神崎くんは残念なイケメン

松丹子

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3章 神崎くんと私

25 goodbye,hello

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 相ちゃん宅では、余興の際、キャンパスや大学時代の写真を流してはどうかというアイデアが出た。
 早めに素材を集めておくため、久々にキャンパスを訪れようと、4人とも都合がつく日を調整したが、全員の都合がつかなかったため、比較的時間が合う神崎くんと私が、二人で行くことになってしまった。
 デートという訳ではないので、大学生並にラフな服を選ぶ。スキニーデニムにスニーカー、黒いTシャツにライトグレーのパーカーを羽織る。
 晴れると日差しが強いので、ポニーテールは低めに結び、青いキャップの後ろからぴょこんと外に出す。少し物足りなく感じて、白いベルトを追加した。
 休日の午後、キャンパスの最寄り駅で待ち合わせた神崎くんも、サークルのときとあまり変わらない格好だった。白いTシャツに薄手の紺ジャケット、ベージュのチノパンに革素材のスニーカー。
 私の格好を見た神崎くんは、何故かものすごく照れた。この色気のない格好のどこが動揺を誘ったのか分からず、素知らぬふりでキャンパスに向かう。一歩後ろをついて来る神崎くんの視線を後頭部に感じながら、私は歩いていた。
 キャンパスにつく頃には、私が慣れたのか神崎くんが慣れたのか、はたまた懐かしい場所に来て忘れただけか、とにかく自然と会話が弾んだ。
「懐かしー。卒業なんてついこの間のことだと思ってたのにね」
「女子大組は最後の1年ほとんどこっちに来ないから、3年以上前じゃない」
 神崎くんの言葉に、そうかもと頷く。それぞれ思い思いにあちこち写真を撮り、飲み物を購買で買った後で、神崎くんは言った。
「一カ所だけ、つき合ってくれる?」
「いいよ」
 微笑む神崎くんにおとなしくついていくと、弓道部の練習場だった。
 休みの日なのか、誰もいない。
 神崎くんは部室の前の階段に座った。私も隣に腰掛け、帽子を外す。日陰で涼しかった。
「文化祭のとき」
 神崎くんが言った。
「初めてまともに話せて、嬉しかったなぁ」
 そう言って、さきほど買った炭酸水を、一口飲む。
 私は何も言えずに空を見ていた。
 神崎くんが、クスリと笑う。
「……間接キスもできたし」
 私は思わず神崎くんの逆側に顔を背けた。イケメンなら何を言っても許されると思うなよ!ーーと言えないのは、顔が赤いのを自覚しているからだ。
「さっきは、サークル棟で、思い出したよ」
 神崎くんは懐かしそうに、大切そうに、思い出を言葉にしていく。
「1年の追いコン。こばやんが早紀ちゃんを助けるために、香子ちゃんの制服汚したでしょ。すごい腹立って、こばやんに食ってかかってさ」
 1年の追いコン。廊下で険悪なムードを漂わせていた二人を、なんとなく覚えている。
「香子ちゃんは、早紀ちゃんを守るためにいるんじゃないのに。一人の女の子なのに、って」
 そういうこと、結構何度かあったなぁ、と、神崎くんは呟く。
「香子ちゃんに近づきたいのに、全然脈なさそうだし、興味ない子は絡んでくるし」
 神崎くんが隣で苦笑した気配を感じた。
「香子ちゃんに魅力を感じた後輩も、入って来ちゃうし」
 また一口、飲み物を飲み込む気配がした。
「でも、嬉しかったし、楽しかった。側にいられて」
 神崎くんはおもむろに一枚の写真を取り出した。私は渡されたその写真にまた赤面する。
「可愛いすぎでしょ、その写真。誰にも見られたくなくて、もらっちゃった」
 きっと、白井先輩が撮った写真だ。照れながら笑う私の顔。
「白井先輩も、気づいてたんだろうなぁ。香子ちゃんの可愛いとこ」
 じゃなきゃ、そんな写真撮れないよ。と神崎くんが微笑む。
「でも、白井先輩、私たちのツーショットくれたよ。何枚か。よく撮れたって」
 私は何故か弁解したくなって言った。神崎くんが笑う。
「知ってる。俺にも送ってくれた。敵は難攻不落だから、心してかかれよ、って言われた」
 タイミングうまく掴めなくて、結局近づけないままだったけど。と神崎くんが言って、静かに私を見つめる。
「ああいうのが、一目惚れなのかな」
 私はどこを見ていればよいのか分からず、手元に持った緑茶のペットボトルに目をやった。
「こばやんから誘われたクリスマスコンサートの受付で、ビシバシ周りの部員をさばいて、お客さんには笑顔で向き合う、気の強そうな女の子が、気になって仕方なくて」
 ーーそれ、第一印象いいの?悪いの?
 思わず頭を抱えたくなる。私の表情が複雑になったのを見て取って、神崎くんがまた笑った。
「周りのために一所懸命で、気を張って、強がってるこの子が、もし弱さを見せるとしたら、どんなときだろうって」
 私は思わず顔を上げて神崎くんの目を見た。
 反らされない優しい目が、しっかりと私を見つめる。
「香子ちゃん。ちゃんと、泣いた?」
 神崎くんに急に言われて、また私は視線をさ迷わせた。
「えぇと。何の」
 こと、と言う前に、神崎くんの苦笑いが目に入る。
「……気づいてたんだ」
「もちろん。……ずっと、見てたから」
 ずっと見てた。
 私は、幸弘を。神崎くんは……私を。
 ふー、と、静かに息を吐く。
「嬉しかったんだよ」
「うん」
「結婚するって、真っ先に教えてくれて」
「うん」
「二人が、幸せそうにーー笑ってて」
 神崎くんの包み込むような穏やかな目を、私は極力見ないようにしていた。
 なんだか、すがってしまいそうで。
「もう、とっくの昔に、諦めたはずだったのに」
「うん」
「だから、他の人ともつき合ったりしたしーーそれでも」
 私の中の、一部。あのときのまま、止まってしまった私がーーその想いが、戻ってきてしまう。
 伝えられなかった、あのときに。
「伝えておけば、よかった」
「そうだね」
「ちゃんと砕けてたら……きっと、もっと早く前に進めたのに」
 目の前が歪んできて、私は静かに、手で目を覆った。
 大きく深呼吸する。
 頭に、大きくあたたかい手が触れた。
「分かるよ」
 私はゆっくりと手を下ろした。目の前に、神崎くんの端正な顔がある。
 あの頃のように反らすことはなく、見つめ返してくる目。
「俺もそうだったから」
 頭に置かれた温かい手が、ゆっくりと下りて、後頭部を引き寄せられる。
 こつん、と額がぶつかった。
「だから俺は、ぶつかってみることにする」
 神崎くんの顔が、息もかかるほどの距離にある。
 その目から、視線を逸らせない。
「全力で。粉々に砕けるまでは」
 諦めないよ、香子。
 低く柔らかい声が耳に響く。私はその目にすっかり呑まれてしまって、身動きできなかった。
 ーーああ、私はーー
 何かを、思いかけた途端に、神崎くんががくりとうなだれ、自分の顔を手で覆った。
「……あー、あー」
 意味なく言いながら、私から離れて膝に顔を埋める。
「うー、ヤバい」
 少し上体を起こすと、また手で顔を覆って言った。あれ、顔、真っ赤?
「だって……何年越しだろう。なんかあれだ、夢みたい。いや、そうじゃなくて、うーんと」
 じわじわと、神崎くんの気持ちが動いていくのを、隣で感じた。不意に、神崎くんが顔を上げる。
「とにかく、俺がんばるわ。他のことどーでもよくなってきた」
 よしっ、と、両拳を握るが、こちらはちらりとも見ない。
 私は不思議に思って、少し身体を伸ばし、神崎くんの顔を覗き込んだ。
「うぁ、ちょ、やめてよ」
 途端に動揺した神崎くんが手を振る。
「今クールダウンしてる最中なんだから」
 その様子が、昔の姿と重なって、私はついつい噴き出した。
「やっぱり、あんまり変わってないね」
「少しは成長したよ。ーー多少は経験値も上げたし」
 目を反らしながら小さく反論する。
「ふぅん。経験値、ねぇ」
 私はにやりと笑うと、神崎くんの肩にこつんと頭を預けた。
 途端に動揺が肩から伝わってくるのがおかしくて、私はくつくつと笑う。
「ありがとう」
「え?」
「おかげで、なんていうかーーちょっと、スッキリした」
 神崎くんは複雑な表情で私を見て、お役に立てたならよかった、と、ちょっと不服げに応えた。
 その様子がなんだか子供っぽくて、私はまた笑った。
 泣く必要はないような気がした。
 今、こうして神崎くんがいてくれるなら。
 ーーでも。
 私は頭を神崎くんの肩から離した。
「いるといえばいるような、例の女の子はどうなの?」
 あえて無感情に言うと、神崎くんが苦笑したのを感じた。
 ここで雰囲気に流されないのが私です。そういうことは、はっきりさせとかないとね。
「何度か食事に行っただけだよ。香子ちゃんをランチに誘ったときには、もう二人では行けない、ってちゃんと言った。決心して来たって言ったでしょ」
 神崎くんはゆっくりと、私の頭に手を伸ばした。
「ちょっとだけ、似てたんだーー君と。無意識に、比べてた。こういうところ似てるなぁとか、似てないなぁとか」
 髪を乱さないようにか、指先で静かになぞる。自分が壊れ物のように扱われている気がして、くすぐったい。
 神崎くんといるときには、よくこういうくすぐったさを感じたなと思い出した。
「でもそれって、本人を見てないよね。だから、悪いことしたなと思ってる」
 食事だけとはいえ、あまり女性を近づかせない神崎くんのこと。期待もしたことだろう。
「相ちゃんちでみんなで会ったとき、ちょうど悩んでたんだ。このままその子とつき合おうか、どうしようか。いつまでも手に入らない子を想っていても、前に進めないなって」
 話しながら、私のポニーテールをひとふさすくって流す。神崎くんって髪フェチ?
「正直、複雑な気持ちだった。忘れようと思ったときにまた思い出すことになるのか、って。でも、サークルのメンバーとの縁は大切にしたいし、それなら香子ちゃんにだってこの先も何度も会うんだろう。だったら、香子ちゃんに会っても動揺しないくらい、想える人を見つけなくちゃーーって」
 もしかしたら、会わない間に美化してて、会ってみたら期待ハズレってこともあるかも知れない、とも思ったんだけどね。と、笑う。
「むしろ、逆だった。本物の破壊力を感じたね。香子ちゃんが、笑ったり、天然なところを発揮するたびに、ぐらっぐら揺れて」
 笑顔はともかく、天然ってどんなところだろう。早紀のようなそれではないと思うのだけど。
「ということで、開き直りました。もう恋愛はこりごりだっていうくらい、こてんぱんにしてくれなければ、俺は諦めがつきそうにありません。ーー特に、可愛いって言う度に赤くなってるようでは」
 言われて思わず赤くなり、慌てた。
「や、違っ、あーもう」
 私は顔をおおう。神崎くんが笑った。
「元カレは、言ってくれなかったの。そういう言葉」
「……ほとんど」
 私は視線を反らしたまま言った。
「だいたい、別れの言葉、よくあるあれよ。君は一人で生きていけるみたいだから、俺はいらないねってやつ」
 もう半年前の話になるが、なんだかとてつもなく情けなく感じる。
 私は彼の何を見てたんだろう。彼は私の何を見てたんだろう。
 神崎くんは首を傾げた。
「いいじゃん、一人で生きていける人。寄りかかられるよりよっぽどいいと思うけどなぁ」
 言うと、満足げに私に微笑みかけてきた。
「ま、彼が香子ちゃんの魅力に気づかなかったおかげで、俺にもまたチャンスが来たんだから、ありがたいけど」
 私はちらりと合わせた目線をまた外して嘆息する。
「期待ハズレかもよ。私だって、猫被ってる部分もあるんだから」
「うん、大丈夫」
 神崎くんは笑った。
「一日中パジャマで過ごしても、すっぴんでも、居酒屋のおしぼりで顔拭いても。全然幻滅しない自信がある」
「いや、だから、おしぼりで顔拭くのはちょっと……」
 学生のときの会話を思い出しながら、二人して笑った。
 誰かの隣にいることが、こんなにも自然に感じられたのは、初めてのように思えた。

 ホームで帰りの電車を待っているとき、鞄の中で着信を知らせる振動が鳴った。つい慌てて鞄に手を突っ込んだら、ポーチが開いていたらしい。中に入っていた小さい袋がこぼれ落ちそうになり、咄嗟に掴もうと手を伸ばしたのが逆効果。手に袋だけを残して、中に入っていたものがカツンと音を立てて落下した。
 私は思わず硬直する。
「大丈夫?」
 神崎くんが横から覗き込んでくるが応えず、私はゆるゆるとしゃがみ込んでそれを拾い上げた。
 千代紙の模様がついた、手鏡。
「ーーそれって、もしかして」
 神崎くんが驚いて、笑った。
「持ち歩いてくれてたんだね」
 私は座り込んだまま、拾い上げた鏡面に見事に入ったひびに、わずかに手を触れた。
「……すごい、ショック」
 神崎くんが苦笑する。
「そうみたいだね。でも、大したもんじゃないから、気にしなくていいよ」
 神崎くんの言葉に、私は首を振った。
「違うの」
 深々と嘆息しながら、ようやくゆっくり立ち上がる。小さな手鏡。使うこと自体はほとんどなかったけど、お守りみたいなものだった。
 自分の中の女の子の部分を、応援してくれるような。
「こういう、女の子らしいもの、男の人からもらったの、初めてだったから」
 私はゆっくり深呼吸して、苦笑した。
「自分でもびっくりするくらいショック」
 神崎くんは、嬉しそうに微笑んだ。
「知らぬ間に、一つ、香子ちゃんの初めてをゲットしてたんだね。俺」
 神崎くんは私の手から手鏡を取ると、懐かしそうにしげしげと見た。
「懐かしいなぁ。すごい迷って、姉貴にも聞いた気がする。何がいいかって」
「神崎くん、お姉さんいたの?」
「うん。だいぶ離れてるけど。あのときもう結婚して奈良にいたから」
 神崎くんのお姉さん。どんな人なんだろう。
「写真見る?この前、甥っ子との写真送ってきたんだ。こないだ、小学校の入学式だったから」
 私が頷くと、神崎くんがスマホを取り出す。画面に映し出されたのは、和装の女性と、スーツ姿の男性、そして嬉しそうにランドセルを背負った男の子。
「うあ、かわいいー」
 私は思わず、男の子の方に関心が行ってしまった。目がくりっとしていて、頬を誇らしげに上気させているのが、なんともいえない愛らしさ。目元はお父さん似かな。骨格はお母さんに似ている感じがする。
「ちょうど、俺が留学行くちょっと前に産まれて。里帰り出産してたから、俺も多少世話したんだけど、もう小学生って信じられない」
「あっという間だよね。子どもの成長って」
 私は神崎くんのお姉さんと、隣に並ぶ優しそうな男性に目線を移した。
「不思議だよね。夫婦って、他人同士のはずなのに、なんとなく顔つきが似るの」
「そうだね。行動パターンとかも、似てるよね」
 相ちゃん夫婦や幸弘のことを思い出しながら、私は笑って頷く。
「出会えるのかなぁ。私たちも。そういう人に」
 神崎くんは笑った。
「それが俺だったらいいなぁ、と思ってるんだけど。分かってる?」
 私が思わずスマホを取り落としそうになったとき、電車がホームに入って来た。
 神崎くんは割れた手鏡とスマホを交換して、帽子をかぶった私の頭を軽くたたくと、先に電車に入っていく。
 私は真っ赤になりながら、なるべく顔を見られないよう、その背中に張り付くように続いた。
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