マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.1 こじらせたイケメン

01 暑気払いのよた話

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「え、金田さんってもう三十なんすか? マジでー!? 知らなかった!!」

 ――って、どういう意味やねん。

 都内の居酒屋。職場近くで開かれた暑気払いにて、無礼講を真に受けた後輩はすっかり出来上がってはる。
 歯に衣着せない感嘆が、いい意味だか悪い意味だかも分からへん。けど、ツッコミは心の中に留めて笑った。
 関西弁のおかげで、下手にツッコめばそういうやつだと勘違いされかねん、ちゅうことは身に沁みてる。正直、ツッコミにくいボケかまされてもしんどいだけやねん。笑い取るのが得意なわけでもないしな。

「三十ですかぁ、節目ですねぇ」

 驚きに次いで、やたらとしみじみ言われると、「そうやな」と苦笑いを返すしかない。後輩は「三十かー」とまた繰り返す。
 ……君、それが俺の傷口じわじわえぐっとるの、気づいとる?
 日頃から何かと世話を焼いてやってる男やし、慕ってくれてるのは感じとる。悪気がないのは分かるが――
 内心あれこれ思いながら、黙って酒を口に運んでいたら、後輩ははっと思い出したように顔を上げた。

「そういや、知ってます? 男は三十まで童貞だと、魔法使いになれるらしいっすよ」

 ……は?

 思わず表情が固まった俺を差し置いて、周りにいる上司や先輩が笑う。

「ははは、何だそれ」
「若いやつは面白いことを考えるな」

 なあ金田、と肩を叩かれて「そうですねー」と笑う顔が、引き攣ってないことを祈る。……マジで。
 後輩は上司共々「ははは」と笑って続けた。

「ま、金田さんには関係ないでしょうけどねー。はーいいなぁ、俺もイケメンに産まれたかったなぁ」

 いや、あのな。
 えーと。
 ……あかん、どっからどうツッコめばええのか分からへん。

 けど、とりあえず――

 ***

 魔法使いになんてなれるかボケーーーっ!!!

 七月二四日。金田栄太郎、めでたく魔法使い――やない、三十の大台に突入。
 せっかくの誕生日やし、たまには少しくらい好きに過ごそうと、午後には無理矢理横浜出張をつっこんだ。夜はそのまま祖父母のいる鎌倉へ足を伸ばす予定や。

 ――いや、三十の誕生日にひとりで過ごすなんて寂しいやろ。寂しすぎるやろ。
 あ、勘違いせんといてな。祝ってくれる人がおらん訳やないで。週末には大学時代の友人が祝ってくれんねん。ただな、当日は仕事あって会えへん。平日もド平日、明日も仕事あるしな、それは仕方ないやつや。
 今朝がた母さんからメッセージが来てたけど、これまたありがた迷惑な内容で、素直には喜べへんかった。いちいち一言多いねんな、おかんっちゅーやつは。

 どんな内容かって?
 ……まあ、三十にもなって異性の影の見えない独身の子どもに折に触れかける言葉なんて、男も女も同じようなもんやろ。

 その割に、母さんがそこまで俺を結婚させたがってる訳やないのは知ってる。あの人自身、女傑っちゅうか何ちゅうか、まあ、固定された幸せ像に大人しく従うような人やないし、ひとつの生き方が全てという人でもない。
 その点、警察官の父があの人を選んだのは分かる気がする。放っておいても周りに流されるようなたちやないから、銃後の守りを任せるのは安心やろう。

 ともあれ、そんな両親になまあたたかーく見守られて、俺は魔法使いにもなれないまま、童貞こじらせて三十の大台に乗ったっちゅうわけや。
 ――ったく、童貞童貞って今どき何なん? ええやん! そんなん個人の自由やろ! そんな話題はな、プライベートかつプライバシーの範疇や!!

 もちろん俺かてチャンスが無かった訳やない。後輩のオダテを真に受けるほどアホやないけど、実際言い寄られた経験は少なくないし。恋人、ちゅうもんも今まで何人かおった。大学時代二人、就職してからも二人――
 で、そのうちもちろん、いい雰囲気になるやん。
 そのとき頭によぎる呪いがあんねん。
 何の呪いかってな――大学で上京する俺に言った母さんの言葉や。

「栄太郎、私は婚前性交に反対だからね。責任取れる関係になるまで、セックスなんてしちゃ駄目よ」

 そのときの、本気な顔とひっっくい声。今でもはっきり覚えてるわ。
 おっそろしーやろ。何が恐ろしいて、俺の母さん空手黒帯やからな。暴力女なんて生易しい表現せんといて。やろうと思えば俺のムスコなんて瞬殺やで、瞬殺。
 そのおかげで、どんなにイイカンジの場面になっても、俺のムスコは「いざそのとき」になるとしゅーんとこうべをうなだれるようになりはった。
 ムスコも命は惜しいわけや。当然やな。
 それで彼女と気まずくなって別れることを繰り返してたら、あっという間に二五かそこら。
 それどころか、見た目がそれなりに恵まれてるからか、最後につき合った女性にはテクすら期待されとった。
 そこまで来ればもうあれや、「あーもうこれはあかんな」て諦めるのも分かるやろ?
 男のコケンなんてもんは持ち合わせとらんけど、やっぱりがっかりさせると傷つくやん。
 で、傷つくともっとアレがアレせんようになるやろ。こりゃー悪循環やなー思てからは、もう誰かとそういう関係になるのを避けるようになった。

 こうしてめでたく童貞・彼女なし・三十路男の出来上がりや。へい毎度ありー!

 あーあ、誕生日っちゅう晴れの日に、なんちゅう自虐的なこと考えとんのやろ。切ないなぁ。
 社内アプリのスケジュールに「出張/直帰」とあるのを確認して、晴れ渡る空の下電車に乗り込んだ。
 今日くらい、ゆるゆる行くで。昼飯にちょっといいもんでも食うか。俺による、俺のための誕生日祝いや。
 夕飯はばあちゃんの飯食えるかな。一人暮らしでも自炊はするけど、野菜は傷みやすいで、ついつい買い控える。おかずが二品、三品出てくる家庭料理なんて、幸せ以外の何物でもない。
 彼女はいなくても料理を振る舞ってくれる女性がおるんや、幸せやなー俺!(ばあちゃんやけど!) あー幸せや!(ばあちゃんやけどな!!)
 愛情たっぷりの夕飯にバンザイ!
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