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第二章 それぞれの生活
05 忠告
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昼食を終えると、先輩たちがさっさと歩いていく後ろを、俺とアキちゃんがほてほてついていく。
「安田さんって、ほんと人気あるんですね」
不意に言われて見下ろすと、アキちゃんは大きい口元をにかりと笑ませて返した。
「ヨーコさんがいない今のうち~って、結構騒いでるみたいですよ、女子たち」
きょとんとした俺に、ぶは、と前で噴き出すアーク。
「マジか。さっすがジョー」
「何のことっすか」
アークはにやりといたずらっぽく笑う。
「お前もまだ若いんだし、離れてる今のうちにいっちょ行ってみたらどうだ」
「離れてる……ねぇ」
俺は呆れた顔を向けながら、周囲を遠い目で見回す。
「離れてたって何だって、変わんないっすよ」
かれこれ15年、彼女と共に通い続けた無機質なオフィス街。
いないとわかっていても、俺は彼女の姿を探す。
実際の姿がなくても、彼女との思い出を探す。驚くほどいろんな場所で、ヨーコさんの過去の姿が見つかった。あそこでおろしたての靴を傷つけて落ち込んでたなぁとか、眠そうに歩いてたなぁとか。そんな一つ一つが宝物のように、俺の心を埋めていく。
そう感じて微笑みながら、俺は続けた。
「いませんもん、ヨーコさんの代わりになる人なんて」
過去の彼女を探す。目で追う。
そんな中でも、彼女を他の誰かと見間違えたことはない。
アキちゃんがふっと笑う。先輩二人がまたやれやれという顔をする。
でも分かっている。この人たちは分かってくれていると知っている。
だから俺も安心して、彼女への想いを語れる。
「だいたい、ヨーコさん以外じゃ勃たな」
「わーわーわーわー」
「ジョー、素面で酔っ払ったようなこと言うんじゃねぇ」
「……相変わらずだなぁ」
四人で賑やかに歩いていく。
社ビルに入る直前、アキちゃんに軽く袖を引かれた。
見下ろすとやや神妙な彼女の顔。
「行動はくれぐれも慎重に」
まっすぐに俺を見上げるその目には、一種の力がある。
意図を汲み取れずにいる俺に、アキちゃんは言った。
「どうしても手に入れたいものができた女は、ときどき何するか分かりませんよ」
俺は首を傾げた。
「……ご忠告どうも」
「あ、神崎さんじゃあるまいし、自分は大丈夫だと思ってるんでしょ」
ずばり言われて、俺は肩をすくめた。聞いていたマーシーが呆れている。
「おいこら。聞こえてるぞ」
「聞こえるように言いましたもん」
へへーんと胸を張るアキちゃんに、アークが笑う。
「ない胸張ってもなぁ」
「ぐはっ」
「阿久津、言い過ぎだぞ」
「そりゃヒメちゃんやヨーコさんに比べたらないですけど!」
「橘女史とはいい勝負?」
「……とも言いませんけど!!」
「よせよ……あいつ意外と気にしてんだから……」
賑やかだなぁ。
わいわい騒ぐいい大人に、周りは不思議そうな顔をしている。それぞれ職場ではしっかり「大人」しているのだから、意外にも思えるのだろう。
「お疲れさまです」
「お疲れ」
声をかけられ、見やるとそこにはアンナがいた。
「楽しそうですね」
「仲良しだからね」
俺が三人を指差すと、
「仲良くないですから!」
「腐れ縁なだけだ」
言い返して来るアキちゃんとアーク。マーシーは知らぬ顔で歩き出した。
それを追うように俺も歩き出す。アンナも同じテンポでついてきた。
ふとアークとアキちゃんを振り返ると、
き、を、つ、け、て。
真剣な目をしたアキちゃんが、唇を動かして言ってきた。
「どうかしました?」
歩調を緩めた俺を、アンナが見上げて来る。
「んーん、別に」
笑い返して、前を向いた。
アンナの黒い髪が歩く度にさらさらと揺れる。
それがスーツの肩先を撫でて、ふと目が行った。
ヨーコさんか憧れそうな髪だ。
剛毛のくせっ毛を持て余して、長く伸ばしたことがない彼女は、こういうさらりとした髪に憧れているらしい。
俺も、昔はロングヘアがいいと思ったこともあったっけ。
思い返そうとしたけど、ダメだった。
彼女と出会う前に抱いていた理想像など、すっかり忘れている。
きっとそれは、彼女が俺の思い描く陳腐な理想以上に理想的だったからで。
気高くて、可愛くて、清らかで、美しい。
「どうかしました?」
さっきと同じことを、アンナが聞いてくる。俺は目をまたたかせた。
「え? なんで?」
「ため息、ついてましたけど」
言われて、ああ、と苦笑した。
「なんでもない」
自分がため息をついていたなど気付かなかった。
ヨーコさんに会いたい。少しだけ柔らかくなった、あの短い髪に触れたい。
柔らかい肌に触れ、温かい唇をなぞり、白い肌に赤い華を咲かせて。
『ジョー。もう堪忍して』
いつも、掠れた息遣いのアルトを耳にして、俺はようやく、身体を休めるのだ。
エレベーターに乗り込むと、アンナが事業部のある6階のボタンを押した。
その下にあるボタンを見て、ため息をつく。
5月。
電話だけのやりとりになって、まだ一ヶ月半しか経っていない。
いや、もう一ヶ月半も、彼女の笑顔を見ていない。その身体に触れていない。
俺にとってはもはや、それだけで異常なことだ。
「あ、また」
「あはは」
今度のため息は自覚していたので、俺は笑った。
「うん。……奥さんに会いたいなーと思って」
アンナはなんとも言えないという顔で、
「チーフって、平気でのろけますよね」
「うん、よく言われる」
答えると、アンナがちょっと呆れたような顔をした。
「安田さんって、ほんと人気あるんですね」
不意に言われて見下ろすと、アキちゃんは大きい口元をにかりと笑ませて返した。
「ヨーコさんがいない今のうち~って、結構騒いでるみたいですよ、女子たち」
きょとんとした俺に、ぶは、と前で噴き出すアーク。
「マジか。さっすがジョー」
「何のことっすか」
アークはにやりといたずらっぽく笑う。
「お前もまだ若いんだし、離れてる今のうちにいっちょ行ってみたらどうだ」
「離れてる……ねぇ」
俺は呆れた顔を向けながら、周囲を遠い目で見回す。
「離れてたって何だって、変わんないっすよ」
かれこれ15年、彼女と共に通い続けた無機質なオフィス街。
いないとわかっていても、俺は彼女の姿を探す。
実際の姿がなくても、彼女との思い出を探す。驚くほどいろんな場所で、ヨーコさんの過去の姿が見つかった。あそこでおろしたての靴を傷つけて落ち込んでたなぁとか、眠そうに歩いてたなぁとか。そんな一つ一つが宝物のように、俺の心を埋めていく。
そう感じて微笑みながら、俺は続けた。
「いませんもん、ヨーコさんの代わりになる人なんて」
過去の彼女を探す。目で追う。
そんな中でも、彼女を他の誰かと見間違えたことはない。
アキちゃんがふっと笑う。先輩二人がまたやれやれという顔をする。
でも分かっている。この人たちは分かってくれていると知っている。
だから俺も安心して、彼女への想いを語れる。
「だいたい、ヨーコさん以外じゃ勃たな」
「わーわーわーわー」
「ジョー、素面で酔っ払ったようなこと言うんじゃねぇ」
「……相変わらずだなぁ」
四人で賑やかに歩いていく。
社ビルに入る直前、アキちゃんに軽く袖を引かれた。
見下ろすとやや神妙な彼女の顔。
「行動はくれぐれも慎重に」
まっすぐに俺を見上げるその目には、一種の力がある。
意図を汲み取れずにいる俺に、アキちゃんは言った。
「どうしても手に入れたいものができた女は、ときどき何するか分かりませんよ」
俺は首を傾げた。
「……ご忠告どうも」
「あ、神崎さんじゃあるまいし、自分は大丈夫だと思ってるんでしょ」
ずばり言われて、俺は肩をすくめた。聞いていたマーシーが呆れている。
「おいこら。聞こえてるぞ」
「聞こえるように言いましたもん」
へへーんと胸を張るアキちゃんに、アークが笑う。
「ない胸張ってもなぁ」
「ぐはっ」
「阿久津、言い過ぎだぞ」
「そりゃヒメちゃんやヨーコさんに比べたらないですけど!」
「橘女史とはいい勝負?」
「……とも言いませんけど!!」
「よせよ……あいつ意外と気にしてんだから……」
賑やかだなぁ。
わいわい騒ぐいい大人に、周りは不思議そうな顔をしている。それぞれ職場ではしっかり「大人」しているのだから、意外にも思えるのだろう。
「お疲れさまです」
「お疲れ」
声をかけられ、見やるとそこにはアンナがいた。
「楽しそうですね」
「仲良しだからね」
俺が三人を指差すと、
「仲良くないですから!」
「腐れ縁なだけだ」
言い返して来るアキちゃんとアーク。マーシーは知らぬ顔で歩き出した。
それを追うように俺も歩き出す。アンナも同じテンポでついてきた。
ふとアークとアキちゃんを振り返ると、
き、を、つ、け、て。
真剣な目をしたアキちゃんが、唇を動かして言ってきた。
「どうかしました?」
歩調を緩めた俺を、アンナが見上げて来る。
「んーん、別に」
笑い返して、前を向いた。
アンナの黒い髪が歩く度にさらさらと揺れる。
それがスーツの肩先を撫でて、ふと目が行った。
ヨーコさんか憧れそうな髪だ。
剛毛のくせっ毛を持て余して、長く伸ばしたことがない彼女は、こういうさらりとした髪に憧れているらしい。
俺も、昔はロングヘアがいいと思ったこともあったっけ。
思い返そうとしたけど、ダメだった。
彼女と出会う前に抱いていた理想像など、すっかり忘れている。
きっとそれは、彼女が俺の思い描く陳腐な理想以上に理想的だったからで。
気高くて、可愛くて、清らかで、美しい。
「どうかしました?」
さっきと同じことを、アンナが聞いてくる。俺は目をまたたかせた。
「え? なんで?」
「ため息、ついてましたけど」
言われて、ああ、と苦笑した。
「なんでもない」
自分がため息をついていたなど気付かなかった。
ヨーコさんに会いたい。少しだけ柔らかくなった、あの短い髪に触れたい。
柔らかい肌に触れ、温かい唇をなぞり、白い肌に赤い華を咲かせて。
『ジョー。もう堪忍して』
いつも、掠れた息遣いのアルトを耳にして、俺はようやく、身体を休めるのだ。
エレベーターに乗り込むと、アンナが事業部のある6階のボタンを押した。
その下にあるボタンを見て、ため息をつく。
5月。
電話だけのやりとりになって、まだ一ヶ月半しか経っていない。
いや、もう一ヶ月半も、彼女の笑顔を見ていない。その身体に触れていない。
俺にとってはもはや、それだけで異常なことだ。
「あ、また」
「あはは」
今度のため息は自覚していたので、俺は笑った。
「うん。……奥さんに会いたいなーと思って」
アンナはなんとも言えないという顔で、
「チーフって、平気でのろけますよね」
「うん、よく言われる」
答えると、アンナがちょっと呆れたような顔をした。
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