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1 マルヤマ百貨店の王子
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「ほんと、美味しそうに飲むね」
「美味しいもん」
私は笑って、グラスをゆるく回す。濃厚な香りを楽しみ、拳一つ分隣に座る成海を見やった。
「でも、どうしたの。これ」
「だから、もらいもの」
私がまばたきすると、成海は苦笑混じりに答えた。
「飲み会でワインばっかり飲んでるから、折につけ職場で貰うの。開けちゃうと早めに飲まないともったいないけど、晩酌の習慣はないから」
「……折につけ……」
「誕生日とか、バレンタインデーとか」
言ってから、成海はため息をつく。
「誕生日なんて、誰に聞いたのやら」
「エンドゥーじゃない?」
「だよなぁ。そう思うよな。でも本人は否定してる」
言った成海はちらりと私を見てくる。至近距離で見るとグレイがかった瞳。
私は思わず自分の言動を思い返した。
「私じゃ……ないよ……」
言いながら、自信がなくなる。言うか言わないかの声音で「多分」と付け加えた。
成海が呆れたようにため息をつく。
「……もし私だったらゴメン……」
「別にいいけどさ」
成海はグラスを回して、ワインが揺れるのを見つめた。
多くの女が羨む長いまつげ。通った鼻筋。白い肌。
「成海って、ロシア語話せたりするの?」
「なんで」
「なんか似合いそうだから」
私の適当な言いぶりに、成海は笑った。
「Здравствуйте」
「へ?」
「Спасибо」
「ん?」
聞き慣れない音に、私は戸惑う。成海は首を傾げた。
「……くらいしか知らない」
「意味は?」
「こんにちは、とありがとう」
ふぅん、と相づちを打ちなから、ワインを口にする。
ロシア語ってあれだな、なんかぼそぼそした、素朴な響きの言語なんだな。
英語と中国語くらいしか馴染みがないから、不思議な感じだ。
成海は不意に思い出したように「あ」と言って笑顔になる。
「あと、極貧生活」
「なんで」
「ばーちゃんがよく言ってた」
思わず私も噴き出す。成海も笑った。
「面白いおばあちゃんだったのね」
「うん、まあ。故人じゃないけど」
「えっ、そうなの?」
「でも、もうロシア語なんて忘れちゃったって言ってる。子どものときから日本に来てるから」
「そうなんだ」
成海は日頃、進んで話さないけど、二人きりになればそこそこ話す。
とはいえ、他の同僚は「一緒にランチ行っても話が広がらない」と言うので、気を許していればこそらしい。
取り留めのない話をぽつぽつする成海は、一日の出来事を報告する子どもみたいで、なんとなく微笑ましい。うんうんと聞いてあげながら、私にも母性みたいなものがあるんだなぁと思う。
成海のグラスが空いたのを見て、ワインを注ぐ。成海も代わって私に注いでくれた。
不意に沈黙する。
成海からどことなく緊張している空気を感じたけど、気づかぬ態でグラスを傾ける。
成海から、こくり、とワインを飲み込む音がした。
「……さっきのって、ただの冗談?」
「さっきの?」
「……一ヶ月、悶々としてたっていうの」
「あー」
成海の緊張感と無関係そうな話だ。私は笑いながら「まあね」と答える。成海はまた、黙り込んだ。
私はふと思う。今まで成海から、浮いた話は聞いたことがない。彼を女子が放っておくとも思わないから、話さないだけだと思っていたけど、気遣うようなあのエンドゥーの目から考えると、もしかして……
「……成海」
「な、なに」
「あの……」
私はどう伝えたものかと一瞬言葉を探してから、成海の目を見つめた。
「……私でよければ、いつでも、どんな相談でも乗るから。成海から離れて行ったりしないから、安心してね」
言い切ってから、自分のセリフを脳内で再生する。……うん、悪くないはず……
なのに、どうして成海はビミョーな顔をしてるんだろう。
成海は眉を寄せて、一気にグラスに残ったワインを口に流し込んだ。ごくっ、と音を立てて飲み干すと、グラスを机に置き、私の後ろの背もたれに手をかける。
「……俺じゃダメなの?」
「は?」
「遠藤とならその気になるけど、俺とは?」
「え?」
私は冗談でしょうと笑おうとして、成海の真剣な目に言葉を飲み込む。
え? え?
成海はエンドゥーが好きで、でもエンドゥーは本命がいるから応えられないって返してて、でも友人でいようとかって言われて、私の無神経な発言に傷ついたんじゃないの?
彼がゲイなら、今まで話を聞いたことがないのも頷けるなと思ったのだ。数年前、同期の結婚式の帰りに寄った居酒屋で、エンドゥーが姉の友人に対する思いの丈を語り出したときも、成海は始終聞き役に徹していた。黙ってはいたがその様子はどこか他人事ではない印象があって、そのときには成海もエラい一途な恋してんだなーと思っていたのだけど……
あっ、そっか、異性愛者だけれども、相手がなかなか手の届かない人なんだな。それで、一途を貫きたいけど変な女に関わるのは……みたいな感じ?
「ダメじゃ……ないけど」
私は答えながら、どうしたものかと戸惑う。
さっき、あえてエンドゥーに提案したのは、彼が割りきったつき合いに慣れていると踏んだからだ。成海はそうではないような気がしていたし、今もそう思っている。
「成海こそ、いいの?」
成海は言葉を返すよりも先に、私の顎に手をかけ、唇を重ねた。
目を閉じ損ねた私は、うっすらと目を開けたままの成海の目に静かな熱を感じ、ますます戸惑いながら、黙って目を閉じた。
「美味しいもん」
私は笑って、グラスをゆるく回す。濃厚な香りを楽しみ、拳一つ分隣に座る成海を見やった。
「でも、どうしたの。これ」
「だから、もらいもの」
私がまばたきすると、成海は苦笑混じりに答えた。
「飲み会でワインばっかり飲んでるから、折につけ職場で貰うの。開けちゃうと早めに飲まないともったいないけど、晩酌の習慣はないから」
「……折につけ……」
「誕生日とか、バレンタインデーとか」
言ってから、成海はため息をつく。
「誕生日なんて、誰に聞いたのやら」
「エンドゥーじゃない?」
「だよなぁ。そう思うよな。でも本人は否定してる」
言った成海はちらりと私を見てくる。至近距離で見るとグレイがかった瞳。
私は思わず自分の言動を思い返した。
「私じゃ……ないよ……」
言いながら、自信がなくなる。言うか言わないかの声音で「多分」と付け加えた。
成海が呆れたようにため息をつく。
「……もし私だったらゴメン……」
「別にいいけどさ」
成海はグラスを回して、ワインが揺れるのを見つめた。
多くの女が羨む長いまつげ。通った鼻筋。白い肌。
「成海って、ロシア語話せたりするの?」
「なんで」
「なんか似合いそうだから」
私の適当な言いぶりに、成海は笑った。
「Здравствуйте」
「へ?」
「Спасибо」
「ん?」
聞き慣れない音に、私は戸惑う。成海は首を傾げた。
「……くらいしか知らない」
「意味は?」
「こんにちは、とありがとう」
ふぅん、と相づちを打ちなから、ワインを口にする。
ロシア語ってあれだな、なんかぼそぼそした、素朴な響きの言語なんだな。
英語と中国語くらいしか馴染みがないから、不思議な感じだ。
成海は不意に思い出したように「あ」と言って笑顔になる。
「あと、極貧生活」
「なんで」
「ばーちゃんがよく言ってた」
思わず私も噴き出す。成海も笑った。
「面白いおばあちゃんだったのね」
「うん、まあ。故人じゃないけど」
「えっ、そうなの?」
「でも、もうロシア語なんて忘れちゃったって言ってる。子どものときから日本に来てるから」
「そうなんだ」
成海は日頃、進んで話さないけど、二人きりになればそこそこ話す。
とはいえ、他の同僚は「一緒にランチ行っても話が広がらない」と言うので、気を許していればこそらしい。
取り留めのない話をぽつぽつする成海は、一日の出来事を報告する子どもみたいで、なんとなく微笑ましい。うんうんと聞いてあげながら、私にも母性みたいなものがあるんだなぁと思う。
成海のグラスが空いたのを見て、ワインを注ぐ。成海も代わって私に注いでくれた。
不意に沈黙する。
成海からどことなく緊張している空気を感じたけど、気づかぬ態でグラスを傾ける。
成海から、こくり、とワインを飲み込む音がした。
「……さっきのって、ただの冗談?」
「さっきの?」
「……一ヶ月、悶々としてたっていうの」
「あー」
成海の緊張感と無関係そうな話だ。私は笑いながら「まあね」と答える。成海はまた、黙り込んだ。
私はふと思う。今まで成海から、浮いた話は聞いたことがない。彼を女子が放っておくとも思わないから、話さないだけだと思っていたけど、気遣うようなあのエンドゥーの目から考えると、もしかして……
「……成海」
「な、なに」
「あの……」
私はどう伝えたものかと一瞬言葉を探してから、成海の目を見つめた。
「……私でよければ、いつでも、どんな相談でも乗るから。成海から離れて行ったりしないから、安心してね」
言い切ってから、自分のセリフを脳内で再生する。……うん、悪くないはず……
なのに、どうして成海はビミョーな顔をしてるんだろう。
成海は眉を寄せて、一気にグラスに残ったワインを口に流し込んだ。ごくっ、と音を立てて飲み干すと、グラスを机に置き、私の後ろの背もたれに手をかける。
「……俺じゃダメなの?」
「は?」
「遠藤とならその気になるけど、俺とは?」
「え?」
私は冗談でしょうと笑おうとして、成海の真剣な目に言葉を飲み込む。
え? え?
成海はエンドゥーが好きで、でもエンドゥーは本命がいるから応えられないって返してて、でも友人でいようとかって言われて、私の無神経な発言に傷ついたんじゃないの?
彼がゲイなら、今まで話を聞いたことがないのも頷けるなと思ったのだ。数年前、同期の結婚式の帰りに寄った居酒屋で、エンドゥーが姉の友人に対する思いの丈を語り出したときも、成海は始終聞き役に徹していた。黙ってはいたがその様子はどこか他人事ではない印象があって、そのときには成海もエラい一途な恋してんだなーと思っていたのだけど……
あっ、そっか、異性愛者だけれども、相手がなかなか手の届かない人なんだな。それで、一途を貫きたいけど変な女に関わるのは……みたいな感じ?
「ダメじゃ……ないけど」
私は答えながら、どうしたものかと戸惑う。
さっき、あえてエンドゥーに提案したのは、彼が割りきったつき合いに慣れていると踏んだからだ。成海はそうではないような気がしていたし、今もそう思っている。
「成海こそ、いいの?」
成海は言葉を返すよりも先に、私の顎に手をかけ、唇を重ねた。
目を閉じ損ねた私は、うっすらと目を開けたままの成海の目に静かな熱を感じ、ますます戸惑いながら、黙って目を閉じた。
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