マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.4 つまらない大人

19 不器用な良心

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 八月の金曜夜、イトコで集まろうという話は、珍しく翔太と悠人から連絡があった。
 いつもイベントごとは健人や朝子が言い出すことが多いから意外やったけど、九月から留学する健人の激励会をするらしい、と聞いて納得する。
 ゴールデンウィークに会えへんかったから、悠人とは三月ぶりやし、翔太たちとは半年ぶりや。それに――礼奈。彼氏ができたて聞いたけど……その後、どうなんやろう。
 品川に、午後六時――社会人の俺が間に合わないようなら遅めると言われたけど、その日は神楽坂に出張で、そのまま直行すれば平気やろ、と踏んどった。
 炎天下、ほぼ一日中外を歩き続けてへとへとになり、日陰を選んで歩いていた午後四時。
 腕時計を確認し、こんなら一度帰社して向かってもええかな、なんて考えて歩いていた俺は、大通りに出る手前で、人が倒れているのに出くわした。
 倒れてたのは女性やった。うちのばあちゃんと同じくらいの歳やろう。和服で、小ぎれいななりをしていたけれど、顔は真っ青で汗もかいてへん。
 周りの人たちはちらちらと視線を寄こしながら、駆け寄ることもない。ただ行き過ぎて行く人波を見て、俺も思わず立ちすくんだ。
 一瞬、この後の予定が脳裏をよぎった。
 とはいえ、そんな打算めいた思考も一瞬だけや。見捨てるなんて選択肢はない。近くに膝をつき、声をかけた。
 意識がないから、やっぱり反応はない。
 頭を打っているかもしれへんし、下手に動かせへんから、そのまま首筋に手を当てた。脈はある――が、弱い気がする。
 スマホを取り出し、救急車を手配する。救急車が来るまで約十分。到着した救急隊員に「知り合いですか」と訊かれて首を振ったが、「乗ってください」と言われて仕方なく同乗した。
 病院は幸い近くに見つかった。熱中症だろうと言われ、本人確認のできるものを探してくれと指示される。
 勝手に他人の荷物を探るのは抵抗があったけど、誰かに連絡を取るためやし仕方ない。
 スマホはロックがかかっていて見れへんで、手掛かりになりそうなものをと財布を広げた。病院の診察券が数枚出てきた。
 これなら連絡先もすぐ分かるかもしれへん――と思うたのもつかの間、その頃には五時を過ぎていた。一本電話をかけて「診察時間外です」のアナウンスを聞き、慌てた俺は診察時間を確認しながら、次々に病院に連絡をつけた。
 先方に事情を話してはみたものの、それで登録された電話番号を教えてくれるわけもない。病院の方から、登録してある電話番号に連絡しておく、と請け負ってくれたのは2軒目の病院やった。

『登録してあるのはご自宅の電話みたいですけど、誰か出られるかは分かりませんよ』

 困ったように言われたが、それしか方法がないのだから仕方ない。それでも構わない、と俺の電話番号を告げ、電話を切った。
 他に連絡の方法があるかと、女性の鞄を探る。頭も喉もカラカラに乾いていた。
 意識のない人の荷物を勝手にあさるというだけで、精神的にえらい消耗するもんやな――悠人みたいに仕事やったらまだええかもしれんけど、俺はただ行き会っただけの人間やし。
 そうこうしているうちに会社も定時が近いと気づいた。ひとまず連絡しておこう――ああそうや、悠人と翔太にも遅れるて言うとかないかんな。
 会社に電話した後、悠人と翔太にメッセージを打ち始めた。

【倒れてる人がいて】

 そこまで打って、眉を寄せる。なんや偽善者みたいで気持ちが悪い。
 俺はため息をついて、一度文章を全部消した。

【すまん、開始時間に間に会わへんから、先に始めてて】

 返事は翔太からすぐに来た。

【仕事? どれくらいに来れそう?】

 俺は苦笑する。仕事。まあ、そう思うわな。

【たぶん、終わるまでには顔出せると思うねんけど、よう分からん】
【了解。無理しないでね】

 翔太からの返事を見て、ため息をつく。
 ……また、呆れてはるんやろな。
 苦い思いと共に下唇をかみしめる。
 ――でも今は、とにかく、誰かに連絡をつけへんと。
 気持ちを切り替えるべく、軽く首を振った。
 俺はまた女性のバッグの品物を一つ一つ確認し始めた。

 結局、何をできるわけでもないまま、時間は過ぎて行った。
 女性の意識も戻らないまま、気づけば午後八時にさしかかっていた。
 その間、俺ができたことは、女性の荷物を整理して、保険証を病院に渡したことと、ペットボトルの緑茶を一本、飲みきったことくらいや。
 一通りの検査が行われた結果、女性は救急隊員の見立て通り、熱中症だろうとのことやった。まだ意識が戻らないがどうするかと問われ、一応、病室へ向かう。
 痩せた腕に点滴が打たれ、白いベッドに寝かされた女性の横顔を見てほっとする反面、これからどうしようかと困惑した。
 病院からは、知り合いでないのならもう帰ってもいいと言われとる。
 けど――帰ったところで気がかりなんは明らかやった。
 倒れたその姿が自分の祖母に重なったのもある。意識が戻ったならともかく、まだ昏睡状態が続いてるとなれば、放って行くのはためらわれた。
 自分の不器用さは身に沁みとるけど、これも性分や。仕方ない。
 時計を見れば、もうすぐ8時。
 ――そろそろ、お開きの時間やろうなぁ。
 こんなに時間がかかるものとは思わへんかったけど……どうせ、いつものことやな、で終わってはるやろ。
 みんなから、そんな風に思われてることが情けないけどな。
 自嘲する中、病院の待合室からは、人の流れがどんどん減っていく。
 八時を回った頃、俺の電話に着信があった。期待に心臓が高鳴る。通信可能なエリアに行き、電話に出ると、動揺した女性の声が聞こえた。

『あの、すみません。病院から、留守番電話が残ってて……』

 その声を聴いた瞬間、ほっと息を吐き出した。
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