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第一章
13.お節介なヤクザの舎弟
しおりを挟む──ボロい。
第一印象に必ずこの言葉をつけられるほどメゾン・クリスタルはいい味わいが出ている。
ヤスと小鉄はアパートの前で二階部分を見上げていた。本当にこんな場所で逢い引きをしているのか疑わしい。ヤスはわざとらしく掛けていたサングラスを外した。
一週間前からヤスたちは別行動を取ろうとする拳人を何度か尾行しようとしたが、なぜか邪魔が入りことごとく失敗していた。小鉄は電柱にもたれ掛かるとシャツの胸元のボタンを開ける。夕暮れが過ぎた時間帯とは言え、今日はまだまだ蒸し暑い。
「若を弄んでる女が住むには年季が入ってそうだがな……」
そう言うとヤスは昨日の事を思い出していた。
その日は仕事ができる終わると屋敷に戻り、一緒に住んでいる舎弟と共に遅めの晩御飯を取っていた。若手が大勢いる為賑やかな食卓に拳人も酒が進むようで、しばらくするといつものポーカーフェイスが綻び始めていた。
「若、どうぞ」
「悪いな」
空いた盃に冷酒を注ぐと拳人が珍しく笑顔を見せる。その優しい表情にヤスの心が温まる。拳人は盃の酒を飲み干すと酔いが回ったのか頬杖をつく。瞳がとろんと揺らぎ熱を帯びているようだ。
男の俺が言うのもなんだが久し振りに無防備だな──嫌なことでもあったのか……。
「ヤス……ヤクザの男は嫌か?」
「……はい!?」
「いや、女はヤクザが嫌いか? 正直どうだ」
「あ、いや、女によると思いますが、こちらの世界を知らない方だと、少し抵抗はある……かも……? あ、いや、抵抗無いです! 絶対!」
ヤスの話を聞きながら拳人はみるみる眉間に皺が戻り始めていた。ヤスは途中で軌道修正を試みたが拳人の背後から黒いオーラが立ち込めている。ヤスが冷や汗をダラダラと流していると、拳人がポツリポツリと話し出した。
「お前や組のみんなが居てくれて俺は幸せだと思う」
「若……」
「でも、ヤクザでいたくない時が最近ある。それが自分で嫌になるな」
ヤスは恋心を吐露した拳人の姿を思い出すと目頭が熱くなる。昨晩の話から推測すると……若が女に惚れているが若を受け入れず足を洗うように迫っているか、若を弄んでいるのだろう。
席を外していたので小鉄はこの話を知らない。血の気の多いアイツの事だ。詰め寄って絡んでいく可能性があるので耳に入らなくて幸いだ。
しばらくすると拳人が煙草に火をつけながら階段を降りてきた。路地の角を曲がるのを確認すると二人はゆっくりと階段を上っていった。
「……いらっしゃい」
「……どうも」
なんともアットホームな言葉で迎えてくれたこの女がどうやらそうらしい。黒い布を覆い口元をレースで隠している。
普通の女なら、俺たちみたいな風貌の奴が玄関に立っていれば間違いなくドアを開けないか、開けた途端に怖がるようなそぶりを見せるがこの女は全く動じない。小鉄と俺は思わず目を見合わせる。 女は部屋へと案内すると椅子に座る。
「えっと……何を見ましょうか?」
小鉄が落ち着かない様子でそわそわとヤスと晶を見つめる。ヤスが何も言わないので小鉄が慌てて運勢を見て欲しいと声を掛ける。
女は水晶に手をかざすなり突然席を立つ。
「え、あ──ちょっとごめんなさい……」
そのまま待つように言うと慌てて部屋を出て行った。
ヤスは座ったまま辺りを見渡していたが小鉄は物珍しそうに店を物色し始めた。狭い店だが綺麗に整頓されている。明るい時間だからか日が差し込み居心地がいい。
小鉄は占い情報誌や近くの商店街の店のチラシが置かれているのをしばらく見ていたが、ふと小鉄はテーブルに置かれた水晶玉に気付き手を取った。
「占い師っぽいな、虫眼鏡思い出すなぁ」
「ガキっぽいことはやめろ」
ヤスが呆れ顔ではしゃぐ小鉄を見た。小鉄が陽の光に水晶を掲げていると晶が部屋へと戻ってきた。
ゴンッ
「いッ……」
慌てて机に戻そうとして手が滑り小鉄は自分の顔に水晶玉を落としてしまった。顔を両手で覆い床に座り込んだ。カーペットの上に水晶玉が転がると晶が慌てて拾い上げて割れていないのを確認し、ほっと胸をなで下ろす。
「お客さん──あれ?」
晶が文句の一つぐらい言わせてもらおうと顔を上げると小鉄はそのままカーペットの上でぐったり倒れ込んでいた。
「ちょっと……ねぇ、大丈夫ですか?」
「おい、ふざけんな。起きろ」
晶が慌てて小鉄に駆け寄ると小鉄は気を失ってしまっていた。すごい衝撃があった訳ではなさそうだが何故かまったく動かない。
「……もしかして失神してます?」
「……マジ、ですね、すみません、馬鹿野郎で」
ヤスは恥ずかしかった。ふざけて遊んで怪我……しまいには失神するなんてかなり迷惑な男だ。二人はソファーに小鉄を運んだ。
ヤスが机を挟んだ向かいのイスに腰掛けると、晶はすぐに台所は向かい氷嚢を持ってくると小鉄の額のたんこぶを冷やした。心配そうに小鉄を見つめる目は優しげでとても男をたぶらかすような女には見えない。
この女が本当に若の想い人なのか──?
本当に若を弄んでいるのか?
ヤスが晶を見ていると急に顔を上げた晶と視線が合い慌てて目をそらす。
「お手数おかけして……すみません」
「いえ、私の水晶玉でこんな事になってしまって……」
小鉄が目を覚ますまでどうしようかと悩んでいると晶がヤスに声を掛ける。
「もしよかったら……占いましょうか。あ、もちろんお代は結構です。男性は占いはお嫌いでしょうが──」
「いや、お願いします」
相手の反応を見ながら話す姿に好感を覚えたヤスは先ほどの椅子へと戻る。晶も席に座りいつものように水晶玉に優しく触れる。
「えー……では何を見ましょうか?」
「そうだな、恋愛運でも見てもらうかな」
もちろんヤスは恋愛など縁がない。
時折アプローチをかけてくる女もいるがヤスの反応の悪さに早々に諦めるのが通例だ。小鉄の意識が戻るまではこの空間に居なければならない為時間稼ぎにはいいだろうと恋愛を占ってもらうことにした。
「では……」
水晶玉を見つめてしばらくすると晶がヤスを見つめる。何処と無く悲しげな目でこちらを見るのでヤスは思わずどきっとする。
「……何か良くないことでも?」
「正直に言わせていただいていいですか?」
「ええ……」
「恋愛運は……占わない方がいいと思います。その……大切な方がまだいらっしゃるようなので今はまだ必要ないかと……」
まさかの答えにヤスは言葉が出なかった。視線を避けるように晶は水晶玉に目をやった。
その後小鉄がなかなか目が覚めないのでヤスが小鉄を抱えるようにして帰っていった。二人を見送ると晶はドアを閉めた。台所では銀角が冷蔵庫に寄りかかって水を飲んでいた。
『すまねぇな、あいつらはあいつらで拳人が心配らしい。随分と尾行できないように邪魔してやったんだがな……』
晶が二人を部屋に招き入れてすぐ、玄関のドアから銀角が顔を覗かせた。席を外して話を聞いてみると銀角の孫の部下だと言っていた。何故こんな所に来たのかわからないが、思わぬ事故でろくに話もできず帰って行ってしまった。
銀角曰く、組長になる人間だから新しく出会った人物がいれば素性を調べに来るそうだ。
「一度占いに来たぐらいで大袈裟な話ね。ヤクザも大変な仕事なのね」
晶は部屋に残ったラベンダーの残り香に気づく。さっきの男たちの時には感じなかったが、今は確かに感じる。
ラベンダーの香り──さっきの彼女のかしらね……。
振り返ってみるとそこにはもう彼女の姿はなかった。
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