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玲子と椿希はレストランバーに入ることにした。
椅子を引いてエスコートすらする椿希に、玲子は内心の緊張を押し隠して何食わぬ顔を装う。
「飲み物どうします?スパーリングワインもありますよ」
「じゃあそれ貰おうかな」
「食べられないものとか、ないですよね」
さも知った風な口調に、玲子はわずかに眉を寄せながらも頷く。
「……特には」
椿希はにこりとして、店員に前菜の盛り合わせとスパーリングワインを頼んだ。
(どういうつもり?)
てっきり弱みを握ろうとしているとばかり思っていたが、どうもそうではないらしいと気づく。椿希はテーブルにひじをつき、顎の下で長い指を組んで玲子を見つめた。
その目に甘さと熱を感じて戸惑う。
二人の間に降りた沈黙は、今まで経験したことがない。相応の話術を備えている椿希は、いつでも卓を共にする人を和ませる気遣いを忘れない男だ。しかし今日はそうではないらしい――それが玲子を困惑させた。
「……ねえ」
「……ああ、すみません」
玲子が声をかけると、椿希は我に返って照れくさそうに微笑んだ。
「嬉しくて、つい」
その微笑みに、初対面の頃の初々しさを見て、玲子の心中を動揺が走る。
(何よ、もう)
調子が狂う。
玲子は頑なに平静を装いながら、店員が持ってきたスパークリングワインを受け取った。
「お疲れさまです」
「お疲れ」
チン、と軽くグラスが触れ合う。
椿希は静かにグラスを傾けた。玲子もそれに倣うーーその間すら熱い視線を感じて、すっかり相手に飲まれつつあることに玲子は気づいた。
グラスを口から外し、一息つくと、改めて気合いを入れ直す。
「石田くん」
「椿希」
「ーーは?」
低い声音が静かに返して来たのは、当然彼のファーストネームだ。思い切り眉を寄せた玲子に、椿希は静かに口を開いた。
「椿希、って呼んでくれないと、嫌です」
答える目は弓なりに細められ、笑っている。
(訳わかんない)
「何でそんなふうに呼ばないといけないわけ?」
「だぁって。採用前の学生、期待させといて。五年もお預けなんて、ひどくないですか」
ひどくないですか、ではない。直接的な誘いをしなかったーーいや、したのかもしれないが、少なくとも玲子の記憶にはないーー彼が悪い。
と、心中言い訳をしてから、椿希に向き合う。
「あのねぇ。今日、なんか変よ」
「そうですね。ーー余裕がないからかも」
言いながら椿希は嘆息して頬杖をついた。左手首につけたシルバーの腕時計が店のダウンライトを反射し、玲子のグラスの縁を光らせる。
「玲子さんの想い人に会っちゃったから」
「ち、違っーーだから、それは」
玲子の反応に、椿希は楽しげに笑った。
「その話をするつもりだったんじゃないんですか?」
「そうだけどーーでも、想い人っていうのは、違う」
そう。違う、と否定しようと思って、今日の夕飯に同行しているのだ。
「じゃ、ゆっくり聞きましょうか。どうぞ、お話ください?」
椿希は身体を起こしてゆったりと腰掛け、促すように手をさしのべた。さながら面接官のような物腰に、玲子は内心舌打ちする。
「偉そうに」
「ははは」
様々なコミュニケーションスキルを、理論で学んでいる男である。尚且つ、それが自然と振る舞えるように、努力を惜しまぬ男でもある。
しかし、仕事用のそのスキルをーー
(こういうときに、使うなっつーの!)
自分が審判だったら反則退場を申し付けるところだ。しかし、ここで負けては女がすたるーーいや、その前に、先輩としての沽券に関わる。
(何考えてるかわかんないけど、絶対、陥落されないんだから)
玲子は目力を込めて、椿希の余裕ありげな微笑を睨みつけた。
椅子を引いてエスコートすらする椿希に、玲子は内心の緊張を押し隠して何食わぬ顔を装う。
「飲み物どうします?スパーリングワインもありますよ」
「じゃあそれ貰おうかな」
「食べられないものとか、ないですよね」
さも知った風な口調に、玲子はわずかに眉を寄せながらも頷く。
「……特には」
椿希はにこりとして、店員に前菜の盛り合わせとスパーリングワインを頼んだ。
(どういうつもり?)
てっきり弱みを握ろうとしているとばかり思っていたが、どうもそうではないらしいと気づく。椿希はテーブルにひじをつき、顎の下で長い指を組んで玲子を見つめた。
その目に甘さと熱を感じて戸惑う。
二人の間に降りた沈黙は、今まで経験したことがない。相応の話術を備えている椿希は、いつでも卓を共にする人を和ませる気遣いを忘れない男だ。しかし今日はそうではないらしい――それが玲子を困惑させた。
「……ねえ」
「……ああ、すみません」
玲子が声をかけると、椿希は我に返って照れくさそうに微笑んだ。
「嬉しくて、つい」
その微笑みに、初対面の頃の初々しさを見て、玲子の心中を動揺が走る。
(何よ、もう)
調子が狂う。
玲子は頑なに平静を装いながら、店員が持ってきたスパークリングワインを受け取った。
「お疲れさまです」
「お疲れ」
チン、と軽くグラスが触れ合う。
椿希は静かにグラスを傾けた。玲子もそれに倣うーーその間すら熱い視線を感じて、すっかり相手に飲まれつつあることに玲子は気づいた。
グラスを口から外し、一息つくと、改めて気合いを入れ直す。
「石田くん」
「椿希」
「ーーは?」
低い声音が静かに返して来たのは、当然彼のファーストネームだ。思い切り眉を寄せた玲子に、椿希は静かに口を開いた。
「椿希、って呼んでくれないと、嫌です」
答える目は弓なりに細められ、笑っている。
(訳わかんない)
「何でそんなふうに呼ばないといけないわけ?」
「だぁって。採用前の学生、期待させといて。五年もお預けなんて、ひどくないですか」
ひどくないですか、ではない。直接的な誘いをしなかったーーいや、したのかもしれないが、少なくとも玲子の記憶にはないーー彼が悪い。
と、心中言い訳をしてから、椿希に向き合う。
「あのねぇ。今日、なんか変よ」
「そうですね。ーー余裕がないからかも」
言いながら椿希は嘆息して頬杖をついた。左手首につけたシルバーの腕時計が店のダウンライトを反射し、玲子のグラスの縁を光らせる。
「玲子さんの想い人に会っちゃったから」
「ち、違っーーだから、それは」
玲子の反応に、椿希は楽しげに笑った。
「その話をするつもりだったんじゃないんですか?」
「そうだけどーーでも、想い人っていうのは、違う」
そう。違う、と否定しようと思って、今日の夕飯に同行しているのだ。
「じゃ、ゆっくり聞きましょうか。どうぞ、お話ください?」
椿希は身体を起こしてゆったりと腰掛け、促すように手をさしのべた。さながら面接官のような物腰に、玲子は内心舌打ちする。
「偉そうに」
「ははは」
様々なコミュニケーションスキルを、理論で学んでいる男である。尚且つ、それが自然と振る舞えるように、努力を惜しまぬ男でもある。
しかし、仕事用のそのスキルをーー
(こういうときに、使うなっつーの!)
自分が審判だったら反則退場を申し付けるところだ。しかし、ここで負けては女がすたるーーいや、その前に、先輩としての沽券に関わる。
(何考えてるかわかんないけど、絶対、陥落されないんだから)
玲子は目力を込めて、椿希の余裕ありげな微笑を睨みつけた。
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