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第壱章 名取葉子の自意識

04 母娘

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 12月に入ると、母からは毎週、電話があった。
 「年末は本当に来ないのか」「そこまで育ててやったのに」「薄情者」と、聞くも云うも厭になりそうな台詞をたっぷり1時間ほど並べ立てる母の声を聞き流し、曖昧な答えだけを返した。
 わたしへの批難は途中から愚痴に変わり、施設の祖母は毎日通う母の顔すら分からなくなっていること、定年を迎えた父が家にいるのが邪魔で仕方ないこと、果てはご近所さんの井戸端会議の声がうるさいことなど、彼女の不満は尽きることなく、つらつらと述べられていく。
 最後まで付き合わなければ、先日のようにまたかかってくるだけだ。わたしは一種の修業と割りきって、彼女の声にあいづちを打つ。
 そんな電話に付き合うのも、就職してから20年、繰り返されてきたことだった。
 頻度が低下したのは海外転勤だったときくらいか。さすがに国際電話をするには金額的に勇気が要たのだろうが、それでも全く無かったわけではない。
 かかってくれば、母は電話でわたしを虐げ、馬鹿にし、わたしのような娘を持つ母親である不幸を歎くのだ。
 「こんな娘に育てたつもりはない」と時に本気で涙ぐむその声に、まったく胸を痛めないわたしは、彼女の言うように薄情なのかもしれない。
 いまだに、わたしは電話がかかってくる度、疑問を感じる。母は何が楽しくてそんな電話をするのだろう。自らを悲劇のヒロインに仕立てることの何が楽しいのだろう。そんなことにしか喜びを感じられないほど、彼女は狭い世界に生きているのだろうかーーそうかもしれない。
 それでも、祖母に関する愚痴に対しては、わたしはあいづちを打つのに苦労した。「おばあちゃん、うちが引き取るで」「東京連れて来たら、うちが面倒見るさかい」……
 何度もそう口にしかけて、飲み込んだ。母が素直に頷くとは到底思えず、むしろ火に油を注ぐだけと目に見えてていた。
 母の辛辣な言葉へは、反意を唱えることもない代わりに同意もしないと決めている。「そうなんやな」「へえ」「さよか」という曖昧な答えは、時に母を苛立たせる。そうとわかっていても、彼女の強い言葉に賛意を示すことだけはできなかった。
 散々わたしを傷つけてきた人の、散々わたしを傷つけてきた言葉だからだ。
 苛立った母は時に言う。「あんたみたいなとぼけた頭で続けられるやなんて、よほど手厚い会社やな」「会社も後悔しとるんやないか。あんたみたいなうすらぼけ雇うて」。
 わたしはそれにも、そうかもしれんなぁ、と応じた。
 女が結婚もせず仕事を続けるという生き方を、母は理解できないのだ。母は多くの同世代女性と同様、短大を卒業後、父と結婚して寿退社を果たした。
 結婚したのは28、当時にしては遅かった。
 母は幼なじみでもある近所の次男と結婚し、母の姓で母の実家に住んだ。
 父との縁は、行き遅れたことで組まれたお見合いのようなものであって、そこに恋愛感情などはなかったのだろう。
 わたしを産んだのは30のときで、父とは以後、別室で寝るようになった。
 祖母はときおり、葉子にきょうだいを……と母に言ったが、母は一笑に伏すだけだった。
「うちな、葉子がお腹にいるとき、気持ち悪くてしょうがなかったんや。身体の中で自分と別のものがもぞもぞ動いてな、どんどん大きくなって、身動き取りづろうなって、自分の靴下かてすっと履けんようになって……あんなん、もう二度と御免やわ」
 わたしは廊下で、その声を立ち聞きした。
 母はきっと気づいていたろう。わたしがそれを聞いているということを。
「お母さん、うちはな、女の義務やから結婚しただけや。子ども産んだんかてそうや。男女の睦み事なんてきたならしいもの、進んで求める女の気が知れんわ。そんなんに歯ぁ食いしばって我慢して、葉子ができたんや。ーーもうええやろ」
 それが女の生き方なのだと、その声はわたしに呪縛をかけようとしているようだった。
 しかし、結果的にわたしはそういう生き方から離脱した。それを母が憎らしく思っていることは、想像に難くない。
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