこちらに近づく気配がする。水晶玉越しに男の顔が映る。黄土色した顔色は痩せこけており黒髪を七三分けにした中国人マフィアのような風貌をしている。今までの幽霊とは全く別物だと直感で分かる。
会ったことはないがこれが《悪霊》というやつなのだろう。
『太一、この女の言うことを信じるな』
どうやらこの悪霊の目はごまかせなかったらしい……幽霊のくせに凄い威圧感だ。太一の側に行き話しかけているが残念ながら幽霊の声は聞こえない。悪霊に焦点を合わせないように顔を上げると太一の顔が鋭くなっていた。
え……え? なんで?
先程まで晶の話を信じていたようだが一転、こちらを見る目が明らかに訝しげなものに変わっていた。
「本当はまだ切れてないんでしょ? 嘘はダメだよ」
自信ありげな表情でこちらを見つめる。
もしかして、もしかするのか……?
「ど、どうして? いつかは終わりがあるでしょう? なぜあなたに分かるの?」
わざと感情的な言葉を言ってみる。悪霊は大きく溜息をついたようで長い吐息が横から聞こえる。
『こんな女は嫌いだ。太一、こいつを殺せ。俺がそのあと魂も消してやる』
一瞬何を言っているのか分からなかったが、腹の底にしんっと冷えた感覚が降りるのを感じた。悪霊の言葉が本気だと分かる。恐怖で足が震え出す。
「……だめだ」
消え入るような声で太一の口が開いた。今のは明らかに自分に向けられたものではない。
間違いない……この人も私と同じ、幽霊と話せる人間なんだ。
晶と目が合うとごまかすように太一が席を立ち玄関の方へと歩き出す。悪霊はいつのまにか消えていた。
「男が帰ってきたら、この番号に連絡するように伝えて。じゃ」
太一は玄関のコルクボードに名刺を刺すと部屋を出ていった。晶は椅子から立ち上がろうとするが腰が抜けてしまっているのか足に力が入らない。晶は自分の太腿を拳で殴ると深呼吸をする。悪霊が言っていた言葉を思い出し身震いする。
あの悪霊……殺すことに躊躇いもないようだった。魂も消すとか……何の事かしら……。
晶はもう一度拳を太腿に押さえつける。まだ立ち上がることは出来ないようだ。
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