マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.11 新婚旅行

73 解けない呪い

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 礼奈の身体を抱き締めて、口づけて頬を寄せる。いつもよりも火照った身体は、温泉のせいか、軽く乾杯したアルコールのせいか……それとも、これからの時間への期待のせいか。

「栄太兄……」

 俺を見上げる礼奈の潤んだ目。それだけで、もう心を鷲掴みにされる。ここまで過ごしたふたりの時間、みんなとの時間――そんなものが脳裏をよぎって、つい感慨にふけりそうになって、あかんと気持ちを引き締めた。
 とにかく、今は目の前にいる礼奈に集中せなあかん。政人みたいに手慣れてるならともかく、俺は素人、いや初心者やからな。ごちゃごちゃ考えてたらうまくいくもんもうまくいかんようになるわ。
 礼奈の身体はくったりと力が抜けて、ずっしりと心地よい重みが腕に乗っとる。身も心も俺に委せてくれる、その信頼が嬉しい。
 初めては痛いて言うけど、少しでも礼奈に気持ちよくなってほしい。唇で、舌で、手で、指で、ゆっくり解きほぐしていく。このくらいのことは、今までにもしてるのに、その先のことが頭から離れないせいか、ふとした拍子に手が震えた。

「……栄太兄……」

 俺の頬を撫でて、礼奈が照れくさそうに微笑む。
 その目の中に、俺が写っている。ほんのりと色づいた白い肌が、その身にまとった白いランジェリーが、あまりにきれいすぎて、息を飲む。

 きれいや。
 こんなにきれいな子――
 ――ほんまに、ええのか?

 心の中で、誰かが問う。

 ――ええかて、ええに決まってるやろ。

 俺はすぐさま、そう答える。
 礼奈かて、それを望んでるんや。母さんが言うてた、「責任取れる関係」やったらもうクリアしとる。俺は立派な大人で、稼ぎもあって、礼奈はもう学生を終えて、結婚してて愛し合ってて……条件言うたらもう、揃っとるはずやろ。

 ――ほんとに?

 どこかから問う誰かの声を聞かないふりで、桃色の唇を食んだ。礼奈が鼻から甘い声を漏らす。そのかわいさが苦しくて、下腹部が痛くなる。
 下着をはずすと、礼奈が恥ずかしそうに身じろぎした。潤んだ目が俺を見上げている。

 ――俺の欲望を、このきれいな身体につっこんでええのか?

 色づいた胸の頂きを唇で挟み、舌で転がす。礼奈がぴくんと震えて、手で口を押さえた。

「ぇ、栄太兄……」

 吐息のような声が俺を呼ぶ。
 礼奈のそこはもうとろとろに蕩けて、俺の手を濡らしている。はやくと俺を求めるようにときどきぜん動するその中が、俺の指を飲み込む。
 赤らんだ頬、潤んだ瞳、鼻先にただよう礼奈の匂い――
 欲しい、と、本能が言う。そうや、今日こそ――繋がるんや。
 ごくり、と唾を飲み、礼奈の頬を撫でた。

「ちょっと……待ってて」

 かすれた声で囁いて、枕元から避妊具を取り出す。さすがに、ナマでやろうとは思うてへん。
 付け方も……ちょっと馬鹿みたいやけど、一応、自習はしといた。
 大丈夫、うまくいく。大丈夫……
 礼奈に半ば背を向けて、帯を解く。なんや、この間がかっこ悪い気がする。心臓はまだバクバク言うてて、みぞおちから飛び出そうや。
 こういうの、ほんとはもっと、スマートにするもんなんやろか。誰かにタイミング聞いときゃよかった――そんなん、聞けるはずもないか。
 下着を下げると、ムスコが待ってましたと言いたげに、ぴょこんと勃ち上がった。
 礼奈の白くみずみずしい肌を目の当たりにしていたからか、脈打つそれがやたらとグロテスクに見える。

 ……これを……礼奈に?

 剥き出しの汚ならしさに、怯んだ。

「栄太兄……?」

 ベッドに横たわったままの礼奈が、不安そうな声で問う。そっと俺の肘に触れる手に、「あ、ああ。もうちょいやから」と取りつくろって、薄い皮をそれに被せる――
 その途中で浮かんだのは、礼奈の母、彩乃さんの顔と言葉やった。

 ――仕事に慣れるまで、妊娠はしないようにね。私もつわりひどかったし、礼奈もそうかもしれない。そしたら仕事に行けなくなるから――

 ほとんど見たことのないほど、厳しいその表情が、目の前にまざまざとよみがえる。
 あかん――と思ったときには、もう遅かった。
 頭だけ透明な帽子を被ったムスコが、ゆるゆると力を失っていく。さっと血の気が引いて、頭が真っ白になった。
 ――うそやろ。なんで。礼奈が。礼奈が、待ってるのに。今日こそ、俺とひとつになるんやて、下着まで準備してくれててんで。それで……それを……

「栄太兄?」

 動きも呼吸も止めた俺を訝しんで、礼奈が上体を起こす気配がする。
 背中を変な汗が伝う。あかん、あかん、こんなつもりじゃ……うつむいたままの俺の肩に、そっ、と礼奈の手が触れる。身体が強ばって、妙な汗が出る。寒い。いや、暑い。どっちや? よく分からへん。頭が真っ白で心臓の音すらよう分からん。怖くて礼奈の方を見られへん。
 この状況で――どう、取りつくろえばいいんや。大丈夫や、ちょっと待ってて、て一度部屋を出る? いやでも、それでどうにかなるもんなんか?
 頭の中で問いに問いを重ねるうち、礼奈は俺の背に手を置いて、顔を覗き込み、俺の手元を見て――沈黙した。

 しん。

 部屋の温度が、一気に下がっていくような感覚。
 静けさが、馬鹿みたいに長い。ざらついた音がこめかみの辺りから聞こえる。

「……栄太兄……」

 礼奈がゆっくり、俺の背から手を離す。ああ、とどうにか、俺も答える。なんや、耳鳴りがする。ざわざわしとるんは、俺の血の流れやろか。頭がよう動かん。それでも、俺が失敗したっちゅうことだけは、悲しいほどよくわかる。

「わ……私……もう一度お風呂、入って来ようかな。部屋のお風呂は入ったから、今度は大浴場に……え、栄太兄は、どうする?」

 礼奈のぎこちない声がする。俺は、ええわ。礼奈、行って来い。そう、答えた気がするけど、よう分からん。それからの記憶はあいまいで、礼奈が部屋を出ていった後、ベッドの上で横になって、壁の方を向いて丸まった。
 戻ってきたときどんな顔して会えばええのかわからへんし、まともに会話できる気もせえへん。どう取りつくろうべきなのか、やり直しがきくのかも分からんで、そのまま布団に入り込んだ。
 一時間ほどして戻ってきた礼奈は、俺が寝てると思うたんやろう。音を立てないように息を潜めて、隣のベッドに入ったのが分かった。
 目を閉じても眠れるわけがない。
 互いに息を潜めるようにしてふけていく夜が、礼奈といて初めて、しんどくて切なくて苦しくて――ただただ、もう逃げたい、とばかり、思っていた。
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