7 / 49
07
しおりを挟む
そういうことで、勝くんにちゃんと朝晩ご飯を用意してあげられるよう、大晦日も買い出しに向かった。
家を出て駅へ向かう途中で、ふと思う。
このままでは、年末年始らしいことは何も用意せずに終わってしまう。私はともかく、勝くんにはせめて気分だけでも正月を味わってもらいたい。忙しい中で1年の節目を楽しめないなんてかわいそうだ。
実家に帰れば、きっとご家庭で用意したお節も出てきたことだろう。料理初心者の私には当然作れないから、出来合いのものでも買ってこよう。
ならば、勝くんの勤め先である百貨店で、売上に貢献しよう。
そうだ、それがいい。
……もしかしたらたまたま偶然、仕事中の勝くんも見られるかもしれないし。
……いや、別にそれが目的じゃないよ。違うよ。目的は売上に貢献することだよ。ほんとだよ。
そうと決まれば足取りも軽く、勝くんの勤め先であるマルヤマ百貨店へ向かった。
* * *
来てみてびっくり。勝くんが忙しいと言っていたので想像はついていたのだが、年末年始に百貨店に足を運んだことなんかない私はア然とした。
地下の食品売場は人であふれかえっていて、進むことすらままならない。
見たところ、来店の目的はおおかた同じだ。予約したお節を受け取る人、予約してないけどお節を求める人。
他には、華やかに年末年始を過ごそうというのだろう、お寿司やパーティ惣菜を求める人。
隙間をかい潜るようにどうにかお節らしいおかずを求め、それを袋に入れていくエプロン姿の男性店員を見て、ふと思った。
エプロン。
朝の勝くんのエプロン姿。
シンプルなデザインだから男性がつけても変ではないけど、私のエプロンではさすがに寸足らずだった。
「こちらがお品ものです。ありがとうございました」
「あ、ありがとうございます」
差し出された袋を手にして、また人込みをかい潜る。
たどり着いたエスカレーターで、階案内を見やった。
……男性用のエプロン……
生活用品売場……かな。
私は1階をスルーして、8階生活用品売場へと昇って行った。
* * *
戦争状態なのは食品売場だけかと思っていたけど、8階もなかなかのものだった。
通路自体が広めだから多少マシとはいえ、迷ってうろうろしていたらそれだけで消耗してしまいそうだ。
まだ日用品の買い足しも残っている。さすがにトイレットペーパーやら何やらはいつものスーパーで買うつもりだから、そこまで体力を残しておく方がいいだろう。
そう思うや、近くにいた店員さんに声をかけた。
「あの、すみません」
何も考えずに、近くで商品を整えていた男性店員に声をかけると、こちらを向いた顔を見てちょっと驚いた。
切れ長で涼やかな印象の二重の目。通った鼻筋に小さい顎。9等身くらいありそうなくらい、顔が小さい。
王子だ、王子。マルヤマ百貨店の王子。
ついマジマジ見てしまった不躾にも動揺せず、店員さんは穏やかな微笑みで応じた。
「なにかお探しですか?」
滑らかな言葉に、とりあえずこくこく頷く。
「あの……エプロンを……男性用の」
「こちらです。ご案内いたします」
忙しい最中だろうに、店員さんは私の前を歩き出した。行き違う客に「いらっしゃいませ」と声をかけるスーツの背中についていく。
漂った控えめな香水は、爽やかな柑橘系だった。そういえば、勝くんはちょっと甘やかな香水を使っているみたい。それぞれよく似合っていて、香水もファッションなんだなぁと改めて思う。
香水なんてつけるような生活、今までしたことなんてなかった。
せいぜい一時期、シャンプーとかのヘアケアの香料をあれこれ試したくらいだ。それも、いつだったか勝くんから「いい匂いだね」と言われてから、違う香りに挑戦する気も失せてそのまま。
我ながら、すっかり枯れている……
「こちらです」
店員さんが立ち止まってにこやかに振り返る。私は我に返って微笑んだ。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、「お買い物をお楽しみくださいませ」と爽やかな笑顔で去って行った。
その途中、また客に声をかけられて応対している。
大変だなぁ。年の瀬なのに。
いや、年の瀬だから、大変なのかぁ。
私は思いながら、エプロンを手にした。
そこでふと、気づく。
……これ、なんか勘違いされたりするかな。
彼氏扱いされてキモい、とか。
家事やれってことか、とか。
思ってふと手を止めるが、勝くんの優しい笑顔を思い出して首を振る。
そんなこと、勝くんは言わないだろう。
きっと。多分。
……喜んでくれるかは、わかんないけど、とりあえず私のエプロンを使うよりはいいに違いない。
たとえこの年末年始だけだとしても。
ちょっと切なくなって、ため息をつく。
冗談で言ってみようか。
このまま一緒に住まない? って。
でも、それってどちらにしろ、私が辛いだけかも。
「いいよ」なんて言われて、姉貴分としてルームシェアを続けるにしても、「なに言ってるの」と一笑されて終わるのも。
……切なーい……
思いながらエプロンを手にする。青いチェック柄。爽やかな感じがして、勝くんに似合いそう。
勝くんが身につけたところを想像して悦に入っていると、年かさの女性店員さんから、声をかけられた。
「そちらのメーカーですと、女性用のピンクもありますよ。ペアでいかがですか?」
「えっ、あっ、う……」
要りません。
とは、言い切れず、
「……どれですか?」
蚊の鳴くような声で聞きながら、欲望に忠実すぎる自分の哀しさに、心中で泣いたのだった。
* * *
30分ほど悩んだ挙げ句、まんまとペア(っぽい)エプロンを買って、店員さんは忙しそうだからラッピングも頼めなくて、百貨店の紙袋を手に会計を離れた。
先ほど私を案内してくれた「王子」がいたあたりにさしかかったとき、ちょうど客に品物を渡して一礼するモデルのような後ろ姿が見える。
あ、王子、いた。
すっかり心の中での呼び名が王子なので、なんとなく申し訳ない。年齢的に勝くんと同じくらいだろうから、共通の話題にもなり得るかと、勇気を振り絞って声をかけることにした。
「あの、さっきはありがとうございました」
言うと、まばたきをしてから微笑む。
「お気に召すものが見つかりましたか?」
「あっ、えと……はい」
「それはよろしゅうございました」
普段聞き慣れないが、あまりに違和感のない言葉使いに驚く。さすが王子。
あ、いや、王子じゃなくて。ええと。
顔と胸元のバッヂを交互に見やる。名前は……広瀬さん。
王子、もとい広瀬さんは不思議そうに私を見て、首を傾げた後微笑んだ。
ジャケットの内ポケットから名刺入れを出し、一枚私に差し出す。
「マルヤマ百貨店の広瀬と申します。またご用の際にはどうぞ、お気軽にお声がけくださいませ」
長くて細い指と白い名刺。手のケアとかしてるのかしら、ってくらいに綺麗な手だ。
私はどきまぎしながら、「す、すみません」と言って名刺を受け取った。つい仕事の癖で名刺を取り出そうと懐をまさぐり、持ち合わせがないことに気づくと同時に、こういう場合は不要だと気づいた。
思わず赤面した私に、広瀬さんはふっと微笑む。
不意に、広瀬さんの後方に長身のスーツ姿が現れた。はっと我に返り、袋を抱えて一歩後ろに下がる。
「あっ、あっ、あの、ありがとうございました! ま、また来ます!」
言って駆け出した私の後ろで、広瀬さんが「お待ちしております」と頭を下げたのが分かった。最後の一言は余計だったかも、と思ったところで、店内を走るのはマナー違反だと気づき、早足に切り替える。
びっくりした。まさかほんとに、勝くんを見かけるなんて思わなかった。
目は合わなかったから、多分私が来てるって分からなかったはず。
ペアのエプロンを買ったなんてバレたら恥ずかしくて仕方ない。
エスカレーターで一階へ降りながら、私は安堵のため息をつく。
と、同時に少し残念にも思えた。
せっかくなら、ゆっくり見たかったな。勝くんのお仕事姿。
勝くんも、広瀬さんみたいににこりと笑って、言うのだろうか。「ご案内いたします」とか「よろしゅうございました」とか、「またのご来店お待ちしております」とか。
……見なくてよかった、かも。
見てしまったら、ますますときめいて大変だったような気がする。
家を出て駅へ向かう途中で、ふと思う。
このままでは、年末年始らしいことは何も用意せずに終わってしまう。私はともかく、勝くんにはせめて気分だけでも正月を味わってもらいたい。忙しい中で1年の節目を楽しめないなんてかわいそうだ。
実家に帰れば、きっとご家庭で用意したお節も出てきたことだろう。料理初心者の私には当然作れないから、出来合いのものでも買ってこよう。
ならば、勝くんの勤め先である百貨店で、売上に貢献しよう。
そうだ、それがいい。
……もしかしたらたまたま偶然、仕事中の勝くんも見られるかもしれないし。
……いや、別にそれが目的じゃないよ。違うよ。目的は売上に貢献することだよ。ほんとだよ。
そうと決まれば足取りも軽く、勝くんの勤め先であるマルヤマ百貨店へ向かった。
* * *
来てみてびっくり。勝くんが忙しいと言っていたので想像はついていたのだが、年末年始に百貨店に足を運んだことなんかない私はア然とした。
地下の食品売場は人であふれかえっていて、進むことすらままならない。
見たところ、来店の目的はおおかた同じだ。予約したお節を受け取る人、予約してないけどお節を求める人。
他には、華やかに年末年始を過ごそうというのだろう、お寿司やパーティ惣菜を求める人。
隙間をかい潜るようにどうにかお節らしいおかずを求め、それを袋に入れていくエプロン姿の男性店員を見て、ふと思った。
エプロン。
朝の勝くんのエプロン姿。
シンプルなデザインだから男性がつけても変ではないけど、私のエプロンではさすがに寸足らずだった。
「こちらがお品ものです。ありがとうございました」
「あ、ありがとうございます」
差し出された袋を手にして、また人込みをかい潜る。
たどり着いたエスカレーターで、階案内を見やった。
……男性用のエプロン……
生活用品売場……かな。
私は1階をスルーして、8階生活用品売場へと昇って行った。
* * *
戦争状態なのは食品売場だけかと思っていたけど、8階もなかなかのものだった。
通路自体が広めだから多少マシとはいえ、迷ってうろうろしていたらそれだけで消耗してしまいそうだ。
まだ日用品の買い足しも残っている。さすがにトイレットペーパーやら何やらはいつものスーパーで買うつもりだから、そこまで体力を残しておく方がいいだろう。
そう思うや、近くにいた店員さんに声をかけた。
「あの、すみません」
何も考えずに、近くで商品を整えていた男性店員に声をかけると、こちらを向いた顔を見てちょっと驚いた。
切れ長で涼やかな印象の二重の目。通った鼻筋に小さい顎。9等身くらいありそうなくらい、顔が小さい。
王子だ、王子。マルヤマ百貨店の王子。
ついマジマジ見てしまった不躾にも動揺せず、店員さんは穏やかな微笑みで応じた。
「なにかお探しですか?」
滑らかな言葉に、とりあえずこくこく頷く。
「あの……エプロンを……男性用の」
「こちらです。ご案内いたします」
忙しい最中だろうに、店員さんは私の前を歩き出した。行き違う客に「いらっしゃいませ」と声をかけるスーツの背中についていく。
漂った控えめな香水は、爽やかな柑橘系だった。そういえば、勝くんはちょっと甘やかな香水を使っているみたい。それぞれよく似合っていて、香水もファッションなんだなぁと改めて思う。
香水なんてつけるような生活、今までしたことなんてなかった。
せいぜい一時期、シャンプーとかのヘアケアの香料をあれこれ試したくらいだ。それも、いつだったか勝くんから「いい匂いだね」と言われてから、違う香りに挑戦する気も失せてそのまま。
我ながら、すっかり枯れている……
「こちらです」
店員さんが立ち止まってにこやかに振り返る。私は我に返って微笑んだ。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、「お買い物をお楽しみくださいませ」と爽やかな笑顔で去って行った。
その途中、また客に声をかけられて応対している。
大変だなぁ。年の瀬なのに。
いや、年の瀬だから、大変なのかぁ。
私は思いながら、エプロンを手にした。
そこでふと、気づく。
……これ、なんか勘違いされたりするかな。
彼氏扱いされてキモい、とか。
家事やれってことか、とか。
思ってふと手を止めるが、勝くんの優しい笑顔を思い出して首を振る。
そんなこと、勝くんは言わないだろう。
きっと。多分。
……喜んでくれるかは、わかんないけど、とりあえず私のエプロンを使うよりはいいに違いない。
たとえこの年末年始だけだとしても。
ちょっと切なくなって、ため息をつく。
冗談で言ってみようか。
このまま一緒に住まない? って。
でも、それってどちらにしろ、私が辛いだけかも。
「いいよ」なんて言われて、姉貴分としてルームシェアを続けるにしても、「なに言ってるの」と一笑されて終わるのも。
……切なーい……
思いながらエプロンを手にする。青いチェック柄。爽やかな感じがして、勝くんに似合いそう。
勝くんが身につけたところを想像して悦に入っていると、年かさの女性店員さんから、声をかけられた。
「そちらのメーカーですと、女性用のピンクもありますよ。ペアでいかがですか?」
「えっ、あっ、う……」
要りません。
とは、言い切れず、
「……どれですか?」
蚊の鳴くような声で聞きながら、欲望に忠実すぎる自分の哀しさに、心中で泣いたのだった。
* * *
30分ほど悩んだ挙げ句、まんまとペア(っぽい)エプロンを買って、店員さんは忙しそうだからラッピングも頼めなくて、百貨店の紙袋を手に会計を離れた。
先ほど私を案内してくれた「王子」がいたあたりにさしかかったとき、ちょうど客に品物を渡して一礼するモデルのような後ろ姿が見える。
あ、王子、いた。
すっかり心の中での呼び名が王子なので、なんとなく申し訳ない。年齢的に勝くんと同じくらいだろうから、共通の話題にもなり得るかと、勇気を振り絞って声をかけることにした。
「あの、さっきはありがとうございました」
言うと、まばたきをしてから微笑む。
「お気に召すものが見つかりましたか?」
「あっ、えと……はい」
「それはよろしゅうございました」
普段聞き慣れないが、あまりに違和感のない言葉使いに驚く。さすが王子。
あ、いや、王子じゃなくて。ええと。
顔と胸元のバッヂを交互に見やる。名前は……広瀬さん。
王子、もとい広瀬さんは不思議そうに私を見て、首を傾げた後微笑んだ。
ジャケットの内ポケットから名刺入れを出し、一枚私に差し出す。
「マルヤマ百貨店の広瀬と申します。またご用の際にはどうぞ、お気軽にお声がけくださいませ」
長くて細い指と白い名刺。手のケアとかしてるのかしら、ってくらいに綺麗な手だ。
私はどきまぎしながら、「す、すみません」と言って名刺を受け取った。つい仕事の癖で名刺を取り出そうと懐をまさぐり、持ち合わせがないことに気づくと同時に、こういう場合は不要だと気づいた。
思わず赤面した私に、広瀬さんはふっと微笑む。
不意に、広瀬さんの後方に長身のスーツ姿が現れた。はっと我に返り、袋を抱えて一歩後ろに下がる。
「あっ、あっ、あの、ありがとうございました! ま、また来ます!」
言って駆け出した私の後ろで、広瀬さんが「お待ちしております」と頭を下げたのが分かった。最後の一言は余計だったかも、と思ったところで、店内を走るのはマナー違反だと気づき、早足に切り替える。
びっくりした。まさかほんとに、勝くんを見かけるなんて思わなかった。
目は合わなかったから、多分私が来てるって分からなかったはず。
ペアのエプロンを買ったなんてバレたら恥ずかしくて仕方ない。
エスカレーターで一階へ降りながら、私は安堵のため息をつく。
と、同時に少し残念にも思えた。
せっかくなら、ゆっくり見たかったな。勝くんのお仕事姿。
勝くんも、広瀬さんみたいににこりと笑って、言うのだろうか。「ご案内いたします」とか「よろしゅうございました」とか、「またのご来店お待ちしております」とか。
……見なくてよかった、かも。
見てしまったら、ますますときめいて大変だったような気がする。
0
お気に入りに追加
193
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる