色ハくれなゐ 情ハ愛

松丹子

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第一章 最低な男

05 電流

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 タエコと映画を見てホテルに行って、夕飯でも食べて帰ろうとホテルを出たとき、またヨーコさんを見かけた。
 あれぇ。また違う男?
 つい、よく見ようと目を細める。なんだか面白くなかった。
 どう見ても楽しそうにない顔で、男に黙って肩を抱かれている。
 華奢な肩。それとは不釣り合いな胸の膨らみ。
 横にシワの寄ったタイトスカートの臀部に視線が落ちたとき、つっこみてぇ、と口の中で声が漏れた。タエコが「何か言った?」と顔を上げる。崩れた化粧をホテルで直したばかりなので、安息香酸の変に甘やかな臭いがした。
 俺はにこりと笑って首を振り、
「何でもないよ。何食う?」
「私、パスタがいいなぁ」
「いい店あるかな。探してみよう」
 俺の腕に絡まる腕がうっとうしい。もう少し若いときには、こういう情事後のやりとりは面倒くさくて振り払っていた。
 そう思えば俺も大人になったもんだ。と、誰も褒めてくれない自身の成長を褒める。
「ジョーくんてさぁ」
 タエコは店を探しながら、馬鹿みたいに明るい声を出す。
「なんか、笑ってるけど笑ってないときあるね」
 絡められた腕の重みを感じながら、俺はタエコを見下ろす。
 彼女も背が低い方ではないだろうが、俺が平均よりも高い。
「そう?」
 俺が答える。いつもの笑顔のまま。
「ほら、それ、それ」
 タエコがおもしろそうに笑った。何が楽しいのか全然わからない。
「ああ、これ? うん、そうだよ。笑ってない」
 答えた。だから何だという訳でもない。
 タエコが面白そうに目を輝かせる。
「どうして笑ってないのに笑ってるの?」
「どうしてかなぁ。その方が得だからかなぁ」
 にこりとすれば、大人たちは誰だって、俺を怒ることをやめた。「まったくお前のその顔には敵わない」と言われた少年は、なるほどこうすればみんな俺に敵わないのか、と素直に学んだ訳でした、まる。
 心中でつけたナレーションに満足してくつくつ笑うと、タエコも声をあげて笑った。
「何で笑うの?」
「ジョーくんが笑ってるから」
「あ、そっか」
 くつくつけらけら、二人で笑って歩きながら、俺はますます、絡めとられた腕の重さを振り払いたい衝動に駆られていた。

 + + +

 週明けの朝、ヨーコさんの後ろ姿を見つけて声をかけた。
「ヨーコさぁん、おっはよーございまーす!」
 ヨーコさんはちらりと俺に目を向けて、また前を向いて歩いていく。
 ありゃ。今日は挨拶無しの日か。
 かすれたアルトが聞けないのが残念だ。
 週末の男は誰だったんだろう。
 俺が見かけたの、気づいてたかな。
 思いながら後ろに続き、会社へ向かって歩いていく。
 歩みに揺れて動く肉感的なヒップに無意識に目が行った。
 あの男に組み敷かれて、啼いたのだろうか。
 面白くない。
 快感を得たいだけなら、手近なところで俺なんかどう?
 後悔させないけどなぁ。
 思うけど口にはしない。目の前を、彼女の美味しそうなヒップが目の毒だ。今日もいつものタイトスカート、膝下が華奢ですごく綺麗だ。膝の内側に、白い亀裂が見える。
 あ、ストッキング、伝線してる。
 ちらりと目を上げると、無表情に前を向く彼女の横顔が見えた。首筋から伸びる一本の筋が、カットソーの衿元へと落ちていく。柔らかそうで艶やかな素材はシルクだろうか。彼女が着るものはいつも上質そうに見える。
 肩を落としたように見える撫で肩の先の指先を見ようと思ったら、小さな拳が握られていて見えなかった。その手にずいぶん力がこもっていて、俺は思わずその手首に触れる。
 彼女は振り払いもせず、無気力な中に憤りを感じさせる目で俺を見た。
 俺は思わず、手を離す。彼女の筋張った手首の感触が指先に残っていて、痺れているような気がする。
 ヨーコさん、電流でも走ってるの?
 あ、もしかして、サイボーグとか。
 ちょっとありえる妄想に、笑う。
 きっと俺が天才エンジニアだったら、彼女みたいなのを作るだろう。
 エロくて、セクシーで、無駄な愛想を振り撒かない、彼女みたいなサイボーグを。
「何や」
「いや……手、痛そうです」
 ヨーコさんはそこでようやく、自分が拳を握っていることに気づいたようだった。
 ゆるゆると手を開くと、爪が食い込んだてのひらに、わずかに血が滲んでいる。
 舐め取りたい、と思った。
 口にはしなかったけど。
「……あらまぁ」
 ヨーコさんのあげた声は他人事のように、のんきだった。
「いつの間に、こんなん」
 おっとりと耳に響くアルトの声が、直接腰に響いてくる。
 ヨーコさんは手元に落としていた目を上げた。
 口元をふわりと緩める。
「おおきに」
 全然そうは思っていないと分かる声音で彼女は言った。
「消毒とか、した方がいいんじゃないですか」
 桜色の爪先に滲んだ赤が、俺の目に残像のように残っている。
「水で流せば大丈夫やろ」
 言うヨーコさんは、もう俺との会話を終わらせたがっている。
 そうだよね。だって、俺のこと嫌いだもんね。
 分かっているけどちょっと落ち込む。俺、こんなにヨーコさんのこと、欲しいって思ってるのに。
「じゃ、俺が舐め取ってあげましょうか」
 思わず本音が漏れた。ヨーコさんは眉を寄せ、俺に冷たい視線を向ける。
 その視線に、痺れる俺。
 その剥き出しの嫌悪感が、閉ざした彼女の心を裸にしたように感じて、自然と笑顔になる。
「こんな年増、放っときや」
 ヨーコさんは微笑んでいたが、目は俺の存在を拒否していた。
 その拒否にも、俺の背中はぞくぞく痺れ、下腹部が反応する。
 ヨーコさんはそれ以上会話を認めないという風で歩き出した。
 反応した股間のせいで、俺はしばらく身動きできないまま、足の運びに合わせて動くヒップと、おそらく腿から伸びているのだろうストッキングの白い伝線を見ていた。
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