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第一章 

19.狂犬王子

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「すまない、今日は助かったよ」

「いいの、だいぶ色々と溜まってたみたいね」

 セクシーな女性が微笑むと腕を組む。豊満な胸がより一層主張される。

「……でも俺はまだ──」

「大丈夫よ。また来てくれたらそれでいいから、ね?」

 女は優しい口調で言い切ると、ひらひらと手を振りビルの奥へと帰っていく。拳人は大きく息を吐くとその場から立ち去った。その後ろ姿を晶がじっと見つめていた。

──今の、何?

 この歓楽街がどんな場所かも知っている。そこで男女が身体を擦り合わせているのもどういう意味か分かっていた。
 帰り際に見せた切なそうな表情を思い出し、晶の頭の中で妄想が膨らむ。二人が愛を語り合っている姿を思い描くと、頭を抱え込みその場にしゃがみ込む。それだけの事で晶の顔はリンゴのように真っ赤になる。興奮したからだろう、心臓が激しく脈を打ち時折ズキンと痛みがある。

「見てない知らない見てない知らない……」

 一人呪文のように呟き続ける。

『……何を見てないって?』

「うわっ!」

 耳元で銀角がささやくと飛び跳ねるように驚く。晶の様子に銀角は目を丸くしている。

「……驚かさないで! どこ行ってたのよ!?」 

『悪いな、ちょっと調べ物だ。こっちだ、来てくれ』

 銀角は晶を連れてビルの隙間へと連れて行く。しばらく身を潜めていると向かいのビルの前に黒塗りの車が止まった。運転席からその筋らしき男が周りを警戒しながら降りてくる。

『きたな……』

 銀角が立ち上がる。緊張で晶は言葉が出ない。続いて後部座席から降りて来たのはヤクザ……ではなく若い青年だった。爽やかなストライプのシャツに茶色の髪に緩やかなウェーブが似合っている。笑顔がキラリと光る王子様のような男だ。

「え……てっきり髭面の指名手配みたいな奴かと……」

『騙されるなよ、あいつはあぁ見えて血が好きな狂犬だ』

 銀角が視線をあの男に向けたまま離さない。こうやってみると銀角が本当にヤクザだったことを思い出す。

「あ、写真!」

 晶は大事なことを思い出しリュックを手探る。

『──いや、まだだ。相手のやつと一緒じゃねぇとな。残念だがもう一人は中に入っちまった』

 そうか。証拠写真だもんな……。なるほどと納得したが頭の上にハテナが並ぶ。

「もしかして、銀さん……店に侵入させる
気?」

『……初めてか? まだやった事──』

「無駄なキメ顔で言うセリフじゃないよね?」

 晶は男たちが入っていったビルを見上げた。晶はここまで来たら最後までやる気だった。

「行こう……」

『まっすぐ歩け、横を見るなよ』

 ビルの前に停まったままの車を横切り、一般客を装いビルへと入る。晶をちらりと運転手が見るが気にもとめない様子だ。晶は階段を上がると鼓動が早まる胸を手で押さえる。とりあえずは怪しまれずに建物に入れた事に安堵する。
 銀角のサポートもあり会談場所である日本料理店の男子トイレに身を隠す。

 このビルは五階建てで店は最上階にある。内装を見るからに一般市民には敷居が高く、トイレも日本庭園をモチーフにしており無駄に枯山水を作り込むこだわりようだ。
 晶は居心地の悪さを感じ、洗面台の前を右往左往していた。

『ちょっと待ってろ──』

 銀角は会談の様子を伺いに姿を消した。いつ言われても大丈夫なようにカメラをポケットに入れて銀角の帰りを待つ。

 ふと、手洗いの鏡に映る自分の姿に目が止まった。化粧っ気のない顔に茶色く短い髪……。脳裏にさっき見たトモに寄り添う女が浮かぶ。

 まぁね──男はそりゃあんな人がいいわね……。

 晶は考えを振り切るように蛇口をひねりじゃぶじゃぶと顔を洗う。ガバッと顔を上げると鏡越しに自分の姿と壁際にストライプのシャツが見える。

 え? なん、で? いつからいたの?

 いつの間にかターゲットの男が首を傾げてこちらを見つめていた。その瞳はまっすぐ晶を捉えて動かない──。

 え……ちょっと……やばいかも……。

 晶はそのまま動けなくなった。
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