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第壱章 名取葉子の自意識

01 安田丈

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 安田丈、通称ジョーが異動してきたのは、その翌年度のことだ。
 丸い目と、運動部さながらの短髪。
 細身のスーツを着こなした彼は、マーシーより更に五つ年下の27歳だという。
 イギリス転勤から帰ったばかりの彼は、常ににこやかで、明るく挨拶をした。
 その笑顔が可愛いーー
 噂は瞬く間に広がり、一ヶ月と経たないうちに、女子社員のアイドル的存在になった。
 積極的に声をかける女子が後を絶たない。
 一方で、わたしは極力、距離を置いて接した。
 彼はまるで子犬のような顔をしていながら、その実相当数の女と床を共にしている。
 誰に教わらずともわたしにはそう分かったのだ。
 男の慰めものにされてきた女の直感として。

 自己紹介をしたこともないのに、ジョーは朝、わたしを見かけると欠かさず挨拶をしてきた。
「おっはよーございまっす!」
 にこりと少年のような笑顔とスタッカート気味の語調。
 わたしはときどき答えることもあるが、多くの場合、聞こえないふりで通り過ぎた。
 彼と遭遇する度、嫌な気になる。
 その熱く舐め回すような視線に。
 愛想のいい笑顔を浮かべながら、その実、今まで会ったどの男よりも強い占有欲を感じるその目を、わたしは警戒している。
 身体に触れることも、声すらほとんど交わすこともないままに、ジョーはわたしを犯してくる。
(気分悪いわ)
 笑顔と童顔に不釣り合いなほど、鋭く熱烈な狩人の色を宿す丸い目。
 わたしには到底、好意的に捉えることはできなかった。

 それからさして間をあけず、ジョーを社外でも見かけた。
 偶然にも、「例年の勤め」のときである。
 四月末の門倉。
 次いで、六月末の恩師。
 彼らとホテルで過ごす前後のことだ。
 ジョーがわたしに気づいたかどうかは分からない。連れと一緒だったわたしは、極力顔を隠してやり過ごした。
 でも、わたしは彼の連れをしっかりと見ていた。
 ジョーの隣を歩く女は、二日とも違った。
 女が違うだけではない。服の系統も、顔立ちも、振る舞いも、全く違った。
(来るもの拒まず、か)
 彼のそんな姿を見ても、感慨などはない。
(やっぱりな)
 自分の直感が正しかったと確認しただけだ。

 ほとんど無視を決め込んでいるのに、ジョーはくどいほどにわたしに挨拶をしてくる。
 年度当初はたまたま遭遇した折にだけかけられた挨拶は、6月を過ぎた頃からほとんど毎日に変わっていた。
 ジョーか待ち伏せているおかげで、遭遇する日が圧倒的に増えたからだ。
 駅と会社を結ぶ道にあるコンビニで待ち構えている彼は、わたしが前の通りを通る頃、コンビニから何食わぬ顔で出てくる。
「おはようございます!」
 男性にしては高めの声。
 相変わらず、舐め回すような視線。
 わたしはときどき返事をしたが、大方は無視して出勤していた。
 彼から、彼自身のコロンと別に、違う女物の香料を嗅ぎ取ることも多かった。
 わたしはそれに気づいては、ジョーを蔑んだ。
 この男は、くだらない。
 女をメスとしか見ていない、欲望に忠実なただのオス犬だ。
 42と27。
 15歳の差。
 それがジョーには、珍しいのだろう。
 しっぽを振るように、わたしに笑顔で挨拶をする若者が、何を望んでいるかなど、考えずとも分かった。
(少し趣向を変えてみたくなっただけやろ)
 年上の女というのがどういうものか、味見してみたくなっただけに違いない。
(つき合う義理はあらへんわ)
 腐れ縁となった男たちに加えて、若い男の欲望にまでつき合う気など、毛頭ない。
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