マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.5 マシな生き方

27 過ぎた二年

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 娘さんが言うてたとおり、営業やったっちゅうオジサンとは、会うたその日に意気投合した。がははと豪快に笑うその人は、聞けば兵庫の出身やという。初っぱなから「金田くん、下の名前なんやの。栄太郎? かっこいいな。じゃ、栄ちゃんて呼ぼ」と肩を組まれた。
 その日はただの様子見だけのつもりやったのに、ひょっこり社長が現れて、「いつから働く? 正直なとこ、来年度からだと嬉しいんだよね。今年度はまだ、みんないるからさ。来年度入っても、半年は引き継ぎできるし。君なら大丈夫でしょ」と平気で言うてくるんで驚いた。履歴書とか持ってきてないんですけど、言うたら、「後からでいいよ、そんなの」と笑われて、「栄ちゃん真面目やな」とオジサン社員から頭をわしわしやられた。
 三十にもなってそんな、子どもみたいな扱いどうなん、と思うたけど、自然と受け入れられるような雰囲気がその人にあって、たぶんそれが相性てもんなんやろう。
 とはいえ、確かに社員の平均年齢はそこそこ高そうや。結婚で辞めるちゅう人を除けば、娘さんたちが一番下にあたるらしい。三十の子ども扱いも分かるで、なんや気恥ずかしくも思えた。
 社長も社員もないくらいのほんま小さな会社やし、給料は元の半分くらいになる。それでも、雰囲気の良さと働く人の顔艶を見れば、ここなら大丈夫、と自然と思えた。
 金なんて――そりゃ、あればあるだけええやろうけど、自分ひとり、生きて行ければそれで充分やしな。

 そんなわけで、トントン拍子に話は進み、難航してたはずの転職先探しはあっという間に終わった。
 社長の希望である来年度からの勤務っちゅうのは、俺にとってもありがたい話やった。転職する、いうても、今の会社の同僚かて、長らく一緒に働いてきた仲間なわけや。何もかもほっぽって出るような不義理はしたくはないのが人情てもんで、去る準備はきちんとしておきたい――去る鳥跡を濁さず、ってやつや。

 俺にも少しは運気が向いてきたかもしれへん。
 ――すぐそうやって調子に乗る辺り、母さんに知れたら呆れられそうやけど。

 内定をもらった後、俺は改めて、お礼を言いに老婦人の元へと足を運んだ。

 ***

 老婦人は自宅で俺を出迎えてくれた。家まで入るつもりはなかったんやけど、「お茶の一杯くらいしていって」と言われれば断れず、お言葉に甘えて上がらせてもらう。
 家はさして広くない2LDKのようやった。リビングの片隅には小さな仏壇があって、線香の煙が漂ってくる。老婦人が俺を見上げた。

「煙いの、嫌かしら」
「いえ、大丈夫です」

 微笑み返して、「むしろ、なんや、落ち着きます」と仏壇を見やった。
 実家にある仏壇を思い出す。俺が小さい頃は祖母の遺影だけだったその仏壇に、今は祖父も隣り合っている。線香特有の香りに、遠く奈良に想いを馳せる。自然と一歩、そちらへ足が進んだ。

「……手を、合わせても?」
「もちろん」

 婦人は嬉しそうに笑って、ろうそくに火をともした。
 中には小さな写真が飾ってある。老婦人と並んだらよう似合いやったろう、優しそうな笑顔のおじちゃんや。

「夫なの。三年前、急に逝っちゃってね……それから、娘が気にして、ちょこちょこ来るようになって」

 手を合わせている俺の横で、婦人が静かに話している。

「一人で生きていくのは寂しいから、はやくお迎えに来てって、毎日言ってたんだけど……金田さんに救ってもらった日からは、そうお願いするのはやめたわ。またあのイケメンに会えますようにって、それまでまだお迎えに来ちゃだめよって、毎日言うようにしたの」

 合掌を下ろすと、思わず苦笑した。

「別に、イケメンやないですよ。甲斐性無しって、母にもよく呆れられます」
「またまた、そんな」

 手を振って笑うと、婦人は俺に椅子をすすめた。会釈して腰掛ける。

「もう少し、うちの娘が若ければ、押し売りするところなんですけどね。あの子はもう、一人で生きてくつもりみたいだから。――でも、楽しそうにしてるからそれでいいわ」

 そういえば、娘さんが結婚してる、ちゅう話は聞かんかった。

「娘が言ってたわ。金田さんみたいな人がいたら、職場も明るくなるって。会社に来たとき、みんなからモテモテだったんですって?」
「いや、みなさんいい人やから構ってくれただけです」

 確かに、お茶を淹れてくれたりお菓子をくれたり、事務所にいる人は入れ替わり立ち替わり声をかけてくれたのやった。オジサンと社長に連行される姿にも、「もっとお話したかったのに」「ずるい」なんて笑いながらの批判が飛んだりなんかして。
 思い出して笑いが浮かびそうになり、本来の目的を思い出した。「あの」と声をかけ、頭を下げる。

「この度はほんまに……ありがとうございます」
「私はなにも。話を繋いだだけだわ」

 どうぞ、とお茶を勧められる。白い陶磁器から、ふわりと湯気が漂った。茶葉の甘苦いにおいがして、すすめられるままに手を伸ばす。
 それぞれが茶を啜る、一瞬の沈黙の後。

「……少しだけ、興味があるのだけど。聞いてもよろしい?」
「……はい」

 老婦人の声に目を上げた。

「金田さんが、お仕事を変えてまで大切にしたい人って、どんな方かしら?」

 まっすぐに問われて、一瞬息が止まった。
 ――もっと、祖父母との時間を作りたい。
 そう思って始めた転職活動やったのに、最初に浮かんだのは、なぜか礼奈の顔で。
 ――大切にしたい人。幸せになって欲しい人。
 礼奈も、その中に含まれる。それは確かに、間違いないねんけど、ここでそう思うにはあまりに――自意識過剰過ぎやろ。
 心に浮かんだ礼奈の姿をかき消そうと、祖父母のことを思い浮かべた。
 鎌倉で過ごす祖父母。
 二人は一年一年――いや、一ヶ月一ヶ月、着実に衰えてきていた。
 特に祖父は耳が遠くなってきて、俺の低い声は届きにくいみたいやし、ぼんやりしとることも多い。

「鎌倉に……祖父母がおって。いつまで元気でいてくれはるか分からへんし、もっと一緒にいたいなと思うたんです」

 婦人は意外そうに目を丸くした。

「それはそれは……孝行な孫だこと」

 俺はあいまいに微笑み返した。
 一杯のお茶を飲み終えると、できるだけ丁寧にお礼を言って、家を後にする。
 通りに出ると、街には夏の名残どころか、冬の乾いた空気が漂い始めていた。
 カレンダーを思い浮かべ、もう今年も終わるんやな、と気づく。

 年が明け、春が来る。
 三月になれば――礼奈は二十歳になる。
 不意に胸が締め付けられた。

 二年――俺の二年は、あっという間やったな。

 歩き出すと、コツコツと革靴の音が、骨を伝って頭に響いてきた。

 礼奈にとっては、どんな二年になったんやろ。

 大事にしたい人――
 そう言われたとき、直感的に浮かんだ礼奈の笑顔を、遠く、雲の合間に思い浮かべる。
 礼奈が俺の大事な人なのは、間違いない。
 けど、その気持ちが何なのか――ちゃんと考えることは、あえて先延ばしにしてきた。
 
 けど……そうか。礼奈はもう、二十歳になるのか。
 そろそろちゃんと答えを出さへんとあかんな……。

 いや、でも――
 そんなん、必要やろうか。

 礼奈には、付き合うとる彼氏がおる。
 俺のことなんて、もう、どうでもええかもしれん。

 駅の雑踏が近づくと同時に、胸もざわつきはじめ――苦笑が浮かんだ。

 ほんま、健人の定期便がないと、確かに何も礼奈のことが分からへんな。
 そういやあいつ、九月には帰ってきたはずやのに、何も連絡せんままやな。こっちから連絡したろか――
 電車を待つ間にスマホを取り出し、メッセージを打つ。
 「久しぶりやな」から始まって、「帰国したんやろ、どうやった?」とか適当に書いて。
 「礼奈は元気か」と打っては消し、打っては消して。
 結局、礼奈については何も書けへんまま、送信ボタンを押した。
 健人からはすぐ返事があった。

【新年会は参加するよ】

 それだけ。
 あんだけ察しのいい奴のくせに、礼奈のことは一言も触れてへん。
 それが逆におちょくられているようにも思えて、内心歯がみした。
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