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第三章 凶悪な正義
03 コレクション
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俺が見繕った店のうち、ヨーコさんが選んだのはエスニック系の料理だった。
会社からは少し離れていて、ちょうど俺の家の近くだったけど、それを言うとナシになりそうだから言わないことにする。
「嬉しいなぁ、ヨーコさんと夕飯。嬉しいなぁ」
スキップすらする俺にあきれながら、ヨーコさんはさりげなく距離を置いて歩く。
「えええ、離れて行かないでくださいよぅ。寂しい」
甘えてみたが、ヨーコさんの白い目が返ってきただけだった。
俺は笑って気持ちを切り換え、今日の店を選ぶに至った話を始める。課内のメンバーにオススメの店を聞いたらチーフが真剣に選んでくれたこと、仕事そっちのけな俺たちの姿にマーシーがあきれていたこと、ボスも苦笑しながら大目に見てくれたこと。
「……事業部って暇なん?」
あきれて向けられた半眼に、俺は首を傾げて笑い返す。
「繁忙期ではないですけど、結局イベント屋が多いんで、こつこつやるより短期集中型かも」
その答えに、ヨーコさんはいまいち納得できないという顔でふぅんと返してきた。
店で食事を摂り、軽くアルコールで喉を潤して帰路につくと、急にゴロゴロと音がした。
「え、今日降るって言ってましたっけ?」
ヨーコさんがスマホを取り出す。
「……降りそうやな」
つぶやいたとき、ぽつり、と来た。
「うわ。急ぎましょう」
言って歩き始めたが、雨脚がひどくなる気配を見せる。
俺はジャケットを脱いでヨーコさんの頭にかけた。頭の中で地図を思い浮かべ、ちらりとヨーコさんを見下ろす。
ジャケットの隙間からは黒目がちな目が、ものを問うように俺を見上げてくる。
きゅんと胸が締め付けられた。
駅に一歩、迷いがちに踏み出した足を、逆へ向ける。
「……こっち」
迷っている暇はない。雨脚は本格的になりつつある。
手を引いて駅と逆側に走り出す俺に、ヨーコさんは黙ってついてきた。
それにしたって、この汚い部屋にヨーコさんを招き入れることになるとは思わなかった。
玄関先で息を整えながら、俺は自分のだらしなさに辟易する。
どうしよう。雨が落ち着くまでうちで休もうと思ったけど、こんな汚ない部屋にヨーコさん入れたくない。
傘を貸そうにも、業後の予定に浮き立った俺は、今日も会社に傘を置いてきてしまった。
ヨーコさんを見下ろすが、やはり何も言わずに息を整えている。
「……すみません、汚い家で」
言ってから、我に返った。
「あ、あの。駅よりもこっちの方が近いと思ったんで。決してその、ナニカしようという訳ではなくて」
俺が慌てて弁明すると、ヨーコさんはちらりと俺を見上げた。
「別にどっちでもええよ」
あっさり言って、靴を脱ぐ。
きちんとその靴を揃える所作の美しさに、ついつい見惚れた。
「あ、あの、ちょっと片付けますから」
「うん」
言いながら、ヨーコさんはちらばる雑誌をゆっくりと拾い集めて行く。
ああくそ。あんな読まない雑誌、とっとと捨てりゃよかった。
ヨーコさんがふとしゃがみ込んで、何かを拾い上げた。
「あああああっ」
俺は慌てて駆け寄って、それを取り上げて後ろ手に持った。
俺を見上げるヨーコさんの目が笑っている。
「あの、ど、どっか、座っててください」
「うん。少し片したらな」
おっとりと返すその目は、やはり笑っていた。
俺は後ろ手に持ったローションを、そろりそろりと彼女の目の届かないところに置き、散らばったものを集めはじめる。
「あ、パンツ」
「い、いいですから! ヨーコさんは拾わなくていいですから!!」
いつも自堕落にくつろぐ空間が、すっかり公開処刑の刑場に変わっている。
くつくつ笑いながら俺の弱みを探そうと部屋を見渡すヨーコさんを横目に、俺は全速力でモノを拾い上げ、クローゼットの中に突っ込んだ。
一通りモノをしまい込むと、俺はほっと一息ついてコンロへ向かう。
「お茶、いれますね。紅茶のティーバッグくらいしかないですけど……」
「うん、おおきに」
1Kの我が家ではキッチンも最小限、冷蔵庫も小さいやつだ。大の字で寝たい俺はベッドだけは大きめを選んだが、他に家具らしい家具もない。机も段ボールに板を乗せて代用している。
その机の前にちょこんとしゃがんだヨーコさんは笑った。
「貧乏学生みたいな机やな」
言いながら、ヨーコさんは板を手にし、コツコツとたたいてみる。ただの端材だと認識すると、口を開けた段ボールに入っているものを目にした。
何で俺、蓋とかしとかなかったんだろう。
自分のだらしなさにほとんど絶望する。
「ちょ、そ、それも見ちゃ駄目!」
「何で? CDとDVDやろ?」
ヨーコさんは首を傾げて言いながら、段ボールにみっちりと並べられたその背を指先で伝う。桜色の爪が見えて心がざわめいた。
確かにそこに入っているのはCDとDVDだが、その中には年齢制限があるものもあるのだ。
コンロで湯を沸かしながらそわそわしていると、
「……『美人家庭教師の特別指導~えっちなお姉さんのちょっとキケンなセックス講義』」
ヨーコさんの声に無感情に読み上げられ、俺は泣きそうになりながらそちらへ一歩、踏み出しかける。
が、一瞬だけ上げたヨーコさんの目に制されるように、思わず歩みを止めた。
ヨーコさんはまた、箱の中に視線を戻し、綺麗な指先を、つ、と隣へ移す。
「『米人彼女はFカップ』『専業主婦の昼下がり~夫に飽きた熟女は複数プレイをご要望~』」
しゅわしゅわしゅわ……
お湯が湧く前の小さな音がし始めた。俺は身動きもできずヨーコさんが淡々と読み上げるエロDVDの題名を聞いている。何だこれ。どういうプレイだ。身動きもできないまま、無感情な彼女の声を聞き、その指先を見ている。
それらしきものの題名をすべて読み上げると、ヨーコさんはようやく目を上げて俺を見た。
俺はそこで、お湯が湧いていることに気づく。
「ジョー」
「……何でしょう」
「あんた、相当雑食やな。恋人モノからソフトSMまで、人種も年齢もこだわりなし」
淡々と漏らした彼女の感想には、やはり何の感情もこもっていない。事実として言っているだけだという体に、若干胸が痛む。
俺の趣味には興味ない、ってことっすか。
俺は思わず目をそらして、ぐつぐついっているヤカンをなだめようとコンロの火を切った。
脱力感に、息を吐き出す。
公開処刑を乗り越えた今、もう何を見られても変わらない。
「お茶は?」
じっと動けなくなっている俺に、ヨーコさんの声がかかった。見やると、元通り段ボールの上に板が乗っていて、ヨーコさんはその隣にちょこんと正座して待っている。
その可愛さにきゅんとしたが、目に浮かぶ涙を感じて思わず額を押さえた。
「……今、いれます……」
心に負った傷を自分でなだめながら、俺はティーバッグを出して紅茶を入れる。お茶を入れたコップを持って行くと、受けとったヨーコさんがそれを両手に包み持った。
「おおきに」
言って、ふぅ、と息を吐きかけ、少しだけ飲む。
「元カノのやろ、これ」
「ごふっ」
思わずむせ返った俺を、ヨーコさんはやっぱり何の感情もなく見ている。
俺は口元に手を当てながら、げふげふと咳込む。動揺のせいか、喉がなかなか落ち着かない。
お、俺は何て馬鹿なことを……!
自分で踏んだ地雷なので何も言えない。
彼女というモノがいて、家に連れ込んでいたのは、ここに引っ越す前の家までだ。
外資系の我が社は、希望すれば2ヶ所目か3ヶ所目で海外に転勤になる。今の部署に来る前、イギリス勤務だった俺は、ロンドン近郊に部屋を借りていた。
せっかく多国籍な国なのだからと、色んな子を連れ込んでみたり、カノジョにしてみたりと楽しんでいて、何も考えずに女が置いていったものを活用していたのだが……
ヨーコさんの静かな目に見つめられると、そんな馬鹿な生活をしていた自分が人間の屑みたいに思えてくる。
ヨーコさんは反省モードになる俺を黙って見つめながら、黙ってカップで紅茶を飲んでいる。
「あ、あの……少し、弁明をしても?」
「別にええけど」
「DVDは……多くがもらいもので……」
結婚する友人が「全部は新居に隠しきれないから」とくれたり、誕生日に「これ俺のオススメ」とくれたり、そういう類のものだ。
ヨーコさんはそれを聞いて、ふぅんと興味なさげに相槌を打つ。その相変わらずのクールな態度も、俺の胸をえぐった。
「ま、確かにな」
俺にとって気まずい沈黙を、ヨーコさんの声が破る。
一瞬フォローしてくれるのかと思いきや、
「あんたなら、わざわざこんなもの使わんで生の女漁るやろうしな」
その言葉に、俺はまた泣きたくなった。
会社からは少し離れていて、ちょうど俺の家の近くだったけど、それを言うとナシになりそうだから言わないことにする。
「嬉しいなぁ、ヨーコさんと夕飯。嬉しいなぁ」
スキップすらする俺にあきれながら、ヨーコさんはさりげなく距離を置いて歩く。
「えええ、離れて行かないでくださいよぅ。寂しい」
甘えてみたが、ヨーコさんの白い目が返ってきただけだった。
俺は笑って気持ちを切り換え、今日の店を選ぶに至った話を始める。課内のメンバーにオススメの店を聞いたらチーフが真剣に選んでくれたこと、仕事そっちのけな俺たちの姿にマーシーがあきれていたこと、ボスも苦笑しながら大目に見てくれたこと。
「……事業部って暇なん?」
あきれて向けられた半眼に、俺は首を傾げて笑い返す。
「繁忙期ではないですけど、結局イベント屋が多いんで、こつこつやるより短期集中型かも」
その答えに、ヨーコさんはいまいち納得できないという顔でふぅんと返してきた。
店で食事を摂り、軽くアルコールで喉を潤して帰路につくと、急にゴロゴロと音がした。
「え、今日降るって言ってましたっけ?」
ヨーコさんがスマホを取り出す。
「……降りそうやな」
つぶやいたとき、ぽつり、と来た。
「うわ。急ぎましょう」
言って歩き始めたが、雨脚がひどくなる気配を見せる。
俺はジャケットを脱いでヨーコさんの頭にかけた。頭の中で地図を思い浮かべ、ちらりとヨーコさんを見下ろす。
ジャケットの隙間からは黒目がちな目が、ものを問うように俺を見上げてくる。
きゅんと胸が締め付けられた。
駅に一歩、迷いがちに踏み出した足を、逆へ向ける。
「……こっち」
迷っている暇はない。雨脚は本格的になりつつある。
手を引いて駅と逆側に走り出す俺に、ヨーコさんは黙ってついてきた。
それにしたって、この汚い部屋にヨーコさんを招き入れることになるとは思わなかった。
玄関先で息を整えながら、俺は自分のだらしなさに辟易する。
どうしよう。雨が落ち着くまでうちで休もうと思ったけど、こんな汚ない部屋にヨーコさん入れたくない。
傘を貸そうにも、業後の予定に浮き立った俺は、今日も会社に傘を置いてきてしまった。
ヨーコさんを見下ろすが、やはり何も言わずに息を整えている。
「……すみません、汚い家で」
言ってから、我に返った。
「あ、あの。駅よりもこっちの方が近いと思ったんで。決してその、ナニカしようという訳ではなくて」
俺が慌てて弁明すると、ヨーコさんはちらりと俺を見上げた。
「別にどっちでもええよ」
あっさり言って、靴を脱ぐ。
きちんとその靴を揃える所作の美しさに、ついつい見惚れた。
「あ、あの、ちょっと片付けますから」
「うん」
言いながら、ヨーコさんはちらばる雑誌をゆっくりと拾い集めて行く。
ああくそ。あんな読まない雑誌、とっとと捨てりゃよかった。
ヨーコさんがふとしゃがみ込んで、何かを拾い上げた。
「あああああっ」
俺は慌てて駆け寄って、それを取り上げて後ろ手に持った。
俺を見上げるヨーコさんの目が笑っている。
「あの、ど、どっか、座っててください」
「うん。少し片したらな」
おっとりと返すその目は、やはり笑っていた。
俺は後ろ手に持ったローションを、そろりそろりと彼女の目の届かないところに置き、散らばったものを集めはじめる。
「あ、パンツ」
「い、いいですから! ヨーコさんは拾わなくていいですから!!」
いつも自堕落にくつろぐ空間が、すっかり公開処刑の刑場に変わっている。
くつくつ笑いながら俺の弱みを探そうと部屋を見渡すヨーコさんを横目に、俺は全速力でモノを拾い上げ、クローゼットの中に突っ込んだ。
一通りモノをしまい込むと、俺はほっと一息ついてコンロへ向かう。
「お茶、いれますね。紅茶のティーバッグくらいしかないですけど……」
「うん、おおきに」
1Kの我が家ではキッチンも最小限、冷蔵庫も小さいやつだ。大の字で寝たい俺はベッドだけは大きめを選んだが、他に家具らしい家具もない。机も段ボールに板を乗せて代用している。
その机の前にちょこんとしゃがんだヨーコさんは笑った。
「貧乏学生みたいな机やな」
言いながら、ヨーコさんは板を手にし、コツコツとたたいてみる。ただの端材だと認識すると、口を開けた段ボールに入っているものを目にした。
何で俺、蓋とかしとかなかったんだろう。
自分のだらしなさにほとんど絶望する。
「ちょ、そ、それも見ちゃ駄目!」
「何で? CDとDVDやろ?」
ヨーコさんは首を傾げて言いながら、段ボールにみっちりと並べられたその背を指先で伝う。桜色の爪が見えて心がざわめいた。
確かにそこに入っているのはCDとDVDだが、その中には年齢制限があるものもあるのだ。
コンロで湯を沸かしながらそわそわしていると、
「……『美人家庭教師の特別指導~えっちなお姉さんのちょっとキケンなセックス講義』」
ヨーコさんの声に無感情に読み上げられ、俺は泣きそうになりながらそちらへ一歩、踏み出しかける。
が、一瞬だけ上げたヨーコさんの目に制されるように、思わず歩みを止めた。
ヨーコさんはまた、箱の中に視線を戻し、綺麗な指先を、つ、と隣へ移す。
「『米人彼女はFカップ』『専業主婦の昼下がり~夫に飽きた熟女は複数プレイをご要望~』」
しゅわしゅわしゅわ……
お湯が湧く前の小さな音がし始めた。俺は身動きもできずヨーコさんが淡々と読み上げるエロDVDの題名を聞いている。何だこれ。どういうプレイだ。身動きもできないまま、無感情な彼女の声を聞き、その指先を見ている。
それらしきものの題名をすべて読み上げると、ヨーコさんはようやく目を上げて俺を見た。
俺はそこで、お湯が湧いていることに気づく。
「ジョー」
「……何でしょう」
「あんた、相当雑食やな。恋人モノからソフトSMまで、人種も年齢もこだわりなし」
淡々と漏らした彼女の感想には、やはり何の感情もこもっていない。事実として言っているだけだという体に、若干胸が痛む。
俺の趣味には興味ない、ってことっすか。
俺は思わず目をそらして、ぐつぐついっているヤカンをなだめようとコンロの火を切った。
脱力感に、息を吐き出す。
公開処刑を乗り越えた今、もう何を見られても変わらない。
「お茶は?」
じっと動けなくなっている俺に、ヨーコさんの声がかかった。見やると、元通り段ボールの上に板が乗っていて、ヨーコさんはその隣にちょこんと正座して待っている。
その可愛さにきゅんとしたが、目に浮かぶ涙を感じて思わず額を押さえた。
「……今、いれます……」
心に負った傷を自分でなだめながら、俺はティーバッグを出して紅茶を入れる。お茶を入れたコップを持って行くと、受けとったヨーコさんがそれを両手に包み持った。
「おおきに」
言って、ふぅ、と息を吐きかけ、少しだけ飲む。
「元カノのやろ、これ」
「ごふっ」
思わずむせ返った俺を、ヨーコさんはやっぱり何の感情もなく見ている。
俺は口元に手を当てながら、げふげふと咳込む。動揺のせいか、喉がなかなか落ち着かない。
お、俺は何て馬鹿なことを……!
自分で踏んだ地雷なので何も言えない。
彼女というモノがいて、家に連れ込んでいたのは、ここに引っ越す前の家までだ。
外資系の我が社は、希望すれば2ヶ所目か3ヶ所目で海外に転勤になる。今の部署に来る前、イギリス勤務だった俺は、ロンドン近郊に部屋を借りていた。
せっかく多国籍な国なのだからと、色んな子を連れ込んでみたり、カノジョにしてみたりと楽しんでいて、何も考えずに女が置いていったものを活用していたのだが……
ヨーコさんの静かな目に見つめられると、そんな馬鹿な生活をしていた自分が人間の屑みたいに思えてくる。
ヨーコさんは反省モードになる俺を黙って見つめながら、黙ってカップで紅茶を飲んでいる。
「あ、あの……少し、弁明をしても?」
「別にええけど」
「DVDは……多くがもらいもので……」
結婚する友人が「全部は新居に隠しきれないから」とくれたり、誕生日に「これ俺のオススメ」とくれたり、そういう類のものだ。
ヨーコさんはそれを聞いて、ふぅんと興味なさげに相槌を打つ。その相変わらずのクールな態度も、俺の胸をえぐった。
「ま、確かにな」
俺にとって気まずい沈黙を、ヨーコさんの声が破る。
一瞬フォローしてくれるのかと思いきや、
「あんたなら、わざわざこんなもの使わんで生の女漁るやろうしな」
その言葉に、俺はまた泣きたくなった。
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