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第壱章 名取葉子の自意識
02 隣のデスク
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「お疲れさまです」
仕事中、お手洗いからデスクに戻ろうと歩いていたら、廊下でマーシーに会った。
エレベーターから降りてきたと見て、首を傾げる。
「お疲れさん。出張帰り?」
「ええ、まあ」
マーシーは微笑み、何かに気づいてスマホを手にした。
画面を見やると半眼になる。
「どないしたん」
わたしが聞くと、マーシーの苦笑が帰ってきた。
「いや。隣のデスクの後輩が、ついでに飲み物買ってきてくれって」
「……後輩って、ジョー?」
わたしが問うと、マーシーは苦笑を強めて頷いた。
「唯我独尊を地で行く奴なんで苦労してます」
「さよか」
わたしは頷き、首を傾げる。
「でも、この数ヶ月でそんな連絡するような関係なんやな」
マーシーは心外そうな顔をしたつもりらしいが、その眼差しは優しさを帯びていた。
「俺、今まで部署で下っ端ばっかりだったんで、後輩できたの初めてで。一応メンター任されてるんで、あれこれ指導してます」
その表情に少しだけ照れを見てとり、わたしは微笑んだ。
「そうなん。大変やね」
「そうですね……覚えは悪くないんですけど、気分屋で困る」
やはり照れ臭そうに言って、マーシーはじゃあ、と事業部のドアへ去った。
(隣のデスク……)
あの子犬は、マーシーの隣のデスクで、仕事を教わっているらしい。
(羨ましいわ)
思う自分に笑った。
ある朝、いつも通り子犬が挨拶を寄越したのは、一階のエレベーター前だった。
「おはよーございまぁす! ヨーコさんっ」
低血圧なわたしのけだるい頭に、高めの声が直接響いてくる。
ちらりとその丸い目を見て、嘆息混じりに答えた。
「……おはようさん」
上に行くエレベーターの降下を示す電光表示を見ながら、ふと思い出した。
(マーシーはデスクでどんなんなんやろ)
わたしは彼の仕事中の姿を間近で見ることができない。
でもこの後輩は毎日隣で仕事をし、教えてもらっているのだ。
(心底羨ましいわ)
エレベーターが開いた。
待っていた社員が中に乗り込む。わたしの後ろからジョーが続き、隣に立った。
わたしは口元に作った笑みを浮かべ、後輩の顔を見上げる。
「ジョー。事業部には慣れた?」
いつもは挨拶すら返さない女が、いきなり親しげに問いかけてきて驚いたのだろう。
ジョーは丸い目をさらに丸く見開き、かと思えば慌てて笑顔を浮かべて早口に話しはじめた。
その頬が少し紅潮している。
「はい。マーシー……あ、隣のデスクの先輩なんすけど……面倒見いい人で。いろいろ教えてくれるんで、ありがたいっす」
「さよか」
わたしは短く答え、わずかにうつむいた。
(ええなあ)
ここにはいない男に、ふと想いを馳せる。
マーシーの愛想笑いは、気を許した男性の前では崩れるらしい。数度、偶然他の社員に向けられた素の顔を見かけたときには、思わずじっと見てしまったものだ。
先日、ジョーについて語るマーシーの顔を思い出す。
きっとこの後輩にも、彼はリラックスして接しているのだろうと察しがついた。
(うちも、そんな風に話してみたいもんや)
出会ってから、一年強。
一般的な距離感からは、少し親しみを覚えてもらっているように思う。
それでも、それ以上にはならない。
わたしとマーシーは。
(当たり前やろ。十も離れてて何を期待してるんや)
小さなチャイムが鳴って、エレベーターのドアが開いた。
わたしは何も言わずに外へ出る。ジョーも慌ててそれに続いた。
「あ、あの、ヨーコさん」
「ほな」
わたしは口だけでさらりと答えて、さっさと財務部のドアへと向かう。
社員証を翳してロックを外し、中へ入るわたしのことを、ジョーの丸い目がじっと見ていた。
仕事中、お手洗いからデスクに戻ろうと歩いていたら、廊下でマーシーに会った。
エレベーターから降りてきたと見て、首を傾げる。
「お疲れさん。出張帰り?」
「ええ、まあ」
マーシーは微笑み、何かに気づいてスマホを手にした。
画面を見やると半眼になる。
「どないしたん」
わたしが聞くと、マーシーの苦笑が帰ってきた。
「いや。隣のデスクの後輩が、ついでに飲み物買ってきてくれって」
「……後輩って、ジョー?」
わたしが問うと、マーシーは苦笑を強めて頷いた。
「唯我独尊を地で行く奴なんで苦労してます」
「さよか」
わたしは頷き、首を傾げる。
「でも、この数ヶ月でそんな連絡するような関係なんやな」
マーシーは心外そうな顔をしたつもりらしいが、その眼差しは優しさを帯びていた。
「俺、今まで部署で下っ端ばっかりだったんで、後輩できたの初めてで。一応メンター任されてるんで、あれこれ指導してます」
その表情に少しだけ照れを見てとり、わたしは微笑んだ。
「そうなん。大変やね」
「そうですね……覚えは悪くないんですけど、気分屋で困る」
やはり照れ臭そうに言って、マーシーはじゃあ、と事業部のドアへ去った。
(隣のデスク……)
あの子犬は、マーシーの隣のデスクで、仕事を教わっているらしい。
(羨ましいわ)
思う自分に笑った。
ある朝、いつも通り子犬が挨拶を寄越したのは、一階のエレベーター前だった。
「おはよーございまぁす! ヨーコさんっ」
低血圧なわたしのけだるい頭に、高めの声が直接響いてくる。
ちらりとその丸い目を見て、嘆息混じりに答えた。
「……おはようさん」
上に行くエレベーターの降下を示す電光表示を見ながら、ふと思い出した。
(マーシーはデスクでどんなんなんやろ)
わたしは彼の仕事中の姿を間近で見ることができない。
でもこの後輩は毎日隣で仕事をし、教えてもらっているのだ。
(心底羨ましいわ)
エレベーターが開いた。
待っていた社員が中に乗り込む。わたしの後ろからジョーが続き、隣に立った。
わたしは口元に作った笑みを浮かべ、後輩の顔を見上げる。
「ジョー。事業部には慣れた?」
いつもは挨拶すら返さない女が、いきなり親しげに問いかけてきて驚いたのだろう。
ジョーは丸い目をさらに丸く見開き、かと思えば慌てて笑顔を浮かべて早口に話しはじめた。
その頬が少し紅潮している。
「はい。マーシー……あ、隣のデスクの先輩なんすけど……面倒見いい人で。いろいろ教えてくれるんで、ありがたいっす」
「さよか」
わたしは短く答え、わずかにうつむいた。
(ええなあ)
ここにはいない男に、ふと想いを馳せる。
マーシーの愛想笑いは、気を許した男性の前では崩れるらしい。数度、偶然他の社員に向けられた素の顔を見かけたときには、思わずじっと見てしまったものだ。
先日、ジョーについて語るマーシーの顔を思い出す。
きっとこの後輩にも、彼はリラックスして接しているのだろうと察しがついた。
(うちも、そんな風に話してみたいもんや)
出会ってから、一年強。
一般的な距離感からは、少し親しみを覚えてもらっているように思う。
それでも、それ以上にはならない。
わたしとマーシーは。
(当たり前やろ。十も離れてて何を期待してるんや)
小さなチャイムが鳴って、エレベーターのドアが開いた。
わたしは何も言わずに外へ出る。ジョーも慌ててそれに続いた。
「あ、あの、ヨーコさん」
「ほな」
わたしは口だけでさらりと答えて、さっさと財務部のドアへと向かう。
社員証を翳してロックを外し、中へ入るわたしのことを、ジョーの丸い目がじっと見ていた。
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