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第参章 想定外のプロポーズ

26 過保護

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『結婚式は、ほんまにせぇへんの?』
「せぇへんよ」
『何で?』
「必要性を感じひんさかい」
『必要性て……』
 祖母の死後、回数が減るかと思っていた母の電話は、相変わらずのペースでかかってくる。
 話題が祖母に関する愚痴からわたしの結婚の話やご近所の話、父の愚痴に変わっただけだ。
 休日の気力を無駄に消費するだけの電話を、わたしはそうと言わぬまま、毎回うんざりしながら受けている。
『安田さんのところは、それでええの?』
「うちがどうしたいかが一番大事やて言うてくれてはる」
 わたしの答えに、母は嘆息した。
 都心では、結婚しても写真だけで済ませたり、挙式を家族だけで済ませる場合もあまり珍しくない。実際、マーシーたちは後者だ。話によると、会社の人まで広げると、アーヤのお父様の仕事関係の方もと言い出しかねず、そこまで呼ぶと収集がつかないからと、家族だけでの挙式を選んだそうだ。
 あの二人は同期カップルのため、別途同期主催の飲み会が開かれたらしい。酒に強い二人を潰して面白い話を引きだそうと躍起になった同期たちが、軒並み二日酔い三日酔いになったらしいというのが武勇伝である。
『あんた、結婚するてどういうことか、分かっとる?あんたたち二人が家族になるだけやない、うちと安田さんのところが親戚になるんやで』
「どうせ血の繋がった親戚ともほとんど連絡取ってへんやん」
『またそんな偏屈をーー』
「今日は予定あるさかい、もう切るで」
『葉子、待ちなさい』
 電話を切ると嘆息した。ドアを開くと、コーヒーカップを手にしたジョーが立っている。
 朝から動けるようにと、昨夜、仕事終わりに彼の家に泊まったのだ。
「もう終わったんですか?電話」
「毎回毎回、嫌になるわ」
「でも、つき合ってあげるんすね。偉いです」
 ジョーはカップを一つわたしに渡すと、起きぬけの髪をくしゃりと撫でる。子どもかペットにするように遠慮ない撫で方だが、不思議と心地いい。
「もう惰性みたいなもんやな」
「なくなればなくなったで、寂しくなったりして?」
 ジョーは笑いながらコーヒーを口に含んだ。マーシー宅訪問後、張り合うようにいれてくれるようになった。わたしも受け取ったコップに唇をつけ、舌先で舐める。
「……何点?」
「うーん。味が薄いな。六十点」
「なかなか上手く行かないなぁ」
「紅茶にシフトしたらどうや」
「まあそれでもいいんすけどね。でも悔しいなぁ」
 ジョーはぶつぶつと呟き、両手でカップを包み込むように持った。
 かと思えば、何かを思い出したように目が楽しげに輝く。
「マーシーにコーヒーいれるコツ聞いたじゃないですか」
「うん」
「愛を込めるって言ってて」
 あまり彼に似合わない言葉だ。
「アーヤに?」
 わたしが笑うと、
「そう思うでしょ。キャラじゃねぇなと思ったら、コーヒーへの愛に決まってんだろって言ってました」
 言ってから肩を竦め、冗談めかして続けた。
「やっぱりコーヒーへの愛がないと駄目なのかなぁ。ヨーコさんへの愛ならたっぷり込めたのに」
 言われて噴き出しそうになった。
「そんなに愛こめたんか」
「こめましたよ、そりゃ。ヨーコさんが今日も一日元気に過ごせますようにって。笑って一日過ごせますようにって。あとはー」
「もうええわ。それこそお腹いっぱい」
「えー、全然語り足りないです」
 ジョーは目で笑いながら顔を近づけてくる。
「じゃ、言葉の代わりに」
 ーーそれなら許す。
 黙ってキスを受ける。
 唇を離したジョーは満面の笑みだ。
「ね、ヨーコさん。今日の予定なしにして、一日家で過ごすってのは」
「却下」
「えー」
 今日は二人で住む場所を探すために都内を散策する予定だ。だいたいの場所は目星をつけたが、ジョーは安全で静かな場所というのにこだわった。しかも念のいったことに、平日、土日の明るい時間と暗い時間、それぞれ確認する必要があると主張したのである。
「基本的には俺が守りますけど、やっぱり一人で行き来しなきゃいけないこともあるだろうから」
 と言い張られては言い返せない。今まで散々被害に遭ってきて、しかも彼は一度、その現場に居合わせたのだから。
 家について話しているとき、
「あのときのこと、いまだに夢に見るんすよ。でもその夢では俺の身体が動かなくって、ヨーコさんに近づけないんです。男に殴られて、乱暴されそうになるヨーコさんの名前を必死で呼んでーー目が覚めたら汗びっしょり」
 そんなことが何度かあったと苦笑した。
「今日はいい天気でよかったな」
「ですね。でも、天気が悪い日も確認しなくちゃ」
 家がだいたい決まってから、婚礼写真を撮りに行こうと離しているが、これではなかなか決まりそうにない。それでもいいかと思いつつ、ジョーの横顔を見ながらカップに口をつけた。
 薄すぎるコーヒーは、少し香ばしい麦茶にも似ている。
 ほとんど苦みのないそれが、優しく口中に広がった。
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