マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.5 マシな生き方

26 縁と運

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 老婦人に促されて、近くのカフェへ入った。
 話によると、前に会った娘さんの職場で、離職者が出るらしい。

「あんまりしょっちゅう求人を出すような会社じゃないから、どうしようかって話になってるらしいんですよ。社員さんだとほら、バイトさんと同じようにはいかないし」

 しょっちゅう求人を出す会社じゃない――つまり離職者が少ないっちゅうこっちゃろう。

「場所は横浜なの。やっぱり都内じゃないと駄目かしら」
「いえ――それはむしろ、ありがたいです」

 横浜なら、じいちゃんたちの家がある鎌倉から一時間以内で行き来できる。俺が乗り気なのを見て取って、老婦人はほっとしたように微笑んだ。

「仕事の内容は、私にはよく分からないのだけど。タウン誌みたいなものを作ったり……地域の商店街と連携して広告を出したり……印刷業もしているらしいんだけど、話を聞いているとあれこれやってるみたいで」

 首を傾げる様子に、思わず笑ってしまった。小さな会社だというから、仕事を細分化できない分、色んな事業を担当することになるのだろう。

「まずは、話だけでも聞いてみます? よければ、娘に連絡を取ってみるわ」
「お願いします」

 思わず期待する心をなだめつつも、藁にもすがる思いで、話を聞いてみることにした。

 ***

 娘さんと会うことになったのは、その翌月の日曜やった。
 第一に働きやすさを求める俺としては、本音ベースの話を聞きたい。会社ではそれも難しいだろうからと、老婦人のすすめで、神楽坂のカフェに集まることになった。
 一年ぶりに会った娘さんは、俺よりも十ばかり年上やろう。白髪染めなのか、ところどころ焦げ茶色の混ざる髪を後ろで一本に結び、紺色のワンピースを着てはる。
 地味と言えば地味やけど、さりげなくつけた腕時計や小さなネックレスはしゃれたものを着けていた。
 二人のいる机につくなり、いきなり深々と頭を下げられた。

「その節はどうも……本当に、ありがとうございました。おかげさまで、母も命拾いして」
「いや、そんな大げさな。たまたま居合わせただけですから」

 恐縮する俺に、老婦人は嬉しそうに笑う。

「またお会いできてよかったわ。電話番号と名字しか分からなかったから、お礼もできなくて。だってほら、しつこく電話するのもどうかと思って、ずっと気になってたのよ」

 言葉の途中で、店員がおしぼりとメニューを持って来た。
 指定されたカフェは、古民家を改装したものらしい。京都や奈良にもありそうな落ち着いた雰囲気には俺も落ち着く。
 机に通され、それぞれコーヒーを頼んだ。

「まずは、名刺をお渡ししますね」

 差し出された名刺を受け取り、癖で自分の名刺をさぐって手を止めた。これから出ていこうという会社の名刺を渡していったい何になるのかと気恥ずかしくなる。
 名刺には、有限会社とあった。その地域で長くやっている会社なんやろうな。裏面には事業内容が書いてあって、広告、印刷、デザイン、イベント――確かに多岐にわたってるみたいや。

「一応、広報系の仕事なのだけど……最後の採用は十年前なんです。社員は二十人くらいしかいないんですけど、来年、定年退職の人がいて。元々、大卒の新人さんをひとり雇うつもりだったんですけど……こないだ婚約した子が、結婚相手が転勤になったからって関西に行くことになってしまったの。一気に二人抜けるとなると、大変でしょう。ある程度社会人経験がある方も欲しんですけど、求人を出してもいい人が見つかるか分からないし、手間もかかるしで……」

 社員のツテでいい人がいないかと探しているところらしい。
 事情は分かった上で、仕事の内容を聞くことにした。元は地域の写真屋さん。それが、チラシや広告を手伝うようになり、タウン誌を作って定期収入を得るようになり、ときどきイベントも手伝うようになった――

「なるほど……。でも、全然業種が違うんで、お役に立てるかどうか……」

 ためらう俺に、「あら、大丈夫よ」と娘さんは笑う。

「金田さん、話しやすいもの。雑誌とか、読むのはお好き?」
「ええまあ……嫌いではないですけど」

 フリーペーパーの類いは、確かについ手に取るたちや。新幹線で京都を行き来するときに見るから癖みたいなもんかもしれん。

「定年する方の人がね、まあ、金田さんとは似つかないオジサンなんだけれど、フリーペーパーの提案をして、事業化した人なのよ。自分で商店街の人とかに声かけてね。その人の退職は夏だから、一年かけて人脈を引き継ごうって一緒に挨拶回りを始めたんだけれど……ほら、性格もあるじゃない。今まで内勤だった子たちにはちょっと大変みたいなの。金田さんにぴったりじゃないかしら――そういうの、苦ではない?」

 そりゃ、営業やったからその辺は全然問題なしや。うなずく俺に、娘さんは「それにね」と笑う。

「金田さん、なんとなく、そのオジサン社員と仲良くなれそうな気がするのよ」

 聞けば、その人も元は大企業の営業だったという。
 それが、飲み屋でばったり社長と会い、意気投合して、今の会社に転職したとか。
 愛妻家で、年に二回は家族と旅行に行くとか。
 それから、話は他の社員のことになった。
 シュノーケルが趣味で、世界中の海を巡っている人。実家の農業と兼業している人。色んな社員がいて、フリーペーパーを作るときにも、それぞれの趣味や興味を上手く活かしているらしい。

 「私みたいに介護してる人もいれば、子育て中の人もいるし」という娘さんの言葉に、老婦人が「介護なんて、まあ」と冗談めかして批難の視線を送った。娘さんは笑って、「夏休みになると、小学生のお子さんを連れて来ることもあるのよ」と楽しげだ。

「近所の公園で遊んでたと思ったら、虫取って戻って来たりしてね、大騒ぎ」
「そりゃたまらんでしょうね」
「そうなの。セミがしばらく、壁にひっついてミンミン鳴いてたりしてね。男性陣が子どもみたいな顔で追いかけて、どうにか捕まえてカゴにいれて……だってほら、チラシにセミのおしっこなんてかかっちゃったら、大変でしょう?」

 オフィスの和やかさを想像して、つい笑ってもうた。
 期待しすぎはよくない。よくないけど――ええな、そういう会社。呼吸がしやすそうで。

「あの……一度、会社にうかがっても?」
「もちろん。ぜひいらして」

 娘さんは微笑んで、母と視線を交わし合った。
 ――ああ、ええな。大切なもんを、大切にしてる人の顔や。
 胸に広がる温もりに、自然と笑みが浮かんだ。
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