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第三章 凶悪な正義
16 ブーケ
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ヨーコさんはそれでも、ことあるごとに俺に若い女をすすめた。
一緒に通勤するのは変わらなかったが、
「受付の子、変わったみたいやな。割と好みやろ」
とか何とか言ってくるのだ。
冷たく振る舞いながら、その実すがるような目をしていることには、きっと本人も気づいていないんだろう。
「俺の好みはヨーコさんですから。他の女は物足りないです」
あっさり答えると、ヨーコさんはあきれたように半眼になった。
そして肩をすくめ、話にならないと首を振る。
「年増のどこがええんやろか。変な男」
「年増がいいんじゃなくて、ヨーコさんがいいの」
俺はその肩を抱こうと手を伸ばしたが、不意に振り返ったヨーコさんの視線に手を止めた。
「さわらんどいて」
「はい……すみません」
しゅん、と肩をすくめてうつむくと、ヨーコさんはふんと鼻から息を出して歩いていく。俺もその斜め横に従った。
「ヨーコさぁん」
「何や」
「最近、ちょっとは進展したと思いません? 俺たち」
ヨーコさんは立ち止まった。その表情は、不愉快そうにも、うろたえているようにも見えた。が、きゅっと唇を結んでまっすぐに俺を見上げる。
「ただの自意識過剰やろ」
「そうですかねぇ」
ヨーコさんはまた俺のことなど気にも止めず歩き出す。その歩みに合わせて、俺も歩いていく。
「あ、ジョーくんおはよー」
「おはよう」
受付の女性が笑顔で手を振ってきたので俺も笑顔を返した。
ヨーコさんはさりげなく俺から離れようとする。
「ちょっと、ヨーコさん」
「なんやの。放っといてぇな」
俺がその手首を掴むと、ヨーコさんは心底嫌そうに眉を寄せた。
「だって離れようとするから」
「そりゃするやろ。あんたみたいな若い子に色目使う女なんて思われるのは嫌や」
俺は唇を尖らせる。
「そんなんみんなわかってますよ。俺がヨーコさんに色目使ったんだってことくらい」
「どうやろなぁ」
ヨーコさんは目を反らした。そこには何かをあきらめたような表情が浮かんでいる。
「どう思われてるかなんて分からんやろ」
「でも俺はヨーコさんが好きです」
「そんなん今聞いてへんわ」
ヨーコさんは嫌そうに周りを見て、俺をにらみつけた。俺は笑った。
「よし、じゃあわかりました。俺がどれだけヨーコさんのこと好きか、社内で言いまくればいいんですね。そしたら何も問題なし」
「大ありや!」
ヨーコさんが珍しく声を大きくして、手首を掴む俺の手を振り払った。
大股で歩くその背中を追いかける。
「ヨーコさん、待ってくださいよ」
「待たへん。勝手に来ぃや」
「ヨーコさんと一緒がいいです」
「あんたみたいな大型犬要らん」
「つれないなぁ。……そんなところも好きだけど」
「ジョー」
ヨーコさんは足を止めて振り返り、俺を睨みつけた。
俺は笑いを堪えながら近寄り、その手を取る。
「はい、行きましょうね」
「ジョー。離して」
「離しませーん。社内でヨーコさん狙ってる奴もいるし」
「そんなんおらんやろ」
「います。絶対います。ヨーコさん自分の魅力に自覚がなさすぎ」
ヨーコさんは大袈裟なくらいに深々と息を吐き出した。俺の手から逃れようと引いていた腕の力を諦めたように抜く。
「もう勝手にして」
「勝手にします」
俺は笑いながら、その手を恋人繋ぎに直した。
ヨーコさんは黙ったまま目線で反論してくる。
そんな目しても駄目。
「こうして毎朝出勤してたら、誰も勘違いしないでしょ」
「するやろ。違う意味の勘違い」
「いいじゃないですかー。俺の女にわざわざ手出す奴いないと思いますよ」
にこにこしながら言うと、ヨーコさんはまたあきれ顔になった。
「その自信どっから来るんや?」
「自信じゃなくて事実です」
にこにこと俺は笑う。
「だって俺、ヨーコさんに手出されたら何するかわかんないもん。殺すなんて生温いことしませんよ」
俺の目を見たヨーコさんは、少しだけ眉を寄せて、またため息をついた。
「あんた……相当厄介やな」
「よく言われます」
俺の笑顔に、ヨーコさんはやれやれと首を振った。
+ + +
その年の6月、マーシーとアーヤが結婚した。
ヨーコさんと俺はチャペルに招かれた。
二人は幸せそうだったし、衣装がよく似合っていた……ということは覚えているのだけど、具体的には覚えていない。
だってヨーコさんのドレスアップに気を取られていたのだ。青紫色のそのドレスは、彼女の上品さと色気を引き立てて、誰よりも綺麗だった。
帰り道、ヨーコさんはアーヤからもらったブーケを、大切そうに手元に抱えて歩いていた。
俺の胸元には、マーシーからもらった花がさしてある。
傍からは、二次会を終えた新郎新婦に見えたりしないかな。
そんなことを思いながら、二人で駅へ歩いていく。
「ね、ヨーコさん」
ブーケに気を取られていたヨーコさんは、ちらりと目を上げて俺を見た。
「幸せそうでしたね。二人とも」
本当は、もっと違うことを言いたかった。でも何を言いたいのか分からなくて、そんなことを言っただけだ。
ヨーコさんは微笑んだ。
「せやね」
頷いたヨーコさんは、視線をブーケから前方へ向ける。
俺もその横顔の視線を追って、前を見た。
ーー責任のある関係になりたいです。彼女になってください。
マーシーたちを見送った後、ヨーコさんにそう言った。
ーーこの花が、一週間もったら、考えてみてもええよ。
ヨーコさんの返事は、俺にはよく分からなかった。
分からなかったけど、ヨーコさんにとって、そのブーケが大事なのは分かった。
分かったから、とりあえず待つことにした。
結局その返事を聞くのが、年末になるだなんて思わなかったけど。
一緒に通勤するのは変わらなかったが、
「受付の子、変わったみたいやな。割と好みやろ」
とか何とか言ってくるのだ。
冷たく振る舞いながら、その実すがるような目をしていることには、きっと本人も気づいていないんだろう。
「俺の好みはヨーコさんですから。他の女は物足りないです」
あっさり答えると、ヨーコさんはあきれたように半眼になった。
そして肩をすくめ、話にならないと首を振る。
「年増のどこがええんやろか。変な男」
「年増がいいんじゃなくて、ヨーコさんがいいの」
俺はその肩を抱こうと手を伸ばしたが、不意に振り返ったヨーコさんの視線に手を止めた。
「さわらんどいて」
「はい……すみません」
しゅん、と肩をすくめてうつむくと、ヨーコさんはふんと鼻から息を出して歩いていく。俺もその斜め横に従った。
「ヨーコさぁん」
「何や」
「最近、ちょっとは進展したと思いません? 俺たち」
ヨーコさんは立ち止まった。その表情は、不愉快そうにも、うろたえているようにも見えた。が、きゅっと唇を結んでまっすぐに俺を見上げる。
「ただの自意識過剰やろ」
「そうですかねぇ」
ヨーコさんはまた俺のことなど気にも止めず歩き出す。その歩みに合わせて、俺も歩いていく。
「あ、ジョーくんおはよー」
「おはよう」
受付の女性が笑顔で手を振ってきたので俺も笑顔を返した。
ヨーコさんはさりげなく俺から離れようとする。
「ちょっと、ヨーコさん」
「なんやの。放っといてぇな」
俺がその手首を掴むと、ヨーコさんは心底嫌そうに眉を寄せた。
「だって離れようとするから」
「そりゃするやろ。あんたみたいな若い子に色目使う女なんて思われるのは嫌や」
俺は唇を尖らせる。
「そんなんみんなわかってますよ。俺がヨーコさんに色目使ったんだってことくらい」
「どうやろなぁ」
ヨーコさんは目を反らした。そこには何かをあきらめたような表情が浮かんでいる。
「どう思われてるかなんて分からんやろ」
「でも俺はヨーコさんが好きです」
「そんなん今聞いてへんわ」
ヨーコさんは嫌そうに周りを見て、俺をにらみつけた。俺は笑った。
「よし、じゃあわかりました。俺がどれだけヨーコさんのこと好きか、社内で言いまくればいいんですね。そしたら何も問題なし」
「大ありや!」
ヨーコさんが珍しく声を大きくして、手首を掴む俺の手を振り払った。
大股で歩くその背中を追いかける。
「ヨーコさん、待ってくださいよ」
「待たへん。勝手に来ぃや」
「ヨーコさんと一緒がいいです」
「あんたみたいな大型犬要らん」
「つれないなぁ。……そんなところも好きだけど」
「ジョー」
ヨーコさんは足を止めて振り返り、俺を睨みつけた。
俺は笑いを堪えながら近寄り、その手を取る。
「はい、行きましょうね」
「ジョー。離して」
「離しませーん。社内でヨーコさん狙ってる奴もいるし」
「そんなんおらんやろ」
「います。絶対います。ヨーコさん自分の魅力に自覚がなさすぎ」
ヨーコさんは大袈裟なくらいに深々と息を吐き出した。俺の手から逃れようと引いていた腕の力を諦めたように抜く。
「もう勝手にして」
「勝手にします」
俺は笑いながら、その手を恋人繋ぎに直した。
ヨーコさんは黙ったまま目線で反論してくる。
そんな目しても駄目。
「こうして毎朝出勤してたら、誰も勘違いしないでしょ」
「するやろ。違う意味の勘違い」
「いいじゃないですかー。俺の女にわざわざ手出す奴いないと思いますよ」
にこにこしながら言うと、ヨーコさんはまたあきれ顔になった。
「その自信どっから来るんや?」
「自信じゃなくて事実です」
にこにこと俺は笑う。
「だって俺、ヨーコさんに手出されたら何するかわかんないもん。殺すなんて生温いことしませんよ」
俺の目を見たヨーコさんは、少しだけ眉を寄せて、またため息をついた。
「あんた……相当厄介やな」
「よく言われます」
俺の笑顔に、ヨーコさんはやれやれと首を振った。
+ + +
その年の6月、マーシーとアーヤが結婚した。
ヨーコさんと俺はチャペルに招かれた。
二人は幸せそうだったし、衣装がよく似合っていた……ということは覚えているのだけど、具体的には覚えていない。
だってヨーコさんのドレスアップに気を取られていたのだ。青紫色のそのドレスは、彼女の上品さと色気を引き立てて、誰よりも綺麗だった。
帰り道、ヨーコさんはアーヤからもらったブーケを、大切そうに手元に抱えて歩いていた。
俺の胸元には、マーシーからもらった花がさしてある。
傍からは、二次会を終えた新郎新婦に見えたりしないかな。
そんなことを思いながら、二人で駅へ歩いていく。
「ね、ヨーコさん」
ブーケに気を取られていたヨーコさんは、ちらりと目を上げて俺を見た。
「幸せそうでしたね。二人とも」
本当は、もっと違うことを言いたかった。でも何を言いたいのか分からなくて、そんなことを言っただけだ。
ヨーコさんは微笑んだ。
「せやね」
頷いたヨーコさんは、視線をブーケから前方へ向ける。
俺もその横顔の視線を追って、前を見た。
ーー責任のある関係になりたいです。彼女になってください。
マーシーたちを見送った後、ヨーコさんにそう言った。
ーーこの花が、一週間もったら、考えてみてもええよ。
ヨーコさんの返事は、俺にはよく分からなかった。
分からなかったけど、ヨーコさんにとって、そのブーケが大事なのは分かった。
分かったから、とりあえず待つことにした。
結局その返事を聞くのが、年末になるだなんて思わなかったけど。
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