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第二章 天使の翻弄
01 天使に抱かれた日
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もし、ヨーコさんは、羽を毟られた天使なんだと言われたら、俺は信じる。
だって、彼女はあまりに綺麗すぎるんだ。
汚しても汚しても汚れない彼女を、今まで何人もの男が汚そうとしてきたんだろう。
綺麗過ぎて、汚したくなるのだ。
気持ちは分かる。きっと、その頃の俺も、そうだったから。
汚して、自分の跡を刻み付けたくなるのだ。
彼女の人生に。彼女自身に。
己の存在が刻みついたところを、見てみたくなるのだ。
でも、馬鹿な男たちが何をしても、彼女が汚れることはない。
どんなに踏み潰しても、めちゃくちゃに犯しても、痛め付けても。
残念なほどに、彼女は綺麗なまま。
彼女の綺麗さは、そんな表面上の事由とは違うところにあるんだと思う。
だから、彼女はきっと、血まみれになっても精液まみれになっても汚物まみれになっても、綺麗だ。
それは、気高さとか上品さとか、そういう、分かるような分からないような言葉で現せるものではない。
訳が分からない?
きっとヨーコさんを見れば分かるよ。
惚気だって?
いや、でもね。これ、結構本気でそう思ってんの、俺。
結婚して十年以上経つ、今になっても。
* * *
そして、年明け。
初めて、彼女を抱いた。
ーーいや、抱かれた、と言う方が正確だろう。
マーシーが仕事で一時、東京を離れて九州支社に行った後のことだ。
今までまったく反応してくれなかったヨーコさんが、ディナーに誘ってくれとでも言うような口ぶりで新しくできたバーのことを口にした。
俺はやっとこの時が来たとばかりに、彼女を食事に誘い、夜を共にするチャンスを得たのだ。
その夜、俺は童貞のように舞い上がって、緊張していた。
彼女が何をし、俺がどう反応したのか、ほとんど何も覚えていない。
覚えているのは、彼女の挑発するような目と、赤い唇の柔らかさ。
繋がるを待たず爆ぜた俺を嘲笑い、お仕置きと証してネクタイで目を覆われーー
ときどき聞こえるアルトの息遣いだけで、俺は痺れて何も考えられなくなった。
今まで経験したこともない快感に、しっかり溺れた。
そして俺がまどろんでいる内に、彼女は消えていた。
枕元に残された一万円札が、彼女の唯一の名残と見てとり、がくりとこうべを垂れた。
「二度目はナシってこと……?」
呟きに答えてくれる人はいない。
手元に落ちていたネクタイを手にした。俺の目を縛り、次いで手を縛ってベッドに結わえ付けたそのネクタイ。
手首に残った赤い拘束の跡を見て、また下半身が疼く。
俺の分身はかなり動物的だ、と苦笑した。
目を閉じ、赤い部分に舌を這わせる。
彼女なら、何というだろうか。
「かわいそうに。赤くして」
冷たい目でそう笑うだろうか。
「でも、残念やなぁ。縛ったくらいじゃ、血は出ぇへんか」
想像する。彼女の肉厚な唇が、俺の手首に食らいつく様を。
がり、と自分で噛み付いて、痛みに眉を寄せた。
さすがに血を出すほどには噛み付けない。
それでも、そんな妄想に浸っているうちに、俺自身はまた頭をもたげている。
元気だなぁ。さっき、あの人に三回は出してもらったのに。
繋がらせてくれたのは、そのうちの一回だけだった。
それも、俺をベッドに縛り付け、上に跨がり、焦らしに焦らして。
耐え兼ねて動こうとする俺に、笑って言うのだ。
「動いたら、うち、帰るで」
そう言われて身動きもできず、彼女に強く打ち付けることもできないまま、彼女の搾り出すような動きに負けて、果てた。
「ーーはぁ」
屹立した自身をゆるゆると握りながらしごく。
「はぁ……ヨーコさん」
ようやく目にした彼女の裸を思い出した。白い肌。豊かな胸と、複数の男を知っているとは思えないほど優しい色をしたその頂き。
「ぁあ……もう一回、したいよ……」
一回、じゃ足りないかもしれない。二回? 三回? 彼女となら毎晩でもいい。多分、毎晩でも飽きないだろう。
お仕置き、と笑っていない目で言って、俺の先っぽに爪を立てたのを思い出す。
きゅ、と片手で同じようにしてみると、また俺自身がふるりと震えた。
「はぁっーー」
くちゅくちゅと水音を立てて手を上下させる。
「はぁ、あああああ、ああ」
ホテルだから、声を押さえる必要もない。
「ああ、ああ、ヨーコさんっーー」
さっきの俺も、同じように声をあげていた。
啼かせるつもりが、啼かされていただなんて。
「ぁああ、ああ!」
彼女の声は、ほとんど聞かなかった。
ーーお仕置きやで。
かすれたアルトの声が、また耳元で囁かれたような感覚に、今夜数度目の射精をした。
「っは、は、はぁ、あーーふぅ、はぁ」
息を整えながら、ぽてり、とベッドに横たわる。
「どうしよう……」
自分の身体の汗ばみを感じながら、ぼやいた。
「ヨーコさんじゃなきゃ勃なくなったら、どうしよう……」
良かった。良すぎた。彼女のナカもソトも、声も動きも、すべてが良すぎた。完璧だった。
「あああ……」
知ってしまった今となっては、他の女で満足できる気がしない。
転がった視線の先には、スツールの俺のスマホが見えた。
中に入っている女の名前を思い出す。
可能な限り、顔も、身体も、思い出す。
そして深々と、ため息をついた。
「無理……」
思わず泣けてきて目を押さえる。
彼女の代理ができそうな女など、ひとりとして思い浮かばなかった。
だって、彼女はあまりに綺麗すぎるんだ。
汚しても汚しても汚れない彼女を、今まで何人もの男が汚そうとしてきたんだろう。
綺麗過ぎて、汚したくなるのだ。
気持ちは分かる。きっと、その頃の俺も、そうだったから。
汚して、自分の跡を刻み付けたくなるのだ。
彼女の人生に。彼女自身に。
己の存在が刻みついたところを、見てみたくなるのだ。
でも、馬鹿な男たちが何をしても、彼女が汚れることはない。
どんなに踏み潰しても、めちゃくちゃに犯しても、痛め付けても。
残念なほどに、彼女は綺麗なまま。
彼女の綺麗さは、そんな表面上の事由とは違うところにあるんだと思う。
だから、彼女はきっと、血まみれになっても精液まみれになっても汚物まみれになっても、綺麗だ。
それは、気高さとか上品さとか、そういう、分かるような分からないような言葉で現せるものではない。
訳が分からない?
きっとヨーコさんを見れば分かるよ。
惚気だって?
いや、でもね。これ、結構本気でそう思ってんの、俺。
結婚して十年以上経つ、今になっても。
* * *
そして、年明け。
初めて、彼女を抱いた。
ーーいや、抱かれた、と言う方が正確だろう。
マーシーが仕事で一時、東京を離れて九州支社に行った後のことだ。
今までまったく反応してくれなかったヨーコさんが、ディナーに誘ってくれとでも言うような口ぶりで新しくできたバーのことを口にした。
俺はやっとこの時が来たとばかりに、彼女を食事に誘い、夜を共にするチャンスを得たのだ。
その夜、俺は童貞のように舞い上がって、緊張していた。
彼女が何をし、俺がどう反応したのか、ほとんど何も覚えていない。
覚えているのは、彼女の挑発するような目と、赤い唇の柔らかさ。
繋がるを待たず爆ぜた俺を嘲笑い、お仕置きと証してネクタイで目を覆われーー
ときどき聞こえるアルトの息遣いだけで、俺は痺れて何も考えられなくなった。
今まで経験したこともない快感に、しっかり溺れた。
そして俺がまどろんでいる内に、彼女は消えていた。
枕元に残された一万円札が、彼女の唯一の名残と見てとり、がくりとこうべを垂れた。
「二度目はナシってこと……?」
呟きに答えてくれる人はいない。
手元に落ちていたネクタイを手にした。俺の目を縛り、次いで手を縛ってベッドに結わえ付けたそのネクタイ。
手首に残った赤い拘束の跡を見て、また下半身が疼く。
俺の分身はかなり動物的だ、と苦笑した。
目を閉じ、赤い部分に舌を這わせる。
彼女なら、何というだろうか。
「かわいそうに。赤くして」
冷たい目でそう笑うだろうか。
「でも、残念やなぁ。縛ったくらいじゃ、血は出ぇへんか」
想像する。彼女の肉厚な唇が、俺の手首に食らいつく様を。
がり、と自分で噛み付いて、痛みに眉を寄せた。
さすがに血を出すほどには噛み付けない。
それでも、そんな妄想に浸っているうちに、俺自身はまた頭をもたげている。
元気だなぁ。さっき、あの人に三回は出してもらったのに。
繋がらせてくれたのは、そのうちの一回だけだった。
それも、俺をベッドに縛り付け、上に跨がり、焦らしに焦らして。
耐え兼ねて動こうとする俺に、笑って言うのだ。
「動いたら、うち、帰るで」
そう言われて身動きもできず、彼女に強く打ち付けることもできないまま、彼女の搾り出すような動きに負けて、果てた。
「ーーはぁ」
屹立した自身をゆるゆると握りながらしごく。
「はぁ……ヨーコさん」
ようやく目にした彼女の裸を思い出した。白い肌。豊かな胸と、複数の男を知っているとは思えないほど優しい色をしたその頂き。
「ぁあ……もう一回、したいよ……」
一回、じゃ足りないかもしれない。二回? 三回? 彼女となら毎晩でもいい。多分、毎晩でも飽きないだろう。
お仕置き、と笑っていない目で言って、俺の先っぽに爪を立てたのを思い出す。
きゅ、と片手で同じようにしてみると、また俺自身がふるりと震えた。
「はぁっーー」
くちゅくちゅと水音を立てて手を上下させる。
「はぁ、あああああ、ああ」
ホテルだから、声を押さえる必要もない。
「ああ、ああ、ヨーコさんっーー」
さっきの俺も、同じように声をあげていた。
啼かせるつもりが、啼かされていただなんて。
「ぁああ、ああ!」
彼女の声は、ほとんど聞かなかった。
ーーお仕置きやで。
かすれたアルトの声が、また耳元で囁かれたような感覚に、今夜数度目の射精をした。
「っは、は、はぁ、あーーふぅ、はぁ」
息を整えながら、ぽてり、とベッドに横たわる。
「どうしよう……」
自分の身体の汗ばみを感じながら、ぼやいた。
「ヨーコさんじゃなきゃ勃なくなったら、どうしよう……」
良かった。良すぎた。彼女のナカもソトも、声も動きも、すべてが良すぎた。完璧だった。
「あああ……」
知ってしまった今となっては、他の女で満足できる気がしない。
転がった視線の先には、スツールの俺のスマホが見えた。
中に入っている女の名前を思い出す。
可能な限り、顔も、身体も、思い出す。
そして深々と、ため息をついた。
「無理……」
思わず泣けてきて目を押さえる。
彼女の代理ができそうな女など、ひとりとして思い浮かばなかった。
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