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2.小夜子

(1)シャワーを拒否するミケ シャワーを求める小夜子

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 信じられない経験をして神経が昂っているはずなのに、割とすぐに次の眠りに落ちた。スマホの目覚ましアラームに叩き起こされるまで、ぐっすりと寝入っていた。

 女子中学生に化けていたことなどなかったかのように、ミケはスヤスヤと眠っていた。……いや、全ては彼の夢だったのではないか?

 父親が朝食を作り、夜勤明けの疲れた表情の母親も交えての3人の食卓。しかし何か足りないのを母親は気付き、高志に訊く。

「ね、ミケは?」
「ん……まだ寝てる」
「あら珍しい。いつもだったら『ごはんちょうだい~』って下りてくるのに。具合でも悪いんじゃない?」
「大丈夫だよ。明け方結構起きてたみたいだから」
「ならいいんだけど……」

 そんな話をしていると、噂のミケが「にゃぁ~」と下りてきた。いつものように、威張るみたいに尻尾を立てながら。

「あらあら、ちょっと待っててね」

 仕事疲れなど吹っ飛んだように明るい笑顔になって母親は、高志の小遣いで買ったキャットフードをミケ専用の皿に出してやる。ミケは甘えて母親の足元で伸び上がって見せてから、床に置かれた皿に頭を埋めるように食べ始める。
 やっぱりあれは夢だったのだろうか……? いくら猫の姿をしていても、人間の魂を宿しながらキャットフードで満足するなんて……?
 高志は試しにソーセージの切れ端を、ミケの鼻に近づけた。ミケはしかしクンクンと匂いを嗅いだだけで、またキャットフードに戻った。

「そうか、そっちが美味いか」
「それじゃ、これならどうだ?」

 父親はたくあんを一切れ、箸でつまんで顔に近づけてみた。ミケは全身を震わせて、逃げるそぶりを見せた。

「もう、お父さんったらぁ! そんなもの仔猫のミケが食べるわけないじゃないの」
「ははは、それもそうだ。ごめんよ、ミケ」

 一気に食べ終わるとミケは、伸びをしてから父親の足元にやってきて身体を父親の足に擦り付けた。「気にしてないニャ」と言いたげに、喉をグルグル鳴らしながら。

・・・

 本当にあれは夢だったのだろうか。そう信じてしまうほど、あれ以来ミケはセーラー服の美少女の女子中学生の姿を見せなくなってしまった。
 あるいは彼女が言っていた「猫の姿でいる私が『人間になりたい』と強い意志を持ったときだけ戻れる」が示すように、「人間に戻りたい」という意識が希薄なのだろうか。
 ミケは階下から、お気に入りのおもちゃを咥えて高志のへやに上がってきた。それはその日、母親が「面白そう!」と買ってきたネズミのおもちゃだった。
 ただのネズミの人形ではなく、腹というか地面に接する部分に1輪の車輪が備わっている。人形をプルバックさせると、ネズミ花火のようにクルクル回りながら走るというしろもの。
 その日の午後、母親とミケはそれでずっと遊んでいたらしい。そして自室に入った高志の足元にそれを持ってきて転がし、「これやってちょうだい」とおねだりするように彼の足を軽くひっかく。

「……しょうがないな」

 彼はネズミのおもちゃを床に置いてプルバックさせ、手を離す。途端に、猛烈な勢いで床の上をクルクル回る。
 ミケはそれを追いかけるが、なかなか捕まらない。しかししばらくすると内蔵のゼンマイがほどけて、ネズミの動きは緩慢になる。
 そこでようやくミケはネズミを捕まえられて、その首根っこを咥えてぷるんと首を振る。まだ仔猫なのに獲物に止めを刺す行動は、DNAレベルの本能として刷り込まれているのだろうか……。
 変なところに感心しながら、もういちどネズミをプルバックさせてゼンマイを巻いてやる。そして手を離すとネズミは再びクルクル回り、ミケはそれを必死の形相で追いかける。
 人間の食物よりキャットフードを好み、ネズミのおもちゃで狩りをするミケ。やっぱりあの女子中学生とは全く別の生き物で、あれは夢だったのだとそこで確信した。

 それからしばらく、狩りをするミケの相手をしてやった。相手をしながらミケを見ていて、高志も癒やされる思いだった。
 しかしそうしていつまでも遊んでいられない。翌日提出するレポートが、まだ仕上がっていないのだ。
 彼はタブレットに向かい、レポートの詰めの部分に取り掛かった。ミケが彼の足元を前足でトントンと叩いて催促するまで、ネズミのおもちゃは放っておいた。
 そうしているうちに、ミケが静かになった。さすがに疲れるか飽きるかして、ネズミのおもちゃを前足で転がして遊んでいるらしかった。
 高志のレポートも異例のスピードではかどり、うまい具合にまとめることができた。伸びをしながら、ふとミケのことを思い出してそちらに目をやった。
 そこで彼は、思わず「あっ!」と大きな声をあげてしまった。部屋の隅に座って、ネズミのおもちゃを放心したように弄ぶセーラー服の少女がいたのだ。

「ミケ……じゃなくて、……小夜子……さん?」

 名を呼ばれて、顔を上げる小夜子。その瞳は、どことなく寂しそうで高志は胸がキュッと音を立てるような思いがした。
 やっぱりあれは夢ではなかった。しかしなんでまたこんなタイミングで……? 日没後かつ月の入り前の限られた時間で、彼女が人間に戻りたいと思ったのが重なったのが「今」というわけか?

「……また、人間の『小夜子』の姿に、戻りました」

 小夜子はモジモジしながら、口を開いた。高志も、どう答えていいものか分からず口を開けたままだった。
 数秒、沈黙が流れた。黙ったまま、ふたりは顔を見合わせる。
 その沈黙を先に破ったのは、小夜子の方だった。ものすごく言いにくそうに、しかし決心したように。

「とても厚かましいお願いなんですが……それより、なんでいきなりと思われるかもしれませんが……お風呂を使わせてくれませんか?」

 何を言い出すのかと思えばそんなことで、高志は拍子抜けした。しかし、ミケの姿をしていた時は、風呂を嫌がっていたのに?
 ほんの2、3日ほど前、さすがにブラッシングだけではいけないだろうと、母親がミケにシャワーを浴びさせようとしたらしい。しかしそれは、ミケの必死の抵抗により果たせなかったらしいが。

「シャワーは、イヤなんじゃ?」
「それは、猫のミケでの話です……猫は水を嫌がるから。でも人間に戻ったら、無性に温かいシャワーが浴びたくなったんです」
「猫のミケと、人間の小夜子さんは、全くの別物……?」
「ひとつの魂でも、少なくとも心ではそうかもしれません。実際、今みたいに人間に戻ったら猫でいた間のことはおぼろにしか思い出せません。逆に、猫に戻ったら人間の姿の時のことは薄っすらとしか覚えていないかもです」
「そうなんだ……」

 それで、猫のミケがキャットフードをむしゃむしゃ食べ、ネズミのおもちゃを追いかける理由が分かったような気がした。
 だから、人間の小夜子がシャワーを浴びたいというのも、理解できる。

「今日は父さんは帰りが遅いって言うから、たぶん、大丈夫」
「ありがとうございます」
「タオルは、洗面所にあるのを適当に使っていいから」
「わかりました」

 そう言うと小夜子は、まるで自分の家みたいな気安さで階下したに降りていった。いや、仔猫の姿では隅々まで勝手を知っているだろうから、それは当然かもしれないが。

・・・

 高志の部屋の真下が、浴室だ。窓の下から「ボウー」と聞こえるボイラーの音を聞きながら、小夜子のことを思っていた。
 彼女は、中学生で不慮の事故で人間としての生を絶たれてしまった。やり残したことは、「シャワーを浴びたい」という程度どころでなくたくさんあるだろう。
 生きていればもっと楽しい毎日が待っていたはずなのに、それができなくなってしまった。その未練を残してきたから、猫として生まれ変わって限られた期間だけ人間に戻れることを許されたのだろう。
 それを思うと、彼女が不憫でならなかった。せめて彼女の願いを叶えてやろうと、彼は心に決めた。
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