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椿希の家に向かって夜道を歩いていると、パンプスのかかとが地面の割れ目に入りこんだらしい。酔いも合わさってふらりと揺れた玲子を、さりげなく椿希が支える。
「玲子さん。手、繋ぎましょうか」
穏やかな笑顔で言われて、玲子は頷くことも拒否することもできず、せめてもの抵抗にやんわりと腕を押し返した。
「大丈夫よ。そんなに酔ってない」
「本当かなぁ」
くすくすと笑う椿希の声は、いつもよりやや低い。ビジネスでは明るく聞こえるよう、少し高めのトーンで話しているのだろう。そう察しはついたが、わずかに低めの声が好みの玲子にとって、この声はまずいと直感した。この酔った頭にーー耳元に、直接響いて来たとしたら、自分はそれを拒否できるのだろうか。
(でも、もうここまで来ちゃってるしなぁ)
特段、断る理由も浮かばなかった、というだけの理由だ。ついでに、ビジネススキルを総動員した計算ずくの接待だったとしても、椿希との食事で浮き立つ気持ちになったのは確か。
(もう、守るものもないっちゃないし)
椿希の本心はよく分からないが、彼のことだ、わざわざ職場の先輩を誘ってワンナイトラブを楽しもうなどと危険なことを思っている訳ではないだろう。せいぜい考えられるのはーーまあ、ライバルを一人駆逐する策というくらいか。
(それならそれで、いいかぁ)
転職するにもそろそろリミットが近い。自営に踏み切る勇気が出ない以上、違う仕事についてみるのも悪くないと、半ば自棄気味に思いつつある。
「ねえ、玲子さん」
ぼんやりさまよっていた玲子の思考は、穏やかな椿希の声で遮られた。
顔を上げると、切れ長の目がそこにある。
「手、繋いでもいいですか?」
丁寧に手を差しのべられ、今度こそ断りきれなかった。
「勝手にすれば」
玲子の強がりに、椿希は笑う。
「じゃあ、勝手にさせてもらいます」
椿希は言って、玲子の手を取った。
その繋ぎ方は、遠足に行くときのようなそれで、恋人繋ぎ、というものではない。しかも、振り払えば呆気なく解けそうな強さだ。
(無理強いする気はない、ってことね)
先ほどの勝ち誇ったような椿希の台詞を思い出す。何故あんなに勝算ありげな声音だったのだろう、と思いながら、長い指に指を絡めてみる。
椿希は驚いたように玲子を振り返った。玲子はツンとした表情のまま、椿希の手をぎゅっと握る。
椿希は頬を染め、わずかに口元を歪めてから、綻ぶように笑った。
笑ってーー玲子から顔を背け、片手で口元を覆う。
「ーー何よ」
「いや……やっべぇ」
口調が素になっている。
「玲子さん、可愛すぎる」
今度は玲子が赤面する番だった。慌てて指を開き、手を離そうとする。
「も、もうやめた」
「何でですか。奢ったお礼だと思っときます。手繋いで歩いてくれるなら、あれくらい安いもんだ」
そうは言うが、飲んだワインは結構いいものだったように記憶している。簡単に済ませたとは言えない額になったのではと玲子は思っていた。
(酔った勢いーーって、言えるようにしてくれてるのかしら)
思考はいつもよりも曖昧でふわふわと頼りない。それすら椿希の配慮なのか、それとも計算なのかは分からないが、ほとんどなるようになれ、と思う自分がいた。
「ねえ、石田くん」
「何ですか」
椿希と呼べとは言われず、ほっとする。
呼びかけておいてから、玲子は言葉を探した。
「ーー私、面倒くさい女よ」
(よりによって、そんなこと)
自分で笑いそうになる。が、その前に椿希の穏やかな笑顔が返ってきた。
「いいですよ。面倒くさくても」
それを見て、玲子の鎧は呆気なく崩れた。
(ああ、もういいや。ほんと。今日はーー)
どうとでもなれ。
見上げた空に、月だけがぽっかりと輝いていた。
「玲子さん。手、繋ぎましょうか」
穏やかな笑顔で言われて、玲子は頷くことも拒否することもできず、せめてもの抵抗にやんわりと腕を押し返した。
「大丈夫よ。そんなに酔ってない」
「本当かなぁ」
くすくすと笑う椿希の声は、いつもよりやや低い。ビジネスでは明るく聞こえるよう、少し高めのトーンで話しているのだろう。そう察しはついたが、わずかに低めの声が好みの玲子にとって、この声はまずいと直感した。この酔った頭にーー耳元に、直接響いて来たとしたら、自分はそれを拒否できるのだろうか。
(でも、もうここまで来ちゃってるしなぁ)
特段、断る理由も浮かばなかった、というだけの理由だ。ついでに、ビジネススキルを総動員した計算ずくの接待だったとしても、椿希との食事で浮き立つ気持ちになったのは確か。
(もう、守るものもないっちゃないし)
椿希の本心はよく分からないが、彼のことだ、わざわざ職場の先輩を誘ってワンナイトラブを楽しもうなどと危険なことを思っている訳ではないだろう。せいぜい考えられるのはーーまあ、ライバルを一人駆逐する策というくらいか。
(それならそれで、いいかぁ)
転職するにもそろそろリミットが近い。自営に踏み切る勇気が出ない以上、違う仕事についてみるのも悪くないと、半ば自棄気味に思いつつある。
「ねえ、玲子さん」
ぼんやりさまよっていた玲子の思考は、穏やかな椿希の声で遮られた。
顔を上げると、切れ長の目がそこにある。
「手、繋いでもいいですか?」
丁寧に手を差しのべられ、今度こそ断りきれなかった。
「勝手にすれば」
玲子の強がりに、椿希は笑う。
「じゃあ、勝手にさせてもらいます」
椿希は言って、玲子の手を取った。
その繋ぎ方は、遠足に行くときのようなそれで、恋人繋ぎ、というものではない。しかも、振り払えば呆気なく解けそうな強さだ。
(無理強いする気はない、ってことね)
先ほどの勝ち誇ったような椿希の台詞を思い出す。何故あんなに勝算ありげな声音だったのだろう、と思いながら、長い指に指を絡めてみる。
椿希は驚いたように玲子を振り返った。玲子はツンとした表情のまま、椿希の手をぎゅっと握る。
椿希は頬を染め、わずかに口元を歪めてから、綻ぶように笑った。
笑ってーー玲子から顔を背け、片手で口元を覆う。
「ーー何よ」
「いや……やっべぇ」
口調が素になっている。
「玲子さん、可愛すぎる」
今度は玲子が赤面する番だった。慌てて指を開き、手を離そうとする。
「も、もうやめた」
「何でですか。奢ったお礼だと思っときます。手繋いで歩いてくれるなら、あれくらい安いもんだ」
そうは言うが、飲んだワインは結構いいものだったように記憶している。簡単に済ませたとは言えない額になったのではと玲子は思っていた。
(酔った勢いーーって、言えるようにしてくれてるのかしら)
思考はいつもよりも曖昧でふわふわと頼りない。それすら椿希の配慮なのか、それとも計算なのかは分からないが、ほとんどなるようになれ、と思う自分がいた。
「ねえ、石田くん」
「何ですか」
椿希と呼べとは言われず、ほっとする。
呼びかけておいてから、玲子は言葉を探した。
「ーー私、面倒くさい女よ」
(よりによって、そんなこと)
自分で笑いそうになる。が、その前に椿希の穏やかな笑顔が返ってきた。
「いいですよ。面倒くさくても」
それを見て、玲子の鎧は呆気なく崩れた。
(ああ、もういいや。ほんと。今日はーー)
どうとでもなれ。
見上げた空に、月だけがぽっかりと輝いていた。
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