マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.3 まさかの本心

16 従弟の脅迫

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 その翌々日。
 仕事から帰宅してみれば、待ってましたと目を輝かせる健人がいて、俺は思わず目を逸らした。
 健人も一昨日の夕飯は一緒したけど、さすがに両親の手前あれこれ訊くのは避けたんやろう。何か訊かれた記憶はない。――いや、夕飯食った記憶すら危ういから、正直、何しゃべったかあんま覚えてへんねんけどな。

「――で、どうだったの!? もう俺気になっちゃって気になっちゃって!」

 俺はそっぽを向いて「疲れてんねん、休ませてや」と塩対応を決め込んだけど、健人は「夕飯できてるよ! 今日は栄太兄のリクエストで肉じゃが! 礼奈に作らせた!」と笑顔で食卓を示す。

「はぁっ!? な、何っ……!?」

 礼奈の!? 手作り!? お、お前何、何しとんねんほんま!

「動揺しすぎじゃない……? 昨日の夕飯、礼奈が作ったのが残ってたから、持って来ただけだよ」
「あ、ああ、あああそうか、そうやったか、まあそうやろな」

 変な言い方するから、一瞬、想像してしまったやないか。
 エプロン姿の礼奈が頬を染めながら台所に向かい、「栄太兄のためならがんばる」と健気に拳を握る――

 ――かわいすぎやんか、ほんま天使か。

「……栄太兄、顔にやけてる」
「はっ!? あ、や、これはなんちゅうか、疲れで緩んだだけや!!」

 健人の指摘に首を振り、洗面所に入った。手を洗うついでに顔も洗う。
 相手は健人や、しゃきっとせなあかん。変な態度取ればどうせまた馬鹿にされるて分かっとんねん。
 気合を入れ直して洗面所を出れば、じぃ、と見つめて来る健人の目。
 兄妹やし、当然ちゃ当然やけど、こいつも礼奈と似た猫目しとんやな。
 そう気づくなり、入れた気合いがぷしゅうと抜けていく。

「告られたんでしょ。礼奈に」
「ごふっ、ぅ」

 あまりの直球に、思わず咳が出て手で押さえる。げほげほむせる俺に向けられた健人の半眼が刺さる。

「あんだけスッキリした顔の礼奈、合格んときも見なかったもん。ぜってーそうだと思った。で? で、栄太兄、何て答えたの?」
「お、おま、お前……」

 ぐいぐい来るな。――いや、その前に。

「……し、知っとったんか」
「って、何が? 礼奈の気持ちのこと?」

 首を傾げられて、かろうじて頷く。健人は頭の後ろで腕を組み、からりと笑った。

「気づかない方がおかしいじゃん、あんなロコツなのに」
「ろ、ロコツって……」
「気づいてないの、母さんと兄さんくらいじゃないの。父さんはほぼ確実に気づいてるし、あ、こないだ奈良行ったとき、和歌子さんたちにも」
「な!」

 何やてぇ!?

 礼奈と健人が、お礼参りと称して俺が買ったお守りを返しに京都・奈良へ行っていたことは知っとる。俺も誘われたが仕事があるからと断った。
 ――が、そんときにそんな話になっとったなんて!

「……母さんから何も聞いてへんけど」
「そりゃー言わないでしょ」

 からっからの声で言うた俺に、健人は当然のようにそう言って、「で?」と身体を乗り出す。俺はそれに押されるように後ろに引いた。

「何て答えたの、栄太兄。礼奈に聞いても絶対教えてくれないだろうしさ。いいじゃん、教えてよ。全部おぜん立てしてあげたの俺だし」
「い、いや、おま、ちょっと待て」

 慌てて俺は手を振りかけ――ふと気づいて、渋面を向ける。

「あのな。お前、そもそもおぜん立てなんかして、あ、兄としてどうなんや。妹の――その、こ、恋人に、こんな年の離れた男なんて、あり得んと思わへんのか?」
「うーん」

 健人は首を傾げた。

「まー、急に連れて来たっていうんなら警戒もするけど。栄太兄は栄太兄であって、他の三十男とは違うじゃん。だいたい、俺とか悠人兄より栄太兄の方が、よっぽど礼奈のこと気にかけてるよね」

 第三者から改めて言われ、思わず絶句する。
 それは……あれか、本気で構い倒されて鬱陶しいやつか。そりゃ思春期にウザがられるわけや……いや、せやかて、あんなかわええ子ぉ放っとけんやん。どうしてるか気になるし、見れば笑わせたり怒らせたりしたくなるやん。

「……栄太兄、何ショック受けてるのか分かんないけど、とにかく質問に答えてよ」

 健人の要求に、俺は黙ってそっぽを向く。何から何まで健人の思い通りになってたまるか――とそんな反意も虚しく。

「……じゃないと、この肉じゃが俺が食うよ?」

 かぱ、とタッパーの蓋をあけた満面の笑みに表情が凍り付いた。
 こいつ、悪魔や! 絶対、悪魔に心売っとる! ひどい奴や! なんでこんな奴と礼奈が同じ両親に育てられてんねん! 信じられんわ!

 俺は歯噛みしながらも、横浜での出来事の概要を健人に伝えた。どうせ俺を馬鹿にするんやろ、思うてもう半分自棄になって洗いざらい話して、どうや、と睨むように見やったが、健人はぽかんとしている。

「……え? ん? うんん??」

 健人は頭を抱えるようにした。
 ……珍しいな、こいつがこんな反応するなんて。

「……何や」
「いや……うん……」

 呟いたかと思えば、ふ、と噴き出す。ふ、ふ、ふ、と細切れだった笑いが、段々大きくなって、しまいには腹を抱えて笑い始めた。
 や、やっぱりや!

「な、何やねんお前は! なんで笑うてんねん!」

 俺の全身全霊での返事に大ウケかい! 笑いを狙って言うてへんねんで! 傷つくやろうが!!

「いや、マジ、はー、も、栄太兄と礼奈、面白すぎ、は、ははははははは」
「だから何でやねん!」
「だ、だってさー」

 ひぃひぃと笑いながら、健人は目に浮かんだ涙を拭う。完全に笑い顔のまま俺を見て、健人は言った。

「それってつまり、礼奈が年齢さえクリアすれば栄太兄はウェルカムってことでしょ」

 ……。
 …………!?

 途端に顔が熱くなった。

「い、いや、ちょ、待て? え? 待てよ健人? 何? 何言うてんの?」
「え? 違うの? だってそれで、二年後にまた告ってきて、断る気ある?」

 ……。
 …………!!

「に……二年後にまだそう思てるかどうか、分からんやん……」
「あー、そうだよね。気ィ変わってるかもしんないよね。大学でも男と出会うだろうしー」

 健人はにやにやしている。

「そーいや、そんなこと言ってたわ、礼奈。父さんの母校選んだのって、父さんみたいな男と出会うためだ、って」
「な、何やて!?」
「そーだよね、そしたら、栄太兄のことなんてどうでもよくなるかもね。どうせ一回りも離れてるし、生活スタイルも違うし、仕事仕事でデートもできそうにないし」
「ぐっ……!」
「礼奈は礼奈で、いい男見つけて、そいつに大事にされるのが一番だよね。大学生らしくさー、春には花見したり、バーベキュー行ったり、夏には海と祭かなー。水着着て浴衣着て、何なら一泊旅行とか――」
「ゆ、許さん! そんなんあかん!!」
「――何で?」

 思わず机を叩いた俺に、健人が意地悪な笑顔を返す。

「色んな経験しろ、って言ったんでしょ。そんで、他の男ができればその方がいいって言ったんでしょ。そしたら、当然そうなるんじゃない? 他の男とデートして、手ぇ繋いで、キスして、そんで――」
「やーーーーーめーーーーーろーーーーー!!」

 がっ、と健人の襟元をつかみ、がっくんがっくん揺さぶる。健人はぐぇ、と俺の手を押さえながら渋面になった。

「ちょ、待ってよ。落ち着いて。Calm down,please!」
「やかましい! お前が要らんこと言うからやろが!」
「要らなくないよ。栄太兄の言葉を反復しただけだよ、ちょっと具体的にして」
「それが余計や言うてんねん!!」

 健人は俺の腕をつかんだ手に、きゅ、と力を込めた。俺は動きを止める。

「だからさ」

 健人の目は静かに俺を見つめていた。日頃へらへらしとるくせに、そういう顔すると、ちょっと凄みというか、迫力があんねんな。
 つい怯んで、手の力を緩める。

「これからの二年間、礼奈が放っとかれるとは限らないよ。あいつに気がある奴、少なからずいるんだから」

 健人の手に、段々と力がこもる。俺は健人の襟元にかけていた手を緩めた。
 掴まれた腕と健人の静かな顔を見比べる。
 元柔道部だった従弟の力には――俺もさすがに、敵う気がしない。

「せっかく、面倒なことになる前にと思ってお膳立てしてやったのに。知らないよ? どんな男に礼奈盗られても。――栄太兄が日和ったのが悪いんだ」
「ひ、ひよっ……」
「違うの?」

 いら立ったような声で、健人が言う。俺は目を泳がせて、視線を逸らした。
 そう、かも知れん。かわいい礼奈。大事な礼奈。
 ――その将来に、責任を持つことに、少なからず躊躇いは、あったかも知れん。

「栄太兄」

 健人が鼻で笑って、俺の腕から手を離す。離された後、手首をじんじんとした熱と痛みが苛む。

「ほんとに礼奈を大切にしたいなら、どっちかにしろよ。手放してやるか、自分の手で幸せにするか。――それが選べないなら、やらないよ? あいつ」

 健人は俺をまっすぐ見据えてそう言った。隠しもしない「兄」の気迫。
 俺の知らない、「きょうだい」の繋がりを、そこに見た。
 急に自分がひとり、部外者になったような、暗がりを感じて怯む。

「……やるとか、やらんとか……関係ないやろ、礼奈はモノやないで」

 俺は乾いた声でそう笑った。健人はふんとまた鼻を鳴らすと立ち上がった。

「ま、そうだけどね。肉じゃが、あっためる? ご飯は勝手に炊いたよ。インスタントみそ汁も買ってきたし、飯にしよっか。疲れてんでしょ」

 いきなり解かれた緊張に戸惑いつつ、「ああ」と頷く。健人は何事もなかったかのように、淡々と食事の準備をする。家での話、学校の話を自分からして場を和ませ、俺にも仕事の話を訊く。
 いつもと同じように振る舞う従弟に、俺は内心舌を巻く。

 ――こいつには、敵わんわ。

 健人は結局、それ以上あれこれ言わなかった。だからこそ、俺の心に深く、そのときの緊張感が刺さって、トゲのように抜けなかった。
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