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後日談1 天然系彼女が愛し過ぎる件(勝弘視点)

05

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 インターホンを押してから、ゆっくり家の鍵を開ける。何かしているところだったら、急に開けては驚くだろうし、玄関先へ出てくるのを待っては、開けてもらう手間がかかる。
 一度のぞき窓から確認して返事をするのが梢ちゃんの習慣で、インターホンが鳴ると、誰だろうと緊張して嫌だと苦笑していたというのもあるけれど。
 一呼吸、二呼吸して、ゆっくりドアを押し開く。もしストップをかけるなら声を出せる時間を取っているつもりだ。開いたドアの先に駆け寄って来る梢ちゃんを見て、ほっと微笑んだ。

「あの……お帰り」
「ただいま」

 照れ臭そうな挨拶が、俺の胸を乱暴に掴む。可愛い。マジで可愛い。抱きすくめてキスしてそのままベッドに押し倒したい衝動をどうにか堪え、紳士を装う。
 梢ちゃんは嬉しそうに微笑んで、ためらいながら俺の方に腕を伸ばした。俺はそれを受け止めて、柔らかく抱きしめる。
 息を吸い込むと、梢ちゃんが昔から使っているシャンプーの匂いがした。
 つき合い始めて少ししたとき、昔から変わらないねと指摘したら、「変えてみようかな」なんて言ってたけど、俺にとってはその匂いが梢ちゃんを思い出すものの一つだと言ったら、照れ臭そうに「じゃあ、そのままにする……」とうつむいた。
 俺のひとことで泣いたり笑ったりしてくれるのだ。それはそれだけでも心がほんわかする。

「わ、すごい。がんばったね」
「う、うん……」

 並んでいたのは立派な夕食だった。あまり料理の得意でない梢ちゃんにとってはずいぶん力が入っている。アサリのみそ汁、豚肉の生姜焼き、ひじきの煮物。実は和食派な俺に合わせてくれたのかもしれない。

「美味しいといいけど」
「梢ちゃんが準備してくれたならなんでも美味しいよ」

 さらりと言う台詞に嘘はない。梢ちゃんは「またそんなこと言って」なんて唇を尖らせるけど、赤くなった頬に照れ隠しだと見て取れる。
 俺だってこんな台詞、平気で言う奴の気が知れないと思ってたけど、本当だから仕方ない。梢ちゃん限定で俺の味覚は都合よく麻痺するのかもしれない。

「食べよう」
「うん。いただきます」

 二人でこたつを囲んで食事を始める。こたつの温もりと梢ちゃんの笑顔に心も身体もほかほかだ。完全に無意識に、頬は緩むし視線は梢ちゃんに向く。

「……見すぎ」

 またしても照れ臭そうに唇を尖らせる梢ちゃんに、「ごめん」と答えて食事を進める。
 梢ちゃんの左手が汁碗へと伸びて、口元へ運んだ。ネイルは色を塗ってあるだけで装飾はない。何もついていない薬指を眺めて、また文句を言われる前に視線を膳へと戻す。
 どう誘ったものかな、と考える。ロマンチックなシチュエーションに持っていきたいと思いはするけれど、梢ちゃんはときどき斜め上の解釈をするから、結局直球勝負がいいような気もする。
 考えながら食事していたら、言葉が少なくなった。
 食事を終えた俺にお茶を入れ直してくれた梢ちゃんが、心配そうに俺の顔を覗き込む。

「大丈夫……? 疲れてるね」

 あ、その顔やめて。可愛すぎて理性飛びそう。

 本心は心中に押し止めて、にこりと笑う。

「ああ、ごめん。ちょっと考え事してただけ」

 答えると、梢ちゃんは「そう」とぺたりと座り込み、お茶をすすった。
 一口飲んで、ふはぁ、と心底リラックスしたような吐息を漏らす。
 わざとじゃないかと思うくらいに、梢ちゃんは俺を揺さぶって来る。

 ……もう、いいよな。食事も済んだし。

 狼の自分が頭をもたげて、そっと梢ちゃんの肩に手を伸ばす。ゆっくり引き寄せると、梢ちゃんは俺の胸に額を寄せ、俺を見上げて微笑んだ。

「お疲れさま」

 疲れとかマジ吹っ飛ぶ。

 もう理性の声を聞く気もなく、彼女の唇を自分のそれで塞ぐとーーめくるめく、甘い時間の始まりだ。

 ***

 優しく髪を撫で、耳元で愛を囁き、額に、頬に、口に、首筋にキスを落とす。
 俺の想いはどうすればちゃんと伝わるだろう。俺の心の中が、彼女に見せられればいいのに。どれだけ彼女に染まっているか、そうすれば分かってもらえるだろう。
 こうして彼女と過ごす度に、もどかしくなる。

「好きだよ……梢ちゃん」
「ん……私、も」

 照れ屋さんな梢ちゃんは、あんまり気持ちを口にしないけど、俺が言うとちゃんと答えてくれる。その度にやっぱり照れ臭そうにするのも俺にとってはご馳走で、何度も何度も、彼女の言葉を求める。
 手での愛撫に、梢ちゃんはとろとろに溶けて、多分本人も無自覚な身じろぎをする。俺を求めているのだと思うと、乱暴に暴いてみたくもなるが、そこは紳士的な態度で。

「梢ちゃん……もう、いい?」

 梢ちゃんは潤んだ目で俺を見上げ、こくこくと頷く。
 あーもー、このままぶち込みたい。
 彼女の温もりに、直接自身のたぎりを沈めたい。
 でも、それはまだだ。結婚してから。……だから、早く結婚しなくちゃ。
 彼女を手に入れたい欲望に染まりそうになる度、俺はあえて紳士然として微笑み、優しい言葉を彼女にかける。

「可愛い、梢ちゃん」
「っ、やだ、もー……」

 尖らせた唇を唇で塞ぐ。優しく舌を絡め、歯列をなぞり、唇を味わいながら、手で脇のラインを辿る。

「っ、勝くん」

 懇願するような梢ちゃんの声が、また俺の理性を揺さぶってくる。
 俺はふふ、と吐息で笑って、枕元に用意したそれに手を伸ばしーー梢ちゃんの手に止められた。
 目を見開き、梢ちゃんを見下ろす。
 恥ずかしいのか、俺の顔から視線を反らして、梢ちゃんは消え入りそうな声で言った。

「……そのまま、して」

 ぐらん。
 あまりの揺さぶりに、俺の理性が一瞬吹っ飛びそうになる。
 ちょっと待て。待て待て待て待て。
 おかしい。この展開はおかしいぞ。

「……こ、梢ちゃん……どう、したの」
「いいから……」

 梢ちゃんは控えめに俺を見上げて、潤んだ目で見つめた。
 その目だけでも結構な凶器。

「……勝くんの……そのまま、してほしいの」

 や、待って。
 ちょっと落ち着いて梢ちゃん。
 いや落ち着くのは俺か。俺だな。

「……そ、それ……意味、分かってるの?」

 子ども……とか、できちゃうかもしれないんだよ。
 もちろん梢ちゃんとの子どもは欲しいけど、でも、今じゃなくってさ。ちゃんとウエディングドレスも、好きなの着て欲しいし。友達とか……うちの姉ちゃんとかにも、祝ってもらって……それから、思う存分……でもいいんじゃないの?

 俺の頭の中のぐるんぐるんを理解しているのかどうか、梢ちゃんは神妙な顔で頷いた。
 その目が決意の色を帯びていて、吹き飛びかけていた理性が警報を鳴らす。
 おかしい。ーーやっぱり、おかしい。

 俺は息をゆっくりと吐き出した。全て吐き切り、吸う。下半身のたぎりは少しだけ落ち着いた。

「……梢ちゃん、どうしたの?」

 できるだけ優しく問いかけ、そっと彼女の髪を撫でる。
 俺が追いかけつづけていたシャンプーの優しい香りが、鼻腔に漂った。
 じわりと胸に広がった温かさが、これは性欲だけの行為ではないのだと、改めて自分に教えてくれる。

「……勝くん、子ども、欲しいでしょ」

 梢ちゃんは視線を反らして言った。
 俺は頷きかけたけど、梢ちゃんを見つめながら曖昧に応じる。

「私の……年齢だと、不妊治療しても、授からない友達……いっぱいいるし、私もどうか、わかんないし……先、に、授かれば、勝くんも安心でしょ。子ども、できない女と、結婚するとかーー」
「待って」

 このときにはもう、彼女を求めて屹立していたそれは完全に意気消沈していた。
 この思考回路はまずい。泣きそうな顔の梢ちゃんが何を考えていたか、察しがついて慌てる。

「待って。梢ちゃんと結婚して、もし子どもができなかったら、俺が失望するとか思ってるの?」
「だって……だって、そうでしょ」

 梢ちゃんは俺を見上げて、その弾みにほろりと、涙が目尻からあふれた。

「き、昨日……孕ませたいって、言ってたし……別に、悪いことじゃないよ……きっと、そういう本能って、あると思うし……当然の感情だと思う……」
「待ってって」

 ずるずると負のスパイラルに陥る梢ちゃんに、慌てて呼びかける。こぼれる涙を指で拭い、頬に手を添えて目を覗き込んだ。

「俺、梢ちゃんだから結婚したいんだよ。その後、子どもができるかどうかは、それとはまた別の話でしょ」
「そ、そうだけど……昨日……」

 あああ、くそ。彼女を抱いた後の高揚と安堵で、余計なことを口走った。
 まさか彼女がこんな風に考えるだなんて、予想してなかった。

「梢ちゃん以外の女を孕ませたいなんて思わないよ。だいたい、年齢とか病気とか関係なく授からない夫婦だっているでしょ。赤ちゃんは授かりものだって、言うじゃない」

 姉だって、「意外となかなか授からないもんなのよね」と言っていたくらいだ。ずけずけ物言う姉がいるのは時に煩わしくもあるが、そういう知識が増えることについては感謝している。
 つい、感情を内側に留めてしまう梢ちゃんの近くにいるためにも……俺が理解して支えてあげたい。

「俺は梢ちゃんがいいよ。梢ちゃんと一緒にいたいんだ。もし、結婚してなかなか授からなかったら、梢ちゃんが望むなら一緒に不妊治療も行こう。そもそも俺が種無しだって可能性もあるわけだし。でも、女性の方が負担が大きいって聞くし、無理はして欲しくない。そればかりが夫婦のつながりじゃないだろ」

 たまらなくなって、梢ちゃんを抱き寄せる。ぐずぐず泣く梢ちゃんは、きっと一日中、考えていたのだろう。子どもを授からなければ、俺との別れを選択しなければいけないと……彼女のことだから、きっとそこまで考えたに違いない。

「ほ、ほんとに……いいの? 私、なんかで」

 梢ちゃんは泣きながら、嗚咽の合間に言った。

「勝くん、なら、もっと、若くて、きれいな、ひと」
「要らないよ」

 くそ。
 なんで、伝わらないんだ。

「俺が欲しいのは梢ちゃんだけだ。梢ちゃんと過ごす未来だけだ。それが手に入らないなら、ずっと独り身でいてやる。子どもだって要らない」

 梢ちゃんは涙目でまばたきした。

「も、もったいないよぅ、勝くん、かっこいいし、優秀なのに、子ども、残さないなんて……に、にほんの、そんしつ」

 そんなことを本気で言う梢ちゃんに、思わず噴き出す。
 くつくつ笑いながら、頬にキスをした。
 その頬は、涙の味がする。

「梢ちゃん、明日、予定ある?」

 梢ちゃんはまばたきをして、首を横に振った。

「ううん、ない」
「じゃあさ、12時から2時間、俺にちょうだい」

 梢ちゃんは目を丸くした。

「勝くん、仕事でしょ」
「うん。でも、午前中、外商のお客様が来店するから、昼休みは店の近くで過ごせると思うんだ」

 梢ちゃんは、その先が読めないというようにまばたきをする。俺は微笑んだ。

「昼休みになったら、連絡するから、宝石売り場に来てほしいんだ。1時間じゃ決まらないだろうけど、どうせ1日じゃ決まらないと思うから、何度でも通えばいい。それで、選んでよ。梢ちゃんが好きな指輪」

 梢ちゃんは目を大きく見開いて、俺を見上げる。
 きれいだ。
 彼女の目は、誰よりも俺をひきつけて、離さない。

「愛してる。結婚しよう」

 梢ちゃんは、震える息を吐き出して、俺にしがみついた。

「私も、勝くんと、一緒にいたい……」

 子どものように泣きじゃくる彼女の背中を撫で、抱きしめる。

 それは今まで感じたことのないほど優しい夜だった。
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