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2 人事課の女王

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 その日の午後3時頃。
 悶々としている私のところにエンドゥーが顔を出した。

「はいはいどうもー。みなさんお茶の時間ですよー」

 またしても缶コーヒーを手に、ずかずかとオフィスに入ってくる。

「あら、遠藤くん。私には?」
「あれっ、木庭さん、今日はデスクワークですか」

 じゃあこれどうぞと、自分の分にするつもりだったらしい缶を木庭さんに差し出す。木庭さんは「冗談よ」と笑ったけれど、エンドゥーは微笑みを返して木庭さんの手元に置き、私を見た。

「お疲れ。今日は人事課長は休み?」
「うん。定休」
「明日は来るかな」
「その予定だけど」
「あ、そ。とりあえずこれどうぞ」

 エンドゥーは言って、缶コーヒーを私のデスクに置く。
 周りを見回し、何かを確認してから、手近な椅子を引き寄せて座った。
 長い脚を組み、私のデスクに頬杖をつく姿はまるで我が家のようにふてぶてしい。
 家庭のある人は土日に休みたがる傾向があるから、出勤しているのは電話に対応できる程度の人数だ。のびのびしていて仕事しやすい半面、電話が鳴る日は不思議と始終鳴っていて、応対だけで終わるときもある。
 今日は幸い電話は少ない日らしい。ただ、今はそれぞれ店舗の見回りやら何やらで出ていて、人事課は私と木庭さんしかいない。

「聞いた? 今日の話」

 声をひそめたエンドゥーの言葉にこくりと頷く。
 エンドゥーも小さく頷きを返し、静かに言った。

「分かったよ。受け取ったのが誰か」

 私は一瞬息も動きも止めた。
 横目で見やると、エンドゥーが私を観察するかのように、じっとこちらを見据えている。

「……どうして分かったの?」

 エンドゥーはため息をついて、苦笑した。

「坂元様が会ったのは8階だって言ってたから、てっきり8階の人間なんだろうと思ってたんだけどね」
「違ったの?」
「7階」

 エンドゥーは肩をすくめた。

「5、6、7階は確かに、坂元様が利用しない階だからね。盲点といえば盲点だった」

 5階は紳士服、6階は文具・書籍と和服、7階はベビー、キッズの売り場だ。独身で、読書や和服の趣味がないなら、確かに立ち寄る階ではないだろう。

「それが……なんで?」
「たまたま、今日は文具を見てみようかしらって。8階で広瀬に挨拶してから、運動がてら階段を使われてね。向こうさんがお客様をお手洗いにご案内しているところとご対面、ってわけ」

 階によっては、階段の踊り場にお手洗いが設置してある。そこに同伴することは当然有り得た。
 バッタリ遭遇するその場面を想像して、表情が引き攣った。
 エンドゥーは苦笑じみた笑みを浮かべながら、肩をすくめる。

「『あら。ワイン、貴女が飲んだのかしら?』って。まー真っ青になって震え出して、見ててかわいそうなくらいだったよ。坂元様自身はさして気にしていないようだけどね。『おかしいと思ったのよねぇ、いっつも彼は頑なに受け取ってくれないのに』って。だったら渡すなよって感じだけど、百貨店員の言うことだから間違いないかしら、と期待したらしい」

 私は目をそらしてため息をついた。

 エンドゥーは言って、私に意味深な目を向ける。何かと思えば、「名前、聞かないのな」と肩をすくめた。
 私は目をさまよわせ、うつむく。エンドゥーは静かな声で続けた。

「同伴してたのは俺だけだから、俺しか知らない。上司に報告する必要があるか、判断しかねてお前んとこ来た」
「……そんな、判断を一任されても」
「失礼。言い方を変える」

 エンドゥーは頬杖をついたまま、遠い目で窓の方を向く。そこには並んだビルの隙間から、わずかに百貨店の店舗と、山のモチーフを丸で囲んだマークが見える。

「上司に報告した方がいいだろうとは思っている。マストじゃないが、その方がベターだ。が、広瀬が嫌がる気がしてな」

 私は黙った。その横顔を見て、エンドゥーが苦笑する。

「お前もそう思うって顔だな。とりあえず、一度俺のところで留め置くことにするよ」

 言って、エンドゥーは缶コーヒーの上部を指先でトンと叩いた。

「今日のところは、坂元様もお帰りになったよ。うちの部長は休みだったから、店舗部長とエリアマネージャーが謝った。後日、お詫びの品もお持ちする予定だけど、『百貨店の中でもいろいろあるんでしょうねぇ。サスペンスドラマが起こったら教えて』なんて笑ってらしたから、お得意様を失う恐れはなさそうだ」

 エンドゥーは言うと、「よっこらせ」と冗談めかした掛け声と共に立ち上がった。

「気になって仕事が手につかないんじゃないかなーと思ったから報告まで。ってことで、王子のフォローは任せたぞ、人事課の女王様」
「ちょっ、エンドゥー、マジそれやめっ……!」

 最後の言葉に慌てたけれど、時すでに遅し。近くのデスクでで木庭さんが「あら、いいネーミングね」なんて笑っている。
 私は思わず、頭を抱えた。
 エンドゥーは笑いながら部屋のドアまで近づくと、「あ、そういえば」と思い出したように振り向いた。

「ナギ、似合ってんじゃん、その口紅。いつもよりいいよ」

 付け足されたコメントに、私は一瞬、何を言われたのかと困惑する。
 すぐさま応じたのは私ではなく、木庭さんだった。

「そうでしょ。私がオススメしたの」
「木庭さんプレゼンツでしたか。流石です」

 エンドゥーは冗談めかして木庭さんにウインクを投げ、「じゃ、またな」と去っていく。
 エンドゥーが開けたドアが閉まるのを見送った後、私の頭はようやく動きを再開した。

 さすがエンドゥー……

「……チャラい……」
「やーねぇ、遠藤くんったら」

 木庭さんがくつくつ笑っている。

「広瀬くんも何も言わなかったのに、さらっとああいうこと言っちゃうものねぇ。ほんと面白いわ、あなたの代の子たち」

 それはまた、褒められてるんだかいないんだか……

 私が苦笑しながら「はぁ」とお決まりの曖昧さで応じると、木庭さんはまた楽しげに笑った。
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