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近くのカフェは人が多くて席が空いていなかった。どうする、と言われ、テイクアウトしようか、と答えると、頷いた克己と列に並ぶ。
それぞれカフェオレとブレンドコーヒーを手に、店を出た。
「さっき、公園あった」
玲子は言いながらずんずん歩いて行く。その後ろを克己がついて来る。
「そんなキレイ目な格好で、公園行くの」
パンプスにコクーンスカート。確かにキレイ目、かもしれない。だが、玲子は笑った。
「その表現、どこで覚えたの」
「キレイ目、ってやつ? 学生が、事務員の服見て言ってた」
玲子は笑う。なるほど、と返して、遠慮なく公園の敷地へ足を踏み入れた。見た目と実用性の妥協点たる五センチヒールが、コンクリートではない地面にわずかに沈み込む感じを覚えつつ、玲子はそれでも公園のベンチまで進んだ。
日中、天気がよかったこともあって、寒くも暑くもない、ちょうどいい気温だ。
こういう気候については、五月は悪くないーーと思う。
ベンチまで来た玲子は、鞄から出したハンカチーフを広げて椅子に座った。その横に克己が座り、長い足を組む。
「相変わらず、ハンカチ二枚持ち歩いてんの?」
「え? うん」
玲子は克己に買ってもらったブレンドコーヒーの香りを楽しみながら頷いた。手を拭くためのタオルハンカチと、食事中膝上に広げる薄手のハンカチーフ。常に二枚を持ち歩くのが女の嗜みよ、と小さいときに祖母に言われて、そんな女に憧れた玲子は、大学入学以降、それを習慣にしている。
克己は柔らかく微笑んだ。それが愛しいものを見るような目に感じて、玲子は戸惑う。
「あのさぁ」
克己は気恥ずかしそうに話し始めた。
「覚えてる? 俺ら、一度だけキスしたじゃん」
「ーーへ?」
思わぬ言葉に、玲子は怪訝な顔で振り向いた。克己は笑う。
「なんだ、覚えてないんだ」
「いや、えーーえぇ?」
記憶を探るが思い浮かばない。克己はわざとらしく情けない笑顔で肩をすくめて見せた。
「なんだ、俺にとっては結構、思い出深いのに。玲子は覚えてないか」
「えーーええと」
克己とは、ゼミ生で飲んで雑魚寝したり、二人で飲んでカラオケで夜を明かしたり、確かに数度、夜を過ごした。
「覚えてて公園来たのかと思って、ちょっとドキッとしたのに」
公園ーー
「あ」
玲子は声を上げた。克己がいたずらっぽい顔で、思い出した? と顔を覗き込んで来る。玲子は手を振った。
「いや、キスしたのは覚えてないけど。公園って、もしかしてあのとき? 克己の二十歳の誕生日ーー」
克己はくしゃりと笑った。それが学生時代の青年のそれを思い出させて、また玲子は戸惑う。
「あのときさ、俺、初めてでもないのにすげぇ緊張しちゃってさ。玲子に笑われたの覚えてる」
玲子は気まずさに目をそらした。キスも覚えてないのだから、当然、その前後の記憶などない。
「キスがあんなに嬉しかったの、初めてだった」
もうやめてよ、と言おうとして、克己の穏やかな目にぶつかった。玲子は目をそらすこともできず、克己の目を見つめ続ける。
先に笑って目をそらしたのは、克己の方だった。
「はは。危ない危ない」
玲子は怪訝に眉を寄せながら、気を取り直してコーヒーを口に含む。心中の焦りを悟れらないように、慎重に。
「妻の妊娠中に過ちなんて、昼ドラのネタみたいだ」
克己は笑いながらカフェオレを口にし、熱ち、と呟く。
その横顔をちらりと見て、玲子は顔をそらした。
「訳わかんない」
克己は笑う。
「だよな。ごめん。俺も訳わかんない」
組んだ足をほどいて膝上に肘を置き、前屈みになりながら、ホットカフェオレの入ったカップを両手で撫でた。
「あのとき、告白してたら、どうなったのかな」
克己は独り言のように、小さく言った。
「……時々、思うんだよね。飲んだ酒が旨いときとか、気分よく酔ったときとか」
学生時代、楽しい酒を飲んだときには、大概そこに克己がいた。
(克己も、同じか)
並んだときの居心地の良さを忘れられないのは、自分一人ではないと気づき、わずかに安堵した。
「何もなかったから、今でもこうして気楽に飲めるんじゃない」
ほとんど自分に言い聞かせるように、玲子は言った。
「それに、きっと、克己と私は結婚までは行かなかったよ」
「何で?」
「だって――」
玲子は笑った。
「私はずっと働き続けたいし」
克己は軽やかな声をあげて笑った。
「玲子らしいや」
カフェオレを慎重に口にすると、猫舌な克己にも飲める程度に冷めていたらしい。ほっと息をついて飲み始めた。
その横で玲子もコーヒーを口にした。少し冷めたからか、それは一口目よりも苦みを感じなかった。
甘い話には苦めのコーヒーをーー
(切ない話にも、コーヒーは合うみたいね)
心中で、今は隣にいない後輩へ呟いた。
それぞれカフェオレとブレンドコーヒーを手に、店を出た。
「さっき、公園あった」
玲子は言いながらずんずん歩いて行く。その後ろを克己がついて来る。
「そんなキレイ目な格好で、公園行くの」
パンプスにコクーンスカート。確かにキレイ目、かもしれない。だが、玲子は笑った。
「その表現、どこで覚えたの」
「キレイ目、ってやつ? 学生が、事務員の服見て言ってた」
玲子は笑う。なるほど、と返して、遠慮なく公園の敷地へ足を踏み入れた。見た目と実用性の妥協点たる五センチヒールが、コンクリートではない地面にわずかに沈み込む感じを覚えつつ、玲子はそれでも公園のベンチまで進んだ。
日中、天気がよかったこともあって、寒くも暑くもない、ちょうどいい気温だ。
こういう気候については、五月は悪くないーーと思う。
ベンチまで来た玲子は、鞄から出したハンカチーフを広げて椅子に座った。その横に克己が座り、長い足を組む。
「相変わらず、ハンカチ二枚持ち歩いてんの?」
「え? うん」
玲子は克己に買ってもらったブレンドコーヒーの香りを楽しみながら頷いた。手を拭くためのタオルハンカチと、食事中膝上に広げる薄手のハンカチーフ。常に二枚を持ち歩くのが女の嗜みよ、と小さいときに祖母に言われて、そんな女に憧れた玲子は、大学入学以降、それを習慣にしている。
克己は柔らかく微笑んだ。それが愛しいものを見るような目に感じて、玲子は戸惑う。
「あのさぁ」
克己は気恥ずかしそうに話し始めた。
「覚えてる? 俺ら、一度だけキスしたじゃん」
「ーーへ?」
思わぬ言葉に、玲子は怪訝な顔で振り向いた。克己は笑う。
「なんだ、覚えてないんだ」
「いや、えーーえぇ?」
記憶を探るが思い浮かばない。克己はわざとらしく情けない笑顔で肩をすくめて見せた。
「なんだ、俺にとっては結構、思い出深いのに。玲子は覚えてないか」
「えーーええと」
克己とは、ゼミ生で飲んで雑魚寝したり、二人で飲んでカラオケで夜を明かしたり、確かに数度、夜を過ごした。
「覚えてて公園来たのかと思って、ちょっとドキッとしたのに」
公園ーー
「あ」
玲子は声を上げた。克己がいたずらっぽい顔で、思い出した? と顔を覗き込んで来る。玲子は手を振った。
「いや、キスしたのは覚えてないけど。公園って、もしかしてあのとき? 克己の二十歳の誕生日ーー」
克己はくしゃりと笑った。それが学生時代の青年のそれを思い出させて、また玲子は戸惑う。
「あのときさ、俺、初めてでもないのにすげぇ緊張しちゃってさ。玲子に笑われたの覚えてる」
玲子は気まずさに目をそらした。キスも覚えてないのだから、当然、その前後の記憶などない。
「キスがあんなに嬉しかったの、初めてだった」
もうやめてよ、と言おうとして、克己の穏やかな目にぶつかった。玲子は目をそらすこともできず、克己の目を見つめ続ける。
先に笑って目をそらしたのは、克己の方だった。
「はは。危ない危ない」
玲子は怪訝に眉を寄せながら、気を取り直してコーヒーを口に含む。心中の焦りを悟れらないように、慎重に。
「妻の妊娠中に過ちなんて、昼ドラのネタみたいだ」
克己は笑いながらカフェオレを口にし、熱ち、と呟く。
その横顔をちらりと見て、玲子は顔をそらした。
「訳わかんない」
克己は笑う。
「だよな。ごめん。俺も訳わかんない」
組んだ足をほどいて膝上に肘を置き、前屈みになりながら、ホットカフェオレの入ったカップを両手で撫でた。
「あのとき、告白してたら、どうなったのかな」
克己は独り言のように、小さく言った。
「……時々、思うんだよね。飲んだ酒が旨いときとか、気分よく酔ったときとか」
学生時代、楽しい酒を飲んだときには、大概そこに克己がいた。
(克己も、同じか)
並んだときの居心地の良さを忘れられないのは、自分一人ではないと気づき、わずかに安堵した。
「何もなかったから、今でもこうして気楽に飲めるんじゃない」
ほとんど自分に言い聞かせるように、玲子は言った。
「それに、きっと、克己と私は結婚までは行かなかったよ」
「何で?」
「だって――」
玲子は笑った。
「私はずっと働き続けたいし」
克己は軽やかな声をあげて笑った。
「玲子らしいや」
カフェオレを慎重に口にすると、猫舌な克己にも飲める程度に冷めていたらしい。ほっと息をついて飲み始めた。
その横で玲子もコーヒーを口にした。少し冷めたからか、それは一口目よりも苦みを感じなかった。
甘い話には苦めのコーヒーをーー
(切ない話にも、コーヒーは合うみたいね)
心中で、今は隣にいない後輩へ呟いた。
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