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玲子は一度家に帰宅し、どうにか身支度を整えて始業前に出社した。
シャワーを浴びてきたからか、身体の感じがいつもと違う。二児の母たる先輩の水城八重子が、玲子を見るなり首を傾げた。
「玲ちゃん、今日はなんだかさっぱりしてるわね」
そう言う彼女は講師陣のチーフ役だ。部下育成や親子関係、子育てなどの講義を得意としている。さすがに目ざといと思いつつ、玲子は作り笑いを浮かべた。
「そ、そうですかねぇ」
曖昧に返していると、おはようございます、とワントーン高めの椿希の声がかかる。
「おはよう」
玲子はできるだけ平静を装ったが、逆に小難しい顔になった。
「あれ。石田くん、失敗したの?」
面白そうな笑顔で言うのは西島だ。二人で出かけたところを見られたので何か言われるかとは思っていたが、玲子は思わず目を反らす。
「どうでしょう。これから巻き返しますから、見ててください」
「あら、なぁに。聞いてないわよ」
「えーと。今日、多田野さんと原田くんは」
「多田野さんは午前中打ち合わせ、原田くんは勉強会でお休みです」
残りの講師二人の予定を答えたのは事務の野庭。玲子よりも片手分ほど年上で、仕事はできるが噂話が大好きな女性だ。
「私、前々から石田くん応援してるのよ。がーんばれ」
節をつけて拳を握る野庭に、椿希も同じく拳を握って見せる。
玲子はその様子に嘆息した。
(何よそれ)
つまり、椿希の想いは前々から周囲に伝えてあり、根回し済みだったということだ。
(本気で転職考えないといけないかなぁ)
やっぱり五月は鬼門だわ、と思いながら、玲子はデスクに向かった。
昼食前、デスクの電話が鳴ったので、玲子が取った。会社の代表番号は事務担当の方にかかるが、講師陣はクライアントとやりとりできるように別回線の電話が置いてある。
社名と名前を名乗ると、あ、と返ってきた声に聞き覚えがあった。
『うわ、玲子じゃん。久しぶり。白石学園の小林です』
気さくな声に、ずきり、と胸が痛む。玲子は笑顔を取り繕った。
「ええと。小林さん、ご無沙汰してます」
呼ばれた名前を耳にして、椿希が睨みつけるような視線を送って来た。当然、そんなことは露知らぬ克己は笑う。
『何だよその他人行儀な感じ。やめろよ』
玲子も乾いた笑いを返した。
「ええと、石田でしょ。お待ちください」
『え、ちょっとちょっと。冷たくない?』
「そんなつもりは。私、明日の準備をしてるところで」
『そう?ーーなんか寂しいなぁ』
しみじみ言われて、また玲子の胸がずきりと痛む。
(そういう言葉、さらっと言わないでほしい)
大した重みがないからこそ、何の気なく口にできるのだろう。玲子にしてみたら、克己に寂しい、という言葉などーー到底、言えそうにない。
「白石学園からですか?代わります」
にこり、と笑顔の椿希が玲子に声をかけた。玲子が頷き、
「今、石田と代わるから」
『ああ、うん。また連絡する』
「はっ?連絡?」
『うん。飲みに行こうよ。何だかんだ言って、昨年飲みに行ってないし』
のんびり話す克己の声を聞いている間も、椿希の笑顔が玲子をジリジリと圧迫している。玲子は変な汗が背を伝うのを感じつつ、
「う、うん、そうね。とりあえず代わるね」
椿希に受話器を渡した。椿希は完全に据わった目のままにっこりと玲子に笑ったが、受話器を耳に当てるときにはもうビジネスモードに切り替わっている。
(む、無駄に消耗した……)
玲子は静かに息を吐き出した。
シャワーを浴びてきたからか、身体の感じがいつもと違う。二児の母たる先輩の水城八重子が、玲子を見るなり首を傾げた。
「玲ちゃん、今日はなんだかさっぱりしてるわね」
そう言う彼女は講師陣のチーフ役だ。部下育成や親子関係、子育てなどの講義を得意としている。さすがに目ざといと思いつつ、玲子は作り笑いを浮かべた。
「そ、そうですかねぇ」
曖昧に返していると、おはようございます、とワントーン高めの椿希の声がかかる。
「おはよう」
玲子はできるだけ平静を装ったが、逆に小難しい顔になった。
「あれ。石田くん、失敗したの?」
面白そうな笑顔で言うのは西島だ。二人で出かけたところを見られたので何か言われるかとは思っていたが、玲子は思わず目を反らす。
「どうでしょう。これから巻き返しますから、見ててください」
「あら、なぁに。聞いてないわよ」
「えーと。今日、多田野さんと原田くんは」
「多田野さんは午前中打ち合わせ、原田くんは勉強会でお休みです」
残りの講師二人の予定を答えたのは事務の野庭。玲子よりも片手分ほど年上で、仕事はできるが噂話が大好きな女性だ。
「私、前々から石田くん応援してるのよ。がーんばれ」
節をつけて拳を握る野庭に、椿希も同じく拳を握って見せる。
玲子はその様子に嘆息した。
(何よそれ)
つまり、椿希の想いは前々から周囲に伝えてあり、根回し済みだったということだ。
(本気で転職考えないといけないかなぁ)
やっぱり五月は鬼門だわ、と思いながら、玲子はデスクに向かった。
昼食前、デスクの電話が鳴ったので、玲子が取った。会社の代表番号は事務担当の方にかかるが、講師陣はクライアントとやりとりできるように別回線の電話が置いてある。
社名と名前を名乗ると、あ、と返ってきた声に聞き覚えがあった。
『うわ、玲子じゃん。久しぶり。白石学園の小林です』
気さくな声に、ずきり、と胸が痛む。玲子は笑顔を取り繕った。
「ええと。小林さん、ご無沙汰してます」
呼ばれた名前を耳にして、椿希が睨みつけるような視線を送って来た。当然、そんなことは露知らぬ克己は笑う。
『何だよその他人行儀な感じ。やめろよ』
玲子も乾いた笑いを返した。
「ええと、石田でしょ。お待ちください」
『え、ちょっとちょっと。冷たくない?』
「そんなつもりは。私、明日の準備をしてるところで」
『そう?ーーなんか寂しいなぁ』
しみじみ言われて、また玲子の胸がずきりと痛む。
(そういう言葉、さらっと言わないでほしい)
大した重みがないからこそ、何の気なく口にできるのだろう。玲子にしてみたら、克己に寂しい、という言葉などーー到底、言えそうにない。
「白石学園からですか?代わります」
にこり、と笑顔の椿希が玲子に声をかけた。玲子が頷き、
「今、石田と代わるから」
『ああ、うん。また連絡する』
「はっ?連絡?」
『うん。飲みに行こうよ。何だかんだ言って、昨年飲みに行ってないし』
のんびり話す克己の声を聞いている間も、椿希の笑顔が玲子をジリジリと圧迫している。玲子は変な汗が背を伝うのを感じつつ、
「う、うん、そうね。とりあえず代わるね」
椿希に受話器を渡した。椿希は完全に据わった目のままにっこりと玲子に笑ったが、受話器を耳に当てるときにはもうビジネスモードに切り替わっている。
(む、無駄に消耗した……)
玲子は静かに息を吐き出した。
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